日本財団 図書館


■パネリストの感想
 
 谷川――それぞれ他の機関の話を聞いた感想などを、一言ずつお聞かせください。
 
 ――私も谷川先生と同様に、斎藤さんのお話にあったマンガによる自己肯定ということを非常に興味深く聞きました。
 
 田所――石ノ森萬画館も上田市マルチメディア情報センターも、ずいぶん創作活動の支援をしていますね。私達のところは年齢設定が違うので難しいところはありますが、ぜひやってみたいと思っています。
 
 斎藤――当センターから見ると、石ノ森章太郎さんにしてもやなせたかしさんにしても、大変メジャーなコンテンツをお持ちであるのは、とても羨ましいです。権利問題等はあるにしろ、メインとなるコンテンツを生かして、社会教育の教材など新しいものを作っていけるのではないかと思いました。
 
倉田よしみ先生
 
 谷川――倉田さんには、3つの館の活動等を聞いた感想、子供達にとってどういう活動が望ましいかといったことも含めて、ご自由にご提案をいただきたいと思います。
 
 倉田――それぞれの活動について伺いましたが、プロとしてマンガを描いている立場からすると、ちょっと違うかなという印象も覚えました。本来、プロのマンガ家になる人は、1人で描くのが好きなので、他の人との交流とか、他の人のためにといったことはあまり考えません。ですから、マンガ館に集まってくるような子供達は、プロになれない人が多いのではないかと思います。「第3の居場所」という話がありましたが、僕にとってはマンガが第1の居場所で、その先に家庭があり、学校があるのです。
 数年前から小中学生にマンガを教えていますが、僕は絵の描き方についての指導はあまりしません。絵は描いていればどんどんうまくなるからです。それよりもストーリーマンガを描く場合に考えるべきことについて話します。特に、子供達の作品はどうしても主人公を中心にした一人善がり的なものが多くなりますが、僕は、主人公の周りの者についても考えるように教えています。
 まず、子供達が朝起きてから学校に来るまでのことをマンガにするように言います。自分を主人公として、朝ご飯を食べるときに周りには家族の誰がいるかを考え、家族のみんなが言うことをネーム(吹き出しのセリフ)に書きます。お母さんに起こされるところから物語は展開していきます。そのときお母さんは何と言うのか、自分はどう返事するか、兄弟姉妹は、お父さんはどうしているのか、といったことを思い出しながら描かせます。
 そして、お母さん、お父さん、兄弟姉妹が、どういう思いでその言葉を言っているのかを考えるように言います。これは、とりもなおさず、相手の気持ちを考えるということです。マンガのストーリーは、主人公1人だけで進むのではなく、周りの人達も一緒になって進んでいくものです。色々な性格のキャラクターがたくさん集まっていた方が、話はおもしろく進みますし、おもしろいマンガはサブキャラクターがおもしろい場合が多いのです。ですから、主人公だけではなく、サブキャラクターの気持ちをどこまで考えられるかが、マンガがおもしろくなるかどうかのキーポイントにもなります。
 子供達が書くのは、最初は耳で聞いて覚えているセリフだけですから、それは日常の生活です。しかし、マンガには起承転結があって、転は想像で描くことになります。想像で描きはじめたときに、お母さんの気持ちを描けるかどうかは、子供達がそれまで五感で感じてきたもので勝負が決まると思いますし、どこまで考えられるかがプロになれるかなれないかの境目だと思います。
 また、マンガを描かない子供達にとっても、人の気持ちを考えさせることで、いじめなどの問題を多少は防げるのではないかと思います。
 僕は「味いちもんめ」という作品を描いていますが、食には大変関心があります。大学に通っている娘と一緒に住んでいて、その子の分も含めてご飯を作りますが、子供のために食事を作るのはマンガを描くのに少し似ていると思います。マンガは、読者に少しでもおもしろいと言ってもらうために描いているのですが、食事もおいしいと言ってもらいたくて一生懸命に作ります。どういう味付けがいいか、どういう食材がいいか、相手のことを考えながら作るわけです。
 食事は単に食べ物を与えるだけではありません。一緒に食べる相手とのコミュニケーションをとることであり、相手へのメッセージでもあるのではないでしょうか。押し付ける訳ではありませんが、食事を出したことに対する反応は相手からのメッセージでもあります。同じものを出して、この前はおいしいと言って食べてくれたのに、今日はあまり食べないのはどうしてだろう、体調が悪いのかなどと考えると、食事によって相手のことが分かってくるものです。
 小中学生だとお弁当を持たせてやることもあるでしょうが、そのときも親がどれだけ子供にメッセージを込めてお弁当を作れるかが、親子関係、人間関係を育てていくことに関係するのではないかと思います。電子レンジで温めたものを入れるだけでは、子供の反応も薄くなるのではないかと思うのです。
 マンガの制作も料理に喩えられることがよくあります。いくらよい素材があっても、料理人がヘタではおいしいものは出来ない。逆に、その辺に普通にある食材でも、作る人によっては素晴らしい料理になることがある。絶対に売れそうな素晴らしいキャラクターがあっても、間違った描き方をすればつまらないマンガになるし、ありきたりのキャラクターを使っても、ストーリー処理の仕方によって素晴らしいマンガになるのです。
 マンガ館に来る人だけではなく、その向こうにいる人たちにも何か橋渡し出来るようなマンガ館であれば、より深いものになるのではないかと思います。部屋に閉じこもっているような子供達を外に引っ張り出すのは難しいかもしれませんが、そういう子供は実は少しは出ていきたいという気持ちも持っていて、二の足を踏んでいるだけかもしれませんから、何か足掛かり、手掛かりをプラスしてくれれば、もっと地域の子供達のためになるマンガ館になるのではないかと思います。
 
