日本財団 図書館


質疑応答
 
 谷川――いろいろ重要なポイントも出ていますが、自由にご意見をいただきたいと思います。
 
 参加者3――手塚治虫先生の『マンガの描き方』という本は、プロを目指す人というよりは、親御さんや先生達に対して、マンガを子供達とのコミュニケーションツールにしましょうというのが1つのテーマになっています。田所さんのお話で、せっかくマンガの側まで行っているのに親子のコミュニケーションツールにならないのは、お父さんやお母さんがマンガを描けないからだと思います。皆さんのお話では、マンガ教育を高校生ぐらいでストップさせてしまっていますが、むしろ大人に対するマンガ教育が必要ではないでしょうか。
 また、ワークショップをやるのに、20億円もかけた建物は大袈裟ではないでしょうか。あまりにも素晴らしいものを造ったために、ワークショップの間口が狭くなって20人ぐらいしか参加出来なくなっているのではないかと感じたのですが。
 
 田所――マンガを教えている人から聞いたところでは、若い人達が描くのは身の回りのことだけで、仲間内に向けて描いているところがあって、広い年代層に伝わるような作品にならない。ゲームのキャラクターデザインのほうがお金になるから、そちらを目指す結果、ストーリーや内容に普遍性のある作品が出てこないのではないか、ということでした。すべての年代が共通して見られる作品が限られているのではないかと感じますし、作品自体はよくても、受取側のキャパシティが小さいこともあるようです。
 
 倉田――マンガは月刊誌から始まって、週刊誌が出来ました。現在では、例えば小学館では、ビッグコミック、ビッグコミックオリジナル、ビッグコミックスペリオール、ビッグコミックスピリッツ、ヤングサンデー、少年サンデー等々、大変細分化されていますが、これは年代ごとに合ったものを提供しているからです。
 出版に限らず、例えばウォークマンのような個人向け商品がたくさん出てきています。携帯電話も個人のものです。社会が個人個人の世界になってきている中で、コミュニケーションをとることを教えるのは難しいことだと思います。コミュニケーションをとれる場として食事があるのですが、それすら今では家庭でも別々に食事をするようになってきているので、社会全体の問題として考えないといけないでしょう。
 
 参加者4――日本マンガ学会理事の清水です。倉田先生から、マンガ館にマンガを習いに来るような子はマンガ家になれないというお話がありました。昔は、15歳、16歳ぐらいで完成された作品を描いた人がたくさんいましたが、今の子供達はいろいろな面で成長が遅いのではないかと感じています。そういう意味では、マンガのストーリーを考えるのは、自分の人生や周りのこと、人間関係を考えることになるので、非常によいことだと思います。どんどん進めていただきたい。萬画大学も抽選で20人などとせず、もっと大勢の子供を入れて欲しい。そういう子供達はたぶんマンガ家にはなれないでしょうが、それでもいいのです。本を読まない子、ゲームばかりやっている子を、社会性をもったストーリーのマンガを生み出せる人間に育てることは価値があると思います。
 上田市マルチメディア情報センターの萬画大学では、最後に完成したものを公共施設などで発表するような目的意識をもってやらせたら、よりよいのではないでしょうか。
 
 谷川――ありがとうございました。
 会場に小学校の先生がお見えになっていますので、今日の議論をどうご覧になったか伺いたいと思います。
 
 参加者5――私は授業に関して、谷川先生にお世話になっています。総合的学習が始まりましたが、新しく赴任した学校では目の前に谷津干潟という大きい干潟があるので、何年生でもみんな干潟のことを取り上げているのですが、私は少々食傷気味になってしまいまして、マンガで何か出来ないものかと思って情報を得に来ました。
 子供達はマンガが好きです。谷川先生がクラスで授業されたときにも、とてもよく乗っていました。また、倉田先生のお話にあった、朝起きてから学校に来るまでのことをマンガに描かせるというのは、早速やってみたいと思います。
 私のクラスではマンガを禁止していません。情報を得るうえで、マンガにもたくさんよいところがあります。これから総合的学習のテーマを、マンガと食べ物に変えていこうかなと思っています。
 
