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■モノに囲まれた世界を描く(荻野昌弘)
 では、具体的にどういう世界がマンガを通じて描かれたかというと、私は、それはモノに囲まれた世界、言い換えれば、1960年代ぐらいから形成されつつあった、消費社会あるいは消費文化を表現したのだと思っています。例えば『ちびまる子ちゃん』に、遠足に行く前日にお菓子を買いに行く話があります。これに限らず、『ちびまる子ちゃん』には、何かを買うといったような、モノ(商品)に関するエピソードが定期的に出てくる。すなわち、商品なしには暮らせないような世界の存在を描いている。これは『ちびまる子ちゃん』だけではなく、2日間マンガを読んでいた時に、モノに囲まれた世界を描いているという視点から説明できるかどうかを見たのですが、意外にモノを買うエピソードが出てくることが多いのです。
 単にモノに囲まれているだけではなく、口をきくモノであるロボットが主人公になったり(『鉄腕アトム』『ドラえもん』)、ヒト自体がモノ化していくことも描いています。例えば、高橋しんの『最終兵器彼女』では、主人公の彼女が自衛隊の最終兵器になっていて、最後は地球には主人公と彼女しか残らない。この他にも、ヒトがモノ化していくタイプの話はいくらでもあります。『巨人の星』の大リーグボール養成ギブスも当てはまるのではないかと思います。
 では、マンガが日本だけではなく世界に広がったのはなぜかと考えると、やはりモノに取り囲まれた社会、消費社会の現実と未来を描いていることが大きいのではないか。昨年、フランスにいた時に、知り合いの社会学者(フランス人)から息子さんが日本のマンガをよく読んでいると聞いたので、違和感はないのかと尋ねたら、それはないようだと言っていました。主人公の振るまい、関心があるもの、扱っているものは、フランスにもあるし、子供たちは違和感を感じることなく読んでいるようです。フランスの子供向けの「マンガ」という雑誌には、『ドラゴンボール』などが掲載されています。
 さらに興味深いのは、フランス版コミケ(コミックマーケット)を紹介した記事に、フランスの少年たちがスラムダンクのコスプレをしている写真が載っていて、そのうちの1人はたぶん、主人公と同じように髪を赤く染めているようです。すなわち、すでに日本であるとかフランスであるとかいうようなものではなく、ある種の普遍性を持った文化が浸透していることが分かります。
 マンガがなぜ、日本人だけではなく、ほかの国の子供たちの関心を引くのかといえば、おそらくは、現代社会の動き、現代社会に生きる人たちの欲望、あるいは現代社会の趨勢を適切に表現する可能性を一番持っているメディアの1つだからだろう。
 マンガは、モノに囲まれ、欲望を常に喚起する世界を描くから、ある時期までは悪い欲望とされていたようなもの、例えば性的な欲望なども必然的に描いてしまう。消費社会の中で生きていくことを完全に否定することは不可能だし無意味でもあるので、マンガがそういう世界の中で人々がどういう願望を持っているのかを描き、子供もそれを知ることは意味があると思うし、マンガを有害だとして封じ込めるのは逆にマイナスではないか。
 先ほど話に出ていたように、私も、光と影を分けて考えること自体、あまり意味がない時代に入っていると思います。マンガに暴力描写があると、その影響で少年犯罪が起きるのではないかという短絡的な批判がよくありますが、必ずしもそこに相関関係があるとは思えません。少年の凶悪犯罪は大きく報道されますが、少年の犯罪率は戦後一貫して低下していますから、マンガも含めて様々な表現が子供に悪影響を及ぼしているとは言えないと考えています。
 
 谷川――モノに囲まれた世界を描くことによって、日本のマンガが世界に広がったというのは、言われてみればそうかなと思います。日本の作家は日本の子供の消費生活の現状を描くけれど、それに対する憧れみたいなものが、東南アジアの子供たちにはあるかもしれない。ただ、モノを描いただけで、マンガがこれほど広がるものかなとも思いますが。
 
 荻野――もちろん一番重要なことは、馬居先生が指摘されたマンガの表現方法自体です。非常に特殊な形で言葉とイメージを組み合わせて、言葉にならないような部分を上手く表現していくということが大きいわけです。表現する時に言葉を尽くす文化は、欧米だけのものではなく、中国もそうではないでしょうか。ところが、日本だけはそうでない部分を表現するマンガというメディアを生み出したので、これは日本文化の特徴と密接に結び付いているでしょう。日本人以外の人たちにも当然、行間を読んだり、相手の気持ちを察するという感覚はあると思います。ただ、それをマンガのような形で表現することが今まではなかったので、そういう意味で、表現のメディアとしてあっと驚かせるようなものがあったのだと思います。
 フランスの学生たちに、日本文化について、間を重んじること、自分の思いをすべて言葉にしないことが特徴だと話したら、学生たちは「ああ、それはマンガみたいな感じでしょう」と言っていました。
 
 馬居――マンガ的な表現に対する構えみたいなものを受け入れる素地は、それぞれの国が持っていると思いますが、日本の場合はそれをかなり高度に洗練させた。
 韓国でマンガを出版している社長が、今は韓国のマンガが中国にたくさん行っていると言いました。中国が経済成長している勢いと、かつて韓国が経済成長していた時の勢いの中で生まれたものとが、ちょうど合っているというのです。マンガは、モノそのものというよりも、モノとの関わり方の表現なのであって、アジアの国が興隆していく中で、先に進んでいる国からマンガが入ってくるので、一種の先取りのノウハウを伝えていくような部分があるのではないでしょうか。
 
■私のホラーマンガは時代をキャッチ(犬木加奈子)
 犬木――私はただのマンガ家ですし、子供の頃から親に「マンガばっかり読んでいるんじゃありません」と叱られ、隠れて描いているうちにマンガ家になってしまったようなものなので、今日は批評される立場のような、妙な気分でここにいます。私は、マンガを研究したこともありませんし、自分のキャラクターの名前を考えるのに一生懸命という状態が10年以上続いているので、自分がマンガ家としてどうやってきたのかという経験を素直にお話するしかありません。光と影といったことは、マンガを描いている中で自分にも降りかかってくる問題ですし、それがまた作品にも影響したことは事実です。
 私がデビューしたのは昭和62年でした。その1年ぐらