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聴き取りの記録(3)
永塚良さん(82)
永塚良(えいづかりょう)さんの来し方
 大正十三(一九二四)年四月十七日生まれ。国後島留夜別(るやべつ)村乳呑路(ちのみのち)出身。留夜別村役場職員を経て徴兵・出兵。ソ連兵に連行され、処刑台に立たされ、瀕死の状態のまま船で追放されるなど辛酸を極める。生還後帰郷し、小学校教員に。国後島元島民の会「爺々山会(ちゃちゃやまかい)」初代会長。根室市光洋町存在。
 
色丹島の旅団本部に配属
 昭和二十年の三月に徴兵(ちょうへい)に行ったんですね。それまで代用教員をしたり、それから留夜別(るやべつ)村*役場の職員もしました。二十一、二の頃に徴兵です。島の最東端の地、白糠泊(しらぬかとまり)で入隊しました。
 
留夜別村役場
 
 北方派遣として、白糠泊に一個中隊ほどの兵隊が駐屯(ちゅうとん)していましたんでね、その部隊へ仮入隊したかたちなんですよ。もう島の人全員そこへ入隊させられましたね。三ヶ月の教育受けるまではそこへ全部おりました。
 そして六月に入ってから分散して、北方、カムチャツカのほうへ行った者、いろいろでしたけどね。私は色丹島(しこたんとう)の旅団本部に配属されて。旅団本部というのは大きな部隊で、三千名くらいおったかもしれません。そういう大きな部隊でした。本部は穴澗(あなま)というところにありました。島は小さいからね、乗馬であっちへ行ったりこっちへ行ったり転々と島の中を歩き回りましたけどね。
 
乳呑路市街
 
 私たちが国民学校を卒業すれば、上の学校へ行きたい人は昔中学校ってあったんですよね。その中学校制度を私たち受けたもんだからね。今度幹部候補受けなきゃだめだって、中等学校出たものは全部幹部候補受けなきゃ駄目だってことになって試験受けさせられたんですよ。
 そこで幹部候補甲種っていうのは将来将校になれる人なんですよ。それから乙種っていうのはだいたい下士官(かしかん)止まりなんですよ。私は下士官止まりの乙種幹部候補に受かって。
 
 敗戦は色丹島(しこたんとう)で迎えました。八月十五日ですが、この日はまだわからなかったです。十六日の夕方ですね。旅団本部からね、下士官以上全員集合がかかったんですよ。そして穴澗の原っぱに全員集合させられて、旅団長の話をを聞く形(かたち)に、整列して待機してました。そしたら兵舎から旅団長(りょだんちょう)*が出てきてね、日本は戦争に負けたと。そういうことでこれからの戦(いくさ)はね、私が全責任を負うから、絶対みだらな行為はしてはいけないという注告を受けましたね。
 三千人の兵士の前でそう言ったんです。我慢できなくて、かなりの将校が自害しましたけどね。私たちは自害するようなそれこそ勇気も何もなかったから、残ったんですけれども。
 旅団長の言葉を聞いたとき、私たち初めは信じ切ってないような、なんか負けたっていうような感じはぜんぜん持ってなくてね。負けたっていうことは結局、これから戦争しないんだっていうことなんだろうなって、一応そう思ったけどね。なんかあんまり直(じか)に戦った記憶もないのにね、ただここに居座って訓練朝夕、平時の訓練だけさせられてて、負けたって言われたって、なんかこうピンとこなかったですよね。
 でも負けたっていうことがみなさんの口から伝わって広がっていけば、それに従うしかないのかなと。これがどういうふうになるのかなっていう心配もありましたけどね。とりあえずまた上部から命令が来るかもしらんって、兵舎にそのまま待機をしていなさいということで待機させられて。待機したけども、丸一日ぜんぜん何にも音沙汰なしですよ。
 十六日の夕方初めて、これから東京で武装解除をするんだと。だから自分で持っているものは全部自分の身の回りから離してはいけないという指示が出まして。東京行って武装解除するからと。このままでむこうの言うとおり、それに従うしかないんだということに。そうして十八日の朝に、軍艦が入って来たんですよ。
 
ソ連兵と銃撃戦
 ソ連の軍艦が入ってきました。見張りが得体の知れない船が来たからって。どうするかってことなんですよね。ま、とにかくそばに来るまで待機してようって言っていたけどね。なかにやはり捕虜(ほりょ)に捕まったら大変だっていうことでバンバン発砲させた部隊もあるんですよね。
 そのときはソ連軍だってわからない、ぜんぜんわからないです。日本の船は日の丸か軍旗が立てて来てるんだけど、その軍旗も何もないしね。何か変わった旗だなあって思った旗があったけど、真っ赤な旗だったような記憶がありますね。これは日本の旗じゃないわって。
 これは日本兵でないから、とんでもないことになるからって聞いて、「やれっ」てことでバンバンやった。僕らも七、八十発くらい撃ちましたよ。でも、どんどん船が入ってくる。
 軍艦は大きな船ではないですよ。中型くらいの船ですよ。大きな母船は沖泊まりなんですよ。そっから中型船でもって入ってきたんですよ。四十人近い兵隊が乗ってたと記憶してるけどね。
 ソ連兵が入ってきました。そしたら「発砲止め(やめ)っ」ていう指示があったもんだからね、発砲止めて、待機して。そしたらつかつかと上がってきて。引き金を引いていればね、七十発や八十発くらいは連射できるような機関銃を持って彼らは来るわけさ。
 こちらは一発ずつバンって撃つ銃でしょ。太刀打ちできないなって感じで、銃をちゃんとしまって、草っぱらに銃を置いてさ、手を上げて待ってました。降参したような形ですよ。
 向こうから銃撃はないんです。まったくないです。向こうからバンバン撃ってくるんであれば、こちらもそれに対して抵抗するんだけれども。だからひょっとするとね、何かおかしいぞっていうことでね、撃ち方止め(うちかたやめ)、っていうことで。それで、それでどんどん下りてきたの。これはもうだめだっていうことで勘念しました、みんな。

留夜別村(るやべつむら)
 国後島の東半分を占める村。古釜布などの集落があった。
 
旅団長
 旅団は陸軍の部隊編成単位の一つで、師団と連隊の中間に位置付けられる。旅団長はその長で、主に少将クラスが任命された。


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