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アンパンマンミュージアム(高知県香北町)の場合/田所菜穂子
 
 田所――正式名称は「香北町立やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム」という長い名前です。香北町は、高知市から車で1時間ぐらいの山の中にある、人口約5300人の小さい町で、町としては最初、こじんまりした「やなせたかし記念館」を目的にしていましたが、やなせさんが自分の名前を冠した記念館などおこがましいし恥ずかしいから「アンパンマンミュージアム」にしようと言われたので、折衷して両方をくっつけたため長い名前になりました。アンパンマンミュージアムは6年前にオープンしましたが、その後、詩とメルヘン絵本館と別館が建設され、現在の建物は3つになっています。
 香北町は、やなせたかしさんのご両親の出身地で、やなせさんも幼少の頃に何年か住んでいたことがあります。町では当初、町民のための総合文化施設を計画しており、そこにやなせさんの作品を展示させてほしいという話を持っていったところ、快諾いただいたばかりか、作品をすべて寄贈していただくことになったので、急きょ構想を変更して、やなせたかし記念館という美術館にしました。
 施設の目的は、やなせさんの作品の収集、保管、展示、そして町民の文化活動の支援であり、マンガ、絵本、詩を中心に、広い意味での文化に関する情報を全国に向けて発信するものです。したがって、アンパンマンという1つのキャラクターにこだわって立ち上げた訳ではありません。
 やなせさんから提案された、楽しい気楽画廊、周りの自然を一緒に楽しみ、いくらか退屈するような、ゆっくり流れる時間を楽しむファミリーミュージアム、というコンセプトによって造られています。そのため、刺激的なもの、インパクトの強すぎるものは出来るだけ排除したいというお考えでした。当館にはテーマパークを期待して来られるお客さんも多いのですが、あくまでも美術館としての基本姿勢を崩さず、ゆったりした時間を過ごしてもらう趣旨を貫くようにしています。
 しかし、やはりアンパンマンという名前が付いているので、乗り物がありますか、子供が行って楽しめますか、といった質問や要望が寄せられることも多く、上質な娯楽的要素に関しては出来る範囲で採り入れていく考えです。アンパンマンワールドというコーナーは、絵本の世界を立体的に体験出来るもので、子供達が退屈しないように工夫を凝らしたものですが、これも乗り物が動くといったものではなく、むしろビデオや音声システム、ジオラマなどで楽しめるようにしています。
 館としては、アンパンマンをはじめとするやなせたかしさんの作品に込められた、マンガの基本にある精神、作者の思想を大切に伝えたいという考えがあります。やなせさん自身が色々なところでお話になっていますが、人間としての小さな思いやり、命、食べ物に困っている人を助けることが最低限の正義である、正義には自己犠牲が伴うものであるといったことで、「愛と正義と勇気」を感じとってもらいたい、マンガ、アニメ、絵本など、普段何気なく見ているものの奥にはこうした精神があることを伝えたい、というのが一番の目的です。やなせさんは本の中で、「アンパンマン、ここがきみの家だよ。ぼくときみの心が住むんだ」と書いてくださっています。
 当初は入館者を年間10万人と予想し、客層も3歳から大人を想定して設計しましたが、開館以来毎年20万人ぐらい入っていて、アンパンマンのファンも1歳、2歳ぐらいが中心ということで、建物の機能が実際の来館者と合っていないために苦労している面もあります。予想の倍の来館者があるため、町が期待した以上に観光の活性化にはなりましたが、アンパンマンのあまりの人気ぶりに町としては多少戸惑っているところもあります。
 版権や商品化権などについても、予想していなかったような細かい制約があって、難しいことがあります。「アンパンマンミュージアム」という名称にしても、別のところが商標登録をしています。人気のあるキャラクター自体が権利のかたまりですし、当館は版権をもっていないので、キャラクターを使いたいと言われても当館では対応出来ません。展示の質に関しても、館独自では決められません。現在、テレビアニメが放映されていることもあり、テレビ関係、アニメ関係の権利が複雑で難しい問題であることを日々実感しております。
 アニメで知られているアンパンマンは、もとは絵本でした。やなせさん自身も、アンパンマンをマンガとは思っていないと言っています。最初は大人のためのメルヘンとして始まり、アンパンのような顔をしたおじさんが進化して、飢えている子供に自分の顔を食べさせるアンパンマンになったのです。出版社や評論家など大人には不評だったにもかかわらず、保育園児の間で大ヒットし、絵本としてのベストセラーになりました。アニメになって全国的に認知され、子供達の圧倒的な人気を誇っています。
 なぜ、それほど子供達に人気なのか、やなせさん自身もよく分からないと言っていますが、私が見ていて感じるのは、アンパンマンはお母さんキャラクターだということです。お母さんは、子供が困って泣いているとすぐに助けに来てくれる、お腹がへっていればご飯を食べさせてくれる。2、3歳ぐらいまでの子供にとって、お母さんは絶対的な存在であり、決してかっこよくないし、強くもないけれど、子供にとってはスーパーマンなのです。アンパンマンにはそういうお母さんと同じところがあります。また、丸い形と赤い色は赤ちゃんに最初に認知される形と色ですし、食べ物は子供も大好きなものですから、まさに子供に受け入れられる要素の揃ったキャラクターだったのだと思います。
 乳幼児にとっては、絵本やマンガやアニメといったジャンル区分があまりなく、おそらくフィクションとノンフィクションの区別自体もあまりないと思われます。当館では、やなせさんの描き下ろしのアクリル原画を展示しており、これは50号、30号といった大きいものですし、子供達と同じぐらいの大きさのアンパンマン人形があったりしますから、その中で子供達は絵本やアニメの世界を現実に体験し、楽しんでいるではないかと思います。
 一方、親から着ぐるみの登場を望む声が多かったので、地元の高校生に着てもらっていますが、これは子供には必ずしも好評ではありません。子供達がアニメや絵本でイメージしているアンパンマンの大きさは、自分と同じか少し大きいぐらいだと思いますが、着ぐるみになるとかなり大きいですから、恐くて泣き出す子供もいます。それでも一緒に写真を撮ろうと親や祖父母が無理強いしている場面もあって、かわいそうだと思うことがあります。
 小学生になると、もう着ぐるみの中には人間が入っていることを知っていて恐がりはしませんが、保育園のときは恐くて大嫌いだったと訴えてきた子供が何人もいました。大人には楽しそうに思えても、子供にとっては大いに迷惑なこともあるので、親達もその辺を考える必要があると思います。
 他の展示は、出来るだけ子供の目線に合わせた形にしています。エントランスには展示物が床に埋めこんであるのですが、子供達に大変人気があります。
 当館は、やなせさんの希望もあって、子供が最初に出会う美術館、あるいは美術に興味のない大人も一緒に観て本格的な美術館への入り口になるような美術館を目指しています。しかし、テーマパークと間違えてくる人達もいたり、子供に絵を見せても分からないだろうと言われることもありますが、実際には絵本を楽しめる子供であれば絵も十分に楽しめると思います。絵の中にアンパンマンを見つけるだけでも子供達は喜びますが、親の方が絵を観てもしょうがないと言って、せっかく子供に芽生えた絵に対する興味を疎外していることがよくあります。小学生ぐらいになれば自分の興味によって選択出来るでしょうが、3歳以下の子供では親の態度が大きく影響すると思います。多くの方に利用していただいていますが、このままでよいのかと悩むところもあります。
 やなせさん自身が、マンガだけではなく詩やメルヘンなど、さまざまな分野で活躍されているので、当館もマンガ館というよりは、イラスト、絵本、詩などを含めた、子供も大人も楽しめる総合的な文化を紹介していこうと考えています。やなせさんの作品だけではなく、若手作家の作品を展示したり、家族で楽しめるマンガ家の作品展なども企画しています。
 これまで手塚治虫さんや藤子不二夫さんなどの作品展を開きましたが、反応はまちまちです。「両方見られてラッキーだった」と言う方と、「アンパンマンを見に来たのだから他のものなど見たくない」と言う方が半々ぐらいの割合でしょうか。受取側の間口の問題を感じてしまいます。こちらとしては、「お父さんが子供の頃は鉄腕アトムを見ていたんだ。おもしろいんだよ」などと話しながら親子で楽しんでいただきたいと思っているのですが、どうも最初から拒否反応を示す方が多く、スタッフもショックを受けています。テレビアニメの影響力は大きいのですが、現役で放送しているものが強く、放送が終わって数年たったものなどは、あっさり忘れ去られてしまうような感じもします。
 それでも、よいものは残したいし、残って欲しいので、紹介を続けていきたいと思います。決して古くなっているわけではなく、子供達が接する機会が失われていただけなので、そういう機会を作っていきたいと思っています。
 ワークショップも年2回ぐらい開いていますが、小学生以上を対象にした工作教室は、アンパンマンという名前のせいか、地元の小学生も見向いてくれません。おもちゃ工作、パンづくりなどをしましたが、保育園児、幼稚園児が中心になってしまい、とりあえず紙にクレヨンなどで描くだけで喜ぶようなレベルで終わってしまいます。
 無料で参加を呼びかけても、子供の服が汚れるから、一緒にやるのは面倒だからと、敬遠する親が多いです。人形劇をやるというと、その場ですぐに100人ぐらい集まりますが、これから工作しますと言っても4、5人ぐらいしか入らないことがあります。学習というには小さすぎるお子さんを連れたお客様が多いので、そういう状況になってしまうのかもしれません。
 
