収容所での生活へ
そしてまたそこから乗ってそれこそ何日か、とにかく全部で三週間くらい乗って収容所みたいなところに到着して。そこで降りたときも、後ろから叩かれながら、鞭(むち)で叩かれながら、這うようにして兵舎まで行ったんだね。
ロシアに抵抗してたドイツの人がたがそれこそ何百人か何千人か捕虜になって作らせられた収容所があるわけさ。収容所がポツンとあって、周りは鉄条網で囲ってんだわ、三重にして。そして四つ角に櫓(やぐら)を立ててそこに銃をもった兵隊が監視してるわけさ。そういう中で生活しなきゃならない。その兵舎の中全員入れさせられたんだけどね、まずひどいもん。島でよく飯場(はんば)って言ったけど、それこそあれだ。まあひどいとこですわ。
夜よなかになるとね、木で家を造っているでしょ。その木と木の割れ目の中にね、ダニみたいな虫が真っ暗になると出てきて人間様のあちこちに血吸うんだよね。それであかり点けりゃあ、パーっといなくなっちゃんだわ。
汽車の中では亡くなったのはないけれどもね、毎日生活しているなかで、一日少なくても七十人やそこらは亡くなりましたね。亡くなれば全部ね、倉庫みたいな冷凍庫みたいな所へみんな入れられるのね。そして固まればね、トラックみたいなのが来て山にして積んで、川に投げにいくんだね。
収容所に行ってからどんどん、どんどん脚気(かっけ)*になったり、それから鳥目(とりめ)*になったりよくしたですよ。日中ぜんぜん見えなくて、晩になれば見えるんだね。
収容所についたのは九月の半ば。もう九月って言ったら寒いですよ。結構雪ありました。場所はトボルスク*ってとこです。
ウラジオからずっと入ってからね、オムスクとかトムスクとかっていうところずーっと通り過ぎて、トボルスクっていうところまで行きましたね。そこの収容所入ったんですよ。そこからまたモスクワまで四日かかるって聞きました。ガタガタ貨物汽車で。四日かかるって言ってましたからね、相当行ってると僕は思うの。
そこで身体検査をされてね。結局甲種(こうしゅ)、乙種(おつしゅ)、丙種(へいしゅ)三段階に分けられてね。甲種っていうのはね、毎日ある程度の労働させられるのが甲種って言ったね。それから乙種っていうのはね、食べるものを与えておけば、そこら近辺のね、掃除くらいはできるっていうのが乙種さね。それで丙種っていうのは、それこそ食べさせるだけ損だっていうふうな、そういう見方をされるのが丙種さ。だから乙種になったからね。なんとか食べる仕事ぐらいさせられたのよ。
洗濯を咎め(とがめ)られて処刑台に
僕がさせられた仕事が洗濯。ロスケの若い兵隊たちが官舎にいますよね。若い女房をみんなもらってるんですよ。その若い女の人、自分の旦那の洗濯は自分でするけれども、奥さんの洗濯を今度我々にさせたのですよ。
僕らいつも若い将校の奥さんの洗濯ものばっかり。川へ行ってね、川の縁(へり)に大きな石があるんですよね。その石の上に行ってね、川の流れに沿って洗濯ものを端っぽだけ持ってね。そして流れの中に入れて、手は水の中入れられないからね、冷たくてもう。だから大きな手袋はめて、冬の手袋もらって。
そうしてしゃがんでやってたら、なんだか背中がポカポカ、ポカポカ暖かいような感じして、あれって思ってはっと見たら、僕のすぐ後ろに白い服着た将校のおかみさんが睨みつけているわけだよ。そんな洗い方はなんだっていうようなもんで。
僕はそれこそ生まれ育ってからさ、親に頭ひとつ殴られた記憶もない僕がだよ、その若い女の子に往復ビンタ食ったの。それで僕も歯軋り(はぎしり)をしたんだね、悔しくて。その歯軋りをしたのがね、抵抗する気かって言うんですよ。奴隷の分際で抵抗する気かって。軍法会議(ぐんぽうかいぎ)にかけるって。すぐもう軍法会議にかけて処刑さって。
一旦兵舎に帰って、全部荷物を自分の物を持ってまたここへ来いと。言われた通りに僕は一旦帰って荷物を持ってそこへ行ったのさ。そしたらこっちへ来いって引っ張られてね。ずーっと奥のそれこそ廊下ずーっと入って、一番隅っこのほうにね大きな真っ白な部屋があるのよね。その部屋へ入ったところがね、ものすごい嫌な匂いがぷんぷんするわけ。
そしたらね、そこが処刑場だったんだね。ドイツ人なんか、捕虜法違反でもって処刑された連中達が転がっていたわけさ。すごかったんだよ。もう臭くなってるのさ。
案外暖かいその部屋へ入るわけ、そうしたら大きなペチカ*みたいなものがあって、後から階段があって、上へ上がっていくような形なんだよ。上に上がったら、足を揃える、足の形の絵が描かれている。そこに足をちゃんと、きちんと揃えて立てっていうことなんだよね。
そして向こう側のほうから拳銃を持った将校が一人いるわけだよ。そして拳銃向けたの、僕に。そして誰かが言っているんだろうけども、十秒から始まって、九秒、八秒、七秒、六秒・・・ってやってたんだよ。
そしたらね。七秒か六秒かそのあたりになって、廊下をカタカタって走ってくる人がいるじゃない。そうしたらピタッと僕たちがいたところの入り口に立ち止まっでダンダンってノックして入ってきて、そしたらそれが下士官みたいだったんだよね。長い銃を持って、そしてなんだかロシア語で何だかしゃべったんだよ、拳銃向けてる人に。
そうしたらその人が拳銃をしまったの。今度そこへ自分が立ち上がって、自分が持ってきた銃剣(じゅうけん)を。だから僕は銃殺じゃなくて射殺なんだなあと思ったわけさ。拳銃でバンとやるなら銃殺だけど、刺して殺すんだなあとそう思ったのさ。まあいいや、と思って。どうせもう生きることに未練はないから、ここまで来たらもう死ぬしかないんだと。こんなところで苦しむんなら死んで日本に帰る、魂になって帰っていけるかもしれない、そういうふうに思ったら何も怖いものなかったんだよね。腹決めちゃったら。
そうして今度、なんか言い残したことないかとかさ、島へ、日本へ帰ったらこういうことを伝えたいっていうふうなことことないかとか、言ってたけどね。「一切ありません」って僕は言ったのさ。
ああそうか、よしわかった、ということで、また、十秒、九秒、八秒、七秒やりだすんだよ。そうして、四秒、三秒、二秒、一秒、よしって言われたんだろうけど、僕はその頃はぜんぜん頭に記憶はない。朦朧(もうろう)としてぜんぜんわかんないの。
処刑失敗で一命を取り留める
三日、四日してね、気がついたら、ベッドの中でひっくりかえって寝てるんだ。そして周り見たら全部白いところなんだわ。そしてもう、壁なんだ。すぐ壁なんだよね。そこが病院だったんだよね。
衛生兵(えいせいへい)*がね、ぐるぐる回って来てくれて。「永塚、気ィついたか」って、今先生がうるさいから後で来てよく事情話するからって、それで「わかった」って言って。僕も下士官だったもんだから、兵隊達は僕をすごく大事にしてくれてっからね、お前たちに任せるから頼むぞって言ったのさ。彼らも真剣になって、僕を大事にしてくれたっていうことが今もって嬉しいけどね。
兵隊が来ない時間帯を見ては日本の衛生兵が来てね、僕のそばへ来て話するわけ。その話はね、一応射殺になったんだけれども、間違ってね。心臓は左にあるもんでしょ。右にあると思ったんだ、その兵隊が。そして、「よし」と言われて銃剣を刺したけどもね、それが届かなかった。ちょっと一歩手前で滑るようにして、銃剣の先がばあっとこの足に一発来たわけさ。いまだにここに傷あるけどね。ブツッときたわけだ。
起き上がろうとしたら、血がすごいの。二日も三日も経ってるのに、ぜんぜん治療してくれることもなし。そしたら僕の枕元にね、何項目だか、何十項目だかしらないけれど、この人間の傍に近寄ってはいけないとかさ、この人間に糧秣(りょうまつ)*を与えてはいけないとか、ものを言ってはいけないとかっていっぱい書いてあった。だからみんな、僕のところへ来てはすーっと行っちゃうんだよ。ぜんぜん僕の傍へやってこないの。ロスケが医者なもんだから。
日本兵も来るんだけどね、目配せパチパチパチってやってさっと帰ってくんだよ。何か変だなって思って。そしたらやっぱり、そういう処罰を受けたもんだから、このまま苦しんで苦しんで、苦しんでくださいっていうふうな感じなんだよ。
後から聞いたら、失敗したんだとさ。そういう処刑する仕事を、大事な仕事をね、失敗したっていうことで、かえってその人間が銃殺されたらしいよ。処刑は二回と三回とやるべきもんではないんだと。処刑する場合は。一回勝負なんだってね。ロシアの掟(おきて)なんだと、それが。
それで僕は、あとはこれ以上手かけられないという掟でもって、そこに寝せられたわけさ。何にも糧秣も何ももらわずに。でも衛生兵がね。夜中にこっそり、寝静まってから、パン切れだとか、サンマかなんかの塩辛か塩漬けにしたしょっぱいものだとか、かき集めて来て、それを僕にくれたもんだわ。僕はそれが嬉しくてねえ。もう食べた、食べた、食べた。
何日かして、そこの収容所から別の収容所に移されて。どこへ回されても隅っこなんだ。それでその看板が取れないんだよ、どこ行っても。そしてだいぶ日本に近い方まで来て、ウラジオまでは来ないけども、ややウラジオの近くまで。
ずっとあっちの収容所じゃ、こっちの収容所じゃって回され回され。そして最後のところの衛生兵が山形県出身で、「やあ秋田(出身)なんだ」って言って、同県人だみたいだみたいなこと言って。
毎日四十人や五十人死ぬでしょ。その中の死んだ人をね、永塚が死んだっていうことにして、永塚が死にましたって届けて、僕が佐々木っていう人間にしてもらったの。そして僕は佐々木っていう名前でそこにいさせてもらったの。それから治療だとかしてもらえるようになったの。
脚気
かつて日本人の国民病と呼ばれた病気で、ビタミンB1の欠乏により起こる。心臓衰弱や末梢神経の麻痺をもたらす。
鳥目
視力が著しく落ちて物がよく見えなくなる病気。ビタミンAの欠乏に因る。
トボルスク
西シベリアの古都。捕虜収容所が置かれていた。
ペチカ
ロシア式の暖炉のこと。
衛生兵
傷病兵の看護及び治療等を任務とする兵士。
糧秣
兵士の食糧。軍馬のまぐさを指すことも。
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