ソ連の軍艦に乗せられて
そのとき相手がソ連兵っていうのはまだわかんなかったです。言葉はぜんぜんわかんないしね。頭の帽子の脇からね、毛が見えるのは茶色とかそういう色はわかったけどね。日本人は全部髪の毛は黒いもんだとばかり思ってたしね。初めはもうまったくロシア人ってことわからなかったですね。
おとなしく私のそばへ来たんだけどね、来てしまってから包囲して、ぐるっと周ってしまったから。七、八百人くらいひとかたまりでおりましたが、それが全部包囲されちゃって。それぞれの箇所でもってみんな包囲されている。どの部隊もね。
結局そこへ自分たちの持ってるもの、全部下へ置きなさいっていうことで、全部命令に従ったわけよね。で、そこから荷物から離れろってずっと離されて。私ほんと手に何ももの持たずに。
日本の通訳が出てきてね。ハルピン大学を卒業、中退だかしたっていう、兵隊の中にある程度ロシア語を生かじりの人がおったんでね。それで何を言ってるかくらいは大方の見当はつき、それから日本語に整理して、我々に説明するわけね。そういうことで、ロシア人であることがはっきりわかったし、今ロシア人に降伏するんだな、しなくてはならないんだなっていうふうなこともそこで薄々わかったんですけどね。
そこで日本へ帰るっていうこと、無理かなあって思ったんだけれども。とにかく話を聞こうっていうことで聞いたらね、これから私達が案内してね、私達の船でもって東京へ行って武装解除をしますと、こういう言い方なんだよ、通訳がね。日本の通訳が、ソ連兵の人がそういうことを言ったよと、東京で武装解除するんだと。
東京がアメリカに押さえられてるっていうこともぜんぜんわからないことだしね。東京へ行って、全面武装解除するから、この船で東京まで送る、そういうことなんです。そうしたらこの船に全員乗りなさいって。結局全部その船に乗ることになって、一列縦隊(いちれつじゅうたい)にダーッっとその船に乗って。何回か往復しながら本船まで行って。
本船へ行ったら大きな地下室があるわけさ。その申へ梯子(はしご)があってその階段を降りて下へ入っていくとね、それこそ大きな枡(ます)みたいなところがあって、そこの中へ全員乗せられたわけ。ところが将校だけは、少尉(しょうい)以上の将校だけは別場所。我々と同じ場所じゃないんですよね。
でも下士官以下全部同じとこだったんですけどね。兵隊から何から全部一緒だったんだけど。我々の所でも三千人近く乗せられたかね。あとまた、二艘か三艘くらい大きな母船(ぼせん)がありました。その船に乗せられるだけ乗せられたと思うんですよ。
一応僕らは全員乗ったら今度はバタンと蓋(ふた)かけられて。もう真っ暗です。窓ひとつないんだからね。そしてもう手探りで、わかんないもんだからね。そのまま横になって、まあひもじい思いをしましたけどね。
そうしたらね、何日でどこまでどういうふうに行ったのか、三日か四日したかなあって思った頃に、甲板に出て空気を吸いなさいって指示があった。船は停まっていたからね。で、今度起き上がって立ったら、そしたらなんかずらっと向こうに島みたいなものが見えるの。
後から聞いたらここが樺太(からふと)の真岡(まおか)*だっていうわけさ。ですから、国後島(くなしりとう)と択捉島(えとろふとう)と間を、国後水道を通って北上して樺太の方へ行ったもんではないかなあと思うんだけどね。
それで二日か三日かかったような気がするんだけどね、それまでね。その間食糧はまったくなし。水も何にもなし。でも、カンパンとか最低の食糧は自分達がそれぞれ持ってたから、それをかじりかじり、暮らしてたんだけど。
そして二十分かそこら甲板で空気を吸ったのかな、そして陸(おか)から大きな箱舟が来て、それにね牛が四十頭くらい乗ってたのかな。それからすぐ後から来た箱舟には馬が五、六十頭乗ってたかな。それを全部後ろに詰め込んだもんですよ。乗ってる母船にね。
そしてもうお前たちも中へ入れって言われて。また地下の中へ入っていって、それからまた蓋かけられて、しばらくまた何日かかかったのか。
食料、水も与えられず真っ暗闇の貨車で移送
そしてもうここで上陸するんだから、全員甲板に出れって言われて。甲板に出たらなんだか変な真っ白い建物がいっぱいあちこちにあるんだけど、ここどこだって。ここが東京だっていうことなんですよね。