 谷川――高知県の人口が80万人ぐらいですから、田舎の山の中まで年間20万人も来るのは大変なことだと思いますが、家族ぐるみ車で来るので、4、5人が一緒に入ることが多いようですね。
 
 田所――そうです。当館は山の中にあって、それほど多くの人が県外からも来るとは予想していなかったので、開館当初は昼食を食べる店もないし、トイレの設備も整っておらず、ゴミの処分にも困るといったような、基本的レベルの用意がされておらず、混乱がみられました。
 
 谷川――石ノ森萬画館はストーリーマンガの世界ですが、アンパンマンミュージアムは趣が違います。倉田さん、やなせたかしさんのような作品をストーリーマンガ家としてどう見ているのでしょうか。
 
 倉田――僕も昔、やなせさんがNHKテレビでやっていたマンガ教室を見て育ちました。ストーリーマンガとの大きい違いはないと思います。大人になった僕たちがストーリーマンガを読むのは精神的な満足感を得るためですが、子供達がアンパンマンを見るのも視覚や触覚を通じて安心感を得るためで、基本的に同じではないかと思います。
 
 田所――やなせさん自身は、4こまマンガや1こまマンガで育ち、そういうマンガ家を目指していたので、劇画が出てきた時点で乗り遅れてしまったというようなことを、色々なところで書かれています。しかし、表現方法が違うだけであって、メッセージを込めたり、視覚的に訴えるのは同じなので、あまりジャンルを分けることに意味はないような気がします。


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