 谷川――「コナン」を使って授業をしたときの、担任の先生です。先生の前に座っているのが、その授業を記事にしてくれた毎日中学生新聞の記者の方です。何かご意見がありますか。
 
 参加者6――色々な中学校を取材していますが、教育にマンガを使う学校はなかなかありません。今日のお話では、皆さん、マンガをコミュニケーションの手段に使っていくことを考えておられるようですが、それが社会の問題もあって難しくなっているというお話に大変興味を持ちました。
 
 谷川――他に、ご意見ありますか。
 
 参加者7――マンガ家予備軍100万人と言われる中の1人である娘を持っています。娘は中学2年のときに、自分から筆を持ってマンガを描くようになりました。学校ではいじめにあい、親子関係も非常に悪くなっていました。本人が死にたいと言うぐらい、すさんだ生活の中で筆を持つようになって、授業中に絵を描いていても放置されていました。そのうちマンガを通じて学校外の仲間とコミュニケーションを持つようになりました。今は年に2回、ビッグサイトで開かれるマンガ家予備軍の交歓会に参加し、友達もたくさんできました。マンガについての難しいことはよく分かりませんが、娘の事例を見ていますと、自分との見詰め合い、自分との闘い、人生そのものです。生きていくことをやっと見つけて頑張り抜いてくれて、現在では親子の会話もスムーズにできるようになり、友達ともうまくやっています。
 娘に見られるような効果を考え、またビッグサイトにマンガが人生そのものという人達がたくさん集まることを考えると、それぞれのマンガ館では、あまり多くの効果を期待するのではなく、批判を受けることもあるでしょうが、毅然とした考えのもとに事業を継続して、多くの人がマンガに触れる機会をたくさん作っていただきたい。
 例えば、上田市に廃校になった校舎があれば、夏休みに100人、200人の児童を県外からも集めて、マンガの授業をしていただければいいと思います。紙と鉛筆からスタートするので構いません。マッキントッシュはいりません。まずはそういう機会を持つことです。そのなかで娘のように救われる子供もいることをご理解いただきたい。
 また、倉田先生が言われるように、作家を目指す人は孤独の闘いであって、コミュニケーションをとるためにやっているのではありません。プロとはそういうものでしょう。だから、マンガがコミュニケーションの手段になるという考え方についてはあまり賛成できません。
 谷川先生にご提案します。筑波大学芸術学部マンガ学科を創設してください。
 
 谷川――頼もしいご意見ありがとうございます。
 
 参加者8――日本マンガ学会理事の秋田です。マンガは印刷されたものですので、蔵書の保存をどう考えているのでしょうか。作品が読めるようになっていてこその教育だと思います。というのは、昔のマンガはもちろんですが、まだ連載が終わっていないマンガの単行本第1巻がすでに絶版になっているケースもあるそうです。一般の図書館では消耗品扱いですが、それを残しておくことに関して、お考えはありますか。
 
 谷川――では、今のご質問も踏まえて、パネラーの皆さんに一言ずつご感想などをいただきたいと思います。
 
 斎藤――萬画大学にも、いじめにあっている子供や、学校はつまらないから1人で絵を描いているという子供が来ます。そういう子供達にとって、同じようにマンガ好きな仲間と集まる場は貴重だと思います。100人、200人は、予算の関係もあって難しいですが、できるだけ広く、日常的、継続的に教える場ができればいいと思います。
 大きい施設を造って、かえって間口が狭くなっているというお話もありましたが、実は私もそう思うことがあります。中心市街地の空洞化が問題になっていて、商店街に空き店舗が目立ちますが、そういうところでもいいと思います。問題は、常駐してマンガを教えられるスタッフを揃えるような運用体制ができるかどうかです。スタッフさえいれば、お金をかけなくてもできるし、そういう方向に行くべきだと思います。
 
 田所――当館はやなせたかしの作品に限られますが、館内で見てもらうものと保存するものを分けています。各地からやなせたかしの作品展を開きたいというお話があるので、できるだけご協力をして、多くの方に作品に触れていただく機会を作るようにしていきたいと考えています。施設が充実していない面もありますが、できる範囲の活動で、長く続けていくことを目標にしていきたいと思います。
 