はあ、東京って何だかみすぼらしいな、これじゃ根室よりまだ悪いなって思ったのさね。変な東京だなと思いながら、みんなで、おいこれほんとの東京かって言ったって、東京だってみんな言ってるから東京らしい。
とにかく下りてみなきゃわかんないって。そして下りたんですよね。そしたら全部横文字でね。ぜんぜん読めないんですよ。ロシア語だもんね、読めるはずないさね。
ちょっとやあ、これ東京じゃないわこれ、変だぞって。日本じゃないんじゃないかっていうことになって。見たら女の人や子供たちがみんな頭真っ赤、髪の毛は赤いし、着ているもの自体もなんかふわふわしたようなもの、白いスカートみたいなものいっぱい履いて、寒い最中に歩いてるわって。
やっぱりこれ、違うわって。それでロスケの通訳やってる日本の兵隊が、これウラジオストック*だっていうことになったわけさ。なんかラジオのような名前の文字だっていうわけさ、文字がね。そしたらやっぱりウラジオだったんだね、あれね。
そこから今度そこで上陸させられて、また貨物みたいのに乗せられて、三十二か三ぐらい車両に分散して、全部乗せられたのよ。僕らのところはね、前から十一、二番目かなあ。そのくらいだったと思うけどね。
ここの隅っこと、こっちの隅っこと二箇所、長めに二十センチぐらいの四方の窓があるんです。鉄格子(てつごうし)なんです。ラッパが七本くらいとガラス、あとは何もなし。そこの中へ全部入れさせられたの。そして昼頃になればガタンガタン、ガタガタ動き出す。発車してるんだね。
そして燃料がなくなったんだか、ストップして半日もそこにいるんだわ。ぜんぜん動かないでね。あれシベリア鉄道なんだろうけど、燃料ったって、周辺に枯れ木だとかそういうようなものがあればそれを集めてきてかけながら走ってるんだよね。石炭だとかそういうものはないんだから、その頃は。薪(まき)で走らせてる。だから、遅いんだ。僕らは速さはわかんないけどさ。ガッタンガッタン、ガッタンガッタンやってんだよ。
そして何日か、自分が持ってきた食糧はほとんど食べつくしちゃって。今度ぜんぜん食べるものがなくなってきて、毛布の角(すみ)、チュッチュチュッチュ吸ったんだよ。そんなものさ、ぜんぜん食べるもんなくて。
ちょっと汚い話だけどね、そこの隅っこの一角を便所にしたわけさ。で、便所したくなればそこの隅っこへ行ってするんだわ。便所の山があるでしょ、そしたらやっぱり寒いからね、だんだんそのうちに硬くなるのね。それをガバッと持ってきて、ぶっち切りにするわけ。それを今度食べることになる。食べるんだよ。
皆で分け合って食べるわけだけどね、そりゃやっぱり位(くらい)の上の者は一番いいの取ってく。若い兵隊だとか、今来たばかりのなったばかりの連中たちはね、本当に隅っこさ。端っこさ。
まあそれを繰り返してたらね、何か知らないけれども、そこへ大便しに行く人がいなくなっちゃったの。せっかくやったってみんなに食われるようなもので、自分がさっぱり当たらないでしょう。だからもう行かないんだ。自分で勝手に毛布かぶりながら毛布の中で大便をして、それで自分で食ってんだ、自分のものを自分で食ってんだ。
そうなると、人のためにとかっていうそういう気持ちはまったくなくなるもんだよね。自分さえよければ、自分が生きていればいいんだっていう考え方になるのかね。ひどいもんですね。人間生きることはそういうことなんだなあって僕は思いましたよ。
何日かしてから、外へ出て空気吸わせようとして、昼間停まってね。停まった所がね、ちょうど小さな池みたいな所、沼地だね。沼地の中にちょうど停めてもらったのさ。ドアを開けて降りてもいいってことでね、降りたけどね。満足にちゃんときちんと、あの若い兵隊たちがね、満足にきちんと歩ける人いなかったよ。
足フラフラ、フラフラしちゃってね。もう杖でもなければね、歩けなかった、みんな。もう這うようにしてそこの池まで行ってようやくガブガブガブガブ水飲んだ。そして今度毛布持ってって、毛布しっかり濡らして持って帰ってくるんだわ。いやあ、その味も忘れられないと今思ってるけどね。草や木なんかなんにもないんだもん。シベリアだから。何にもないんだもん。
真岡(まおか)
樺太西海岸の中心都市。大規模な港湾施設が存在した。北方四島からの引き揚げ者の中継点でもあった。
ウラジオストック
ロシア極東部の都市。ソ連の太平洋艦隊の本部が置かれ、軍港として位置付けられた。
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