昆布巻を軍需工場に
昆布は貝殻島(かいがらじま)*が一番採れます。先が真っ赤になった竿をぎゅっとさして昆布をねじってとるんです。浅いところだとフノリみたいな物。岩礁(がんしょう)のところは背の高いところ、棹前昆布(さおまえこんぶ)という歯舞(はぼまい)の昆布は品質がよくて有名。私たちのところで採れるのは厚葉(あつば)昆布といいました。
ヨード製造工場
朝は七時か七時半になったら朝ご飯を食べてから行って、午後三時か四時くらいに、船がいっぱいになると帰ってきました。お弁当を持って行きます。ガラスで覗く(のぞく)水中メガネがあるけれども、そんなものを見なくても、だいたい昆布があるところはわかります。岩場のところに着生(ちゃくせい)しているから、棹(さお)でねじってとるんじゃないですかね、私はよく分からないけれど。
乗る船は櫓(ろ)を押して、ギーコギーコと漕ぐ船です。それほど遠くないから、一人で行くんです。二人で行くときもありますが、一人前になれば一人です。
棹の下が輪っか(わっか)になっていて、ここに昆布を挟んで、棹をねじるわけ。そうすると昆布が絡み(からみ)付くでしょう。そうしてそれをギーッとやって、岩に付いているのを根っこから引っこ抜く。そういう感じ。力がいるらしいですよ。歯舞(はぼまい)の昆布は長いんです。
初めの頃は支那(しな)*へ輸出していたようですが、昆布ってね、ヨードカリ*だとか、爆弾の原料になるのだそうですね。大きなニシン釜みたいのでクズ昆布でも何でも燃やして。戦争末期は、ほとんどヨードカリにしていたように思います。
私はそのころ女学校*上げてもらっていて、そういうのをやっているのは見ませんでしたけれども、終戦後、行ってみたときに、こんな大きなニシン釜(がま)*があって下のほうにドロッとしたようなものが。それが昆布を煮詰めて(につめて)できるもので、それが爆弾の原料になる物を抽出(ちゅうしゅつ)する。何かそんなことをやっていたみたいですよ。だからクズ昆布を買ってヨードカリを生産しているところはありましたね。うちの裏の方にそれをやっているうちがありました。
相泊の缶詰工場
入っていったころは大変でしたけど、昆布の景気がよくなったから、結局昆布が爆弾の材料になるということで景気が良くなったのか、中国に昆布をどんどん輸出して、中国は日本の勢力下にあったでしょう。
志発島の昆布は、軍需工場で食料無くなったから、うちらの昆布で昆布巻きにしても売れましたけれど、本当は、煮て食べて美味しい(おいしい)昆布じゃないんです。やっぱり煮て食べて美味しいのは棹前(さおまえ)昆布とかね。お魚を芯(しん)に入れてくるくる巻いて、細く切った昆布で縛る。うちは綿糸(めんし)で縛って(しばって)ました。糸で縛ってはチョキッと切って。
終戦当時、うちでやっていたころにはね、芯に入れるお魚もなくてね。ただ昆布だけ巻いてね。細い小さい昆布をおかず用に軍需工場に。女工さんに食べさせる食料にするんだっていってね。リンゴ箱に何百って入るんですよ。リンゴ箱に一個でいくらと納めていたみたいですよ。
何千も軍の部品を作っている軍需工場に女工さんいっぱいいるでしょう。そういうところに納めていたと思いますよ。そういうのをまとめて内地(ないち)*に送っている業者がいたんでないですか。昆布巻はまず根室に送ります。根室の仲買人(なかがいにん)が軍需工場に直接納めていたわけではないです。
男の人の働き手が無くなって、女ばかり十人以上いるので、昆布巻が終戦当時の家業でした。父は肺病(はいびょう)になっちゃって、根室に来て病院で療養していて、妹と私と母が父の看病をしていました。兄たち二人が島のほうをやっていたんですが、兵隊に行ってからは、姉とか兄嫁とか身内で、あとは尾岱沼(おだいとう)から働きに来ていた陸廻り(おかまわり)*という女衆(おんなしゅう)とかでやり繰りしました。女子供ばかりを、根室空襲後は病身(びょうしん)の父が指揮して生活していました。全員で二十人はおりました。