 谷川――今のお話は、教育を考えるうえですごい内容を含んでいますが、それについては後でコメントすることにして、3つの館の方々は、倉田さんのお話からどういうことをお考えになりますか。
 
 斎藤――「第3の居場所」については、学校、家庭ときて、たまたま第3になったというだけですから、本人の中での位置付けが1番目であっても構わないと思います。他の人の気持ちまで考えられればよいマンガが描けると言われましたが、私が社会参加につながると言ったのも、そういうことを考えているからです。マンガを描くこと自体は孤独な作業かもしれませんが、それを描くに当たって、色々な人や場所と関わることは大事です。それによって、他の人の性格や心の機微まで分かるようになるわけです。いきなり社会のためというのでなく、自分自身のためであってもいいと思います。子供達にはそういう経験をしてほしいし、マンガ館が社会やつながりを経験する場所になればいいと思っています。
 
 谷川――「味いちもんめ」では、主人公を中心に多くの人達の心理的な動きを描いています。マンガ家は、自己否定、他者否定ではなく、自己肯定、他者肯定が強いのではないかと思うのですが。
 
 倉田――そうですね。他のマンガ家がどういうマンガを描こうと、みんなそれは認めています。他者を否定することはあまりないですね。
 
 谷川――他の人を否定する発言をするマンガ家は、ほとんどいません。「味いちもんめ」の登場人物たちも喧嘩するけれど、仲直りして最後はうまく収まっていきますね。
 
 田所――アンパンマンミュージアムは、見てもらうことに重点を置いていますが、学校の授業の一環として美術館などを集団で見学するのは、あまりお勧め出来ない方法だと考えています。興味がある子もいれば、ない子もいるし、作品と1対1で味わったり考えるのが一番心に残ると思います。集団で来ると、その場でおしゃべりするだけで終わってしまう感じです。ワークショップも、本当に興味のある子が来てくれれば、それが1人でも2人でもいいと思います。町内の3歳から15歳までの子供達には、年間6回無料で入館出来るフリーパスを渡していますが、それでも来ない子はいます。誰もが美術やマンガに興味がある訳ではなく、スポーツをするなどそれぞれの生活があるので、無理強いすることでもありません。こんな山の中でも、その気になればこういう施設があることを知っておいてもらえればいいと思っています。
 
 ――石巻市の田代島というところで、2年前からマンガ教室をやっています。倉田先生にも来ていただきました。我々としては、島の自然の中でマンガを描いてもらいたいという思いでしたが、実際には子供達は天気がよくても外で遊ばず、部屋にこもりっきりでマンガを描いていて、企画者側と参加者側の思惑が違っていることに気付きました。
 
 谷川――マンガ教室の企画者としては、自然の中を歩いて欲しいという気持ちがあったのですね。
 
 ――そうです。自転車などをたくさん用意したのに、外で遊ぶよりも部屋でマンガを描きたい子供達の方が多いのです。上級者になればなるほど、その傾向が強いですね。
 
 谷川――でも、マンガが好きな子供が、外で遊ぶよりマンガを描いていたいと思うのは自然ではないでしょうか。
 
 倉田――それについては、企画者側と僕たち講師側がうまく連絡が取れなかった問題もあると思います。プロになって分かるのは、外に出て情報を得るのがいかに大事かということです。その大事なことを教えられなかったから、遊びが中途半端になり、部屋に閉じこもって描きたい、プロのマンガ家の近くで描いていたいという気持ちになったのではないでしょうか。
 
 谷川――少し時間をいただいて、先ほどの倉田さんのお話についてコメントさせていただきます。自分と他者の関係、相手の気持ちを分かること、メッセージを伝えたり受け取るといったことがないとマンガは描けないというお話でした。そう言われてみれば、1人だけのマンガというのはなくて、必ず相手がいて、その人間関係がどう展開していくかがストーリーになっています。これは重要なことなのです。
 私の専門である教育学では、10年近く前から情況論ということが論じられています。教室で先生が教材を提示して子供達に教えていく教育の仕方がありますが、人間はある情況(シチュエーション)の中での行動を通して学ぶものだという考え方です。イギリスの学者が言い始めたのを日本語に翻訳して広まったものです。イギリスでは職人の生活が引き合いに出されました。倉田さんの「味いちもんめ」は料亭の話ですが、親方、兄弟子、弟弟子がいて、そこに新しい弟子が入ってきて、料亭という共同体の中で揉まれて成長していくプロセスを描いています。
 
 職人の世界では、見よう見真似で覚えることが大事です。知識として覚えるのではなく、ある情況で、ある材料があり、人がいて、その中で見ながら学んでいくことが本当の学びだというのです。マンガに描かれているのは情況なのです。生活の舞台がどう動いているかを描いている訳ですから。教育学の世界ではそれを「コンテキスト」(脈絡)と呼んでいます。脈絡の中で人間は生きていて、学んでいくものだという教育理論が情況論です。
 倉田さんが先ほどおっしゃったのは、まさにコンテキストの中で人間が生活していくことで、それをマンガが描いているとするなら、新しい教育理論と同じようなことをしていると言える訳です。そうすると、今までマンガはどちらかといえば非社会的なもの、引きこもってやっているものというイメージがあったかもしれないけれど、本当はマンガを描くには社会的なコンテキストを知らなければならないということが言えそうな気がします。マンガ家は、社会をよく知らなければ描けないのではないでしょうか。
 
 倉田――それは一番大事なことだと思います。最近の若い人達は、ゲームのように自分だけの小さい世界を創って、その中だけでマンガを描いている場合があります。今、マンガが変わってきているのですが、その壁を打ち破ったマンガを描いてくれる人が出てきて欲しいですし、もっと興味を持てる社会であればいいのかなとも思います。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION