ソ連兵が銃を携えて教室に
そうしているうちにガラガラっと教室の扉が開いたんです。あ、来たなと思ったけれども、そっちを見ないで、黒板に書いたりして。そうしたら、ドタドタっとソ連兵が五、六人教室に入って来たんですね。
私のほうからは(ソ連兵が)よく見えるんですが、生徒たちはこっちを向いていますから見えません。そして、扉が開いたところから、銃口だけが見えた。向こうも恐ろしくてぱっと入って来られなかったんじゃないですか。
足が震えるんですよ。だから足を踏ん張って素知らぬ(そしらぬ)ふりをしてやるんだけれども、足が震える。そうしたら、ピストルを前に構えながら、私の前に一番偉そうな人が来たんです。
「ズラステ*」って言ったんでしょうけれども、当時はロシア語で何か言っているというふうにしか思いませんでした。そこで私は「いらっしゃいませ。ようこそ」って、手を出して握手して。
そうしたら、銃を構えている人たちも銃を下ろして。「ズラステ」と言った人は大きな人で、すごく大きな手をしているように見えました。赤い毛がぼうぼう。顔を見ると青い目がぎょろっとして、まるで睨んでいるみたい。頭の毛は赤いし。ぞわぞわっと、血の気(け)が引いたような気がしました。
でもおっかないようなふうにしていたらだめだと、柔らかくしていなければならいと、にこっと笑って「いらっしゃい」と言ったつもりだったけれど、顔は曲がっていたかもしれませんね。そして、握手してから、その前まではおっかない顔をしていたんだけれども、それからはなんとなく柔らかい顔になって、「銃を下ろせ」っていったんじゃないかな。
生徒たちにはそのまま普通に勉強させました。「これ、できる人は来て、やりなさい」と私は言って「はい、誰それさん」と、二、三人が黒板のところに出てきて解いたら、一人が答えを間違っていたんですよ。そしたら、何とかかんとかって言ってね、笑いながら、ソ連兵の一人が教壇に上がってきて、それを直したんですよ。
その時になって、ようやく私は落ち着いたんですよね。一人でも怪我(けが)させるようなことがあったら、どうしようと思っていましたが。それから柔らかい顔になって笑いながら、間違った子供の頭を、何とか何とかって撫で(なで)て。たぶん「間違ってるぞ」とか言ったんだと思いますね。
帰ってから、その子供が「ぼく、頭ね、針を刺されたようだった」って。だから「おっかなかったかい? でももう大丈夫だからね」って言って。「外で会ってもそっちの方を見ないで、黙って真っ直ぐ帰りなさいよ」って。
布団部屋で息を殺す日々
その日、学校からの帰りは、漁業組合の女の事務員さん、役場の女性の人たち皆が学校に集まって、校長先生とか役場の人とか三人くらいで、めいめい家に送り届けたそうなの。しばらく様子をみるまで、女の人は出てこないほうがいいと。私も学校を休んでいたし。
家の方では、父が布団部屋(ふとんべや)っていって、大きい部屋がありましたので、くりぬいて外をサッカケにしました。何もないところに屋根を作って、部屋をくりぬいて、板で外から見えないようにして、それで外から出入りするようにドアにして。釘を打って、オーバーのような長いものを掛けて。そして、ここで隠れていたんですよ。
女の人は隠れているように言われました。だからといって、外に出て山とかに隠れるのはよくない。私は妹たち四人と一緒に布団部屋に隠れていました。女きょうだい六人、男兄弟が四人いました。うち二人は生まれて間もないので、八人で隠れました。
ソ連兵が来ると、「来たよ」って、外で遊んでいる男の子が教えてくれるんです。そう聞いたら、布団部屋にぱっと入って隠れちゃう。どこにいっても年頃の娘がいないもんだから、「娘いないのか?」って聞くんです。「ムスメ、ムスメ」って、その言葉だけ覚えていて、聞いてまわるんですよ。
うちの母は、鯨会社にいるロスケ*の鉄砲(てっぽう)さんを知っていました。ロスケと話をしていたので、「ボロッショイ*、マーレンキー*」って二言(ふたこと)、三言(みこと)ロシア語を覚えていたんです。
弟から聞いたのですが、ロスケがうちに土足で入って来たとき、お父さんは隠れてしまって、お母さんはそこにいたのね。ロスケが入ってきたら、お母さんは茶の間にでんと座って「オー、ロスケ、ボロッショイ。ヤポン、マーレンキー」って言ったって。
そうしたらロスケが「オー、マーマ、パロスケー*」って言ったって。「ムスメ、ムスメ、ムスメニャット*」、「ハラショー*、ハラショー」って言ったって。ロスケがお母さんをロスケだと思ったようです。母は太っていたから(笑)。
ロスケはめぼしい物を持っていくんです。時計とか欲しかったみたい。そのとき、時計、目覚まし時計を持っていきました。
布団部屋にいたのは一ヶ月近いかと思ったんだけれど、そんなに入っていないという人もいますね。本当は十日とかそれぐらいだったんでしょうかねぇ。でも、長く感じられました。
家は旅館で大きいですから、ロスケに盗られちゃったんですよ。部屋がたくさんあるから、「ここから出ろ」ってロスケがね。「あそこに空屋(あきや)があるから、そこに出ていけ」って。
そうなると、私たちは隠れているわけにはいかないでしょう。そして、みんなおかしな恰好(かっこう)をして出てきて。そして、家移り(いえうつり)しなきゃいけないでしょう。
そうすると、ロスケが笑うのね。そのころはもう慣れていたんでしょう。ちょこちょこ家にも来て、「ムスメ、居ない居ない」って言っていたのに「今、ムスメ、こんなにいるじゃないか」ってロシア語でね。すっかり慣れちゃっていたんです。そして、家移りするのに、重い物なんかを持っていると、手伝ってくれて。
一人になったり外に出たりはしないけれどね、大勢いるときなら、ロスケと一緒にいても、あまりおっかなくはなかった。共存という感じですね。ロスケは武装解除したら、すぐに帰るだろうと思っていました。どうなるんだろうと思っていたとき、「ヤポンスキー、ハジハジ*」という話も聞きました。若い兵隊が遊びに来て、そこで聞いたんですね。
ズラステ
「こんにちは」のロシア語。正確には「ズドラーストヴィチェ」だが、口語では「ズラスチェ」と発音する。
ロスケの鉄砲さん
鯨会社で働いていた鯨撃ちのロシア人。ロスケはロシア人の俗称。
ボロッショイ
「大きい」という意味で使われている。
マーレンキー
「小さい」という言葉で使われている。
オー、マーマ、パロスケー
「ああ、お母さん、ロシア語を話せるんですね」という意味で語られた言葉。
ムスメニャット
「ムスメはいないか?」という意味で語られた言葉。
ハラショー
「良い」という意味のロシア語。
「ヤポンスキー、ハジハジ」
「日本人は出て行きなさい」という意味で語られた言葉。
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