根室空襲の日
島の人は、生活がちょっと楽になると根室に家を持つんです。なぜかというと、病気になったとき島にはお医者さんがいませんから、根室に出て来なければなりません。買い物するといっても根室に出て来なければならない。
冬の間、十二月から四月に氷が溶けて船が往来(おうらい)できるようになるまで三ヶ月くらいのあいだ冬眠状態でしょう。根室に家がないと、島から出て来れないわけなんですよ。ほとんどの家は、島での生活がなんとか目途(めど)が立ったらセカンドハウスを根室に持っていたんです。
お祝い風景
お金持ちの人は島の本宅(ほんたく)と根室に立派なお家をね。子供たちが大きくなると、島の学校は高等科もない学校でしたから。私が小学校の五、六年になったころに、ようやく生活も安定したものですから、根室にセカンドハウスを買って、私は学校に上げてやりたいということで、下の子は幼稚園に、私は女学校に上げてもらいました。
ところが、八月の大空襲で、根室は町の九割も焼けて焼け野原になったんです。だから、その家ももちろん焼けましたからね。本当にドーナツみたいに、町の縁(ふち)だけ焼け残ったんです。
前の日は爆弾ちょっと落として大したことなかったんですよ。不発弾落ちてね、見物して、「なんだこれ?」、「ロケット弾ていうんだ」と、男の人は足で蹴ってみたりしてね。
空襲で焼けた根室の町
次の日は朝八時から、夕方の四時までびっしり友知(ともしり)沖に航空母艦が来て艦載機(かんさいき)が一日中根室の町を。丸焼けになったんです。
防空壕に隠れて、はじめは防空壕に避難していればそのうち収まると思っていたけれど、家に火がついて燃え出しましたから。怖かったですよ。怖かったですよ。おおぜい死にましたからね。
防空壕が潰れて防空壕の奥の方で蒸し焼きになった人もいますし、私たちだって、家に火がついてどんどん燃え出したから、「この防空壕の中にいたら死ぬから」と父が山へ逃げろと言って。今花咲(はなさき)小学校というのがここからすぐのところにあるんですけど、その後(うしろ)が昔は放牧地だったんですよ、牛とか馬とかのね。こうちょっと小高い山になっていて小川が流れていて、山に遊びに行くというと裏山。私たちみんな学校の裏山に行って遊んだんです。
そこは林もありましたので、そこに軍が防空壕を掘ってくれたんですよ。こういう山になっているところを掘ったから安全でしょう。山の中の穴蔵(あなぐら)みたいだから。そこにほとんどの人が避難していたんです。でも避難しないで家に残っていた人はみんな死んだり、家の地下に室(むろ)のような防空壕を造った人は、家が焼けて潰れてきて出られなくなって死んだり・・・。根室では八百何十人も死んでるでしょう。こんな小さい町でも。
鮭の缶詰工場
貝殻島
納沙布岬からわずか三・七キロのところにある小さな無人島。歯舞諸島に属し、昔から昆布漁で知られる。ロシアに実効支配されている。
支那
中国を指す呼称。
ヨードカリ
沃化カリウムの略称。「沃度」と書くことも。火薬の原料となり、戦時中、「カリ増」のかけ声とともに軍部から生産要請を受けた。
女学校
高等女学校のこと。女子に対する中等教育を実施するために設立された教育機関。
ニシン釜
ニシン粕を作るために使用された大きな鉄釜。
内地
一般的には本州を中心とした日本国土を指すが、ここでは島以外の地域を指している。
陸廻り
「沖」に対して「陸」で働く人たちの総称。女性が主体であった。
|
|