 ――石ノ森萬画館の蔵書は6500点ぐらいあり、一般に公開しているのは6000弱です。貴重な本については別途保管するようにしていますが、どこまで残すかという整理はまだきちんとついていません。消耗品扱いにして3年から5年で廃棄するか、新たにスペースを設けて蔵書していくか、これからの課題だと思います。
 また、娘さんのお話のような例はこちらでもあります。田代島のマンガ教室にぜひ参加させたいという親御さんがいました。お子さんが登校拒否児で、いつもは自分から何かをしたいなどと言わないのに、この企画にはぜひ参加したいと言ったそうです。そこで参加させましたら、たいへん元気に過ごし、マンガを通じて友達もできました。島から帰ってきてからどうなったかはフォローしていませんが、マンガにそういう効果があることは実感しました。
 
 倉田――絶版になった本でも1冊から昔のままに復元してくれる出版社がありますから、多少高くなりますが、それでも1000円以下で手に入れることはできるようになってきています。また、本の保存はたいへんなので、僕は自分のところにもほとんど置いていません。本当に読みたかったら国立図書館に行けば何でもありますから。
 
 谷川――東京財団の日下会長にコメントをお願いします。
 
 日下――私には妹が2人いますが、美人というのは顔が細長いものだとばかり思って、丸顔を嫌がっていました。ところが、このごろの日本のマンガを見ると、丸顔の美少女がたくさんいて、それが活躍をするとだんだん親しみを持つようになりますし、このままいくと世界中の少女が丸顔に憧れるようになるかもしれない。男の方でも、松本零士の描く少年はちんちくりんで、脚があるのかないのか分からないくらいですが、ああいうのを見ると私は心が安らぐのです。
 不細工であっても、たびたび見ていると、それに親しみが湧いてくるものです。「花の応援団」というマンガは、勉強のベの字も関係ないような学生が集まっていて、人間の顔かワニの顔か分からないようなのが無茶苦茶するのですが、これもたびたび見ていると親しみが湧いてきます。
 つまり、世の中の浮かばれない人を浮かばれるようにする効用がマンガにはあるということですね。これを少し進めると、アメリカでは黒人の問題が深刻ですが、黒くても立派な人はいるというマンガを描いたらどうでしょう。そういうマンガを描けるのは日本人です。日本には黒人差別の問題も意識もないからです。それが「ちびくろサンボ」で遠慮してしまったのは、残念なことです。今からでも、誰か、黒人マンガで素晴らしいものを描いてくれないでしょうか。
 
 谷川――ありがとうございました。
 今日は、コミュニケーションの問題や、自己肯定、他者肯定などの問題が出ましたし、子供達がどういう思いでマンガ館等に行っているかという問題が中心になりました。
 私は、今の子供達に欠けているのはイマジネーションだと思います。2週間ほど前に千葉県佐倉市で、6年生を対象に食に関する授業をしたとき、1つの遊びをしました。佐倉市に昔からある焼き鳥弁当、積水化学の合宿所が佐倉市にある縁から高橋尚子、そして順天堂大学のもとになった順天堂病院。この一見関係なさそうな3つのものをつなげて、話をつくるという遊びです。
 6年生ぐらいになると、イマジネーションを働かせて、ものすごくおもしろい話を創ります。例えば、こういうのがありました。高橋尚子がマラソンをしていて、足を挫いてしまったので順天堂病院に行きました。病院では食事に焼き鳥弁当が出て、高橋尚子は焼き鳥弁当が大好きになりました。それから焼き鳥弁当を食べながら佐倉の町を走ったので、名物になり、鳥の数が減りました。オチがおもしろいですし、こういう発想はまさにマンガチックですね。
 事実には関係なく、イマジネーションを働かせて物語ができるかどうかなのですが、こうした能力も、今の教育の中では、中学校でガクンと落ち、高校へ行くとさらに落ちて、大学では何もなくなってしまいます。そして、子供だけではなく、イマジネーションを働かせて自分の世界を創り上げていく力が、今の日本には欠けているのではないかと感じています。
 今日は、3つの特色あるマンガ関係機関のお話を伺いました。3種3様の面白い議論ができたと思います。倉田さんにも、ぴったりのお話をしていただきました。ありがとうございました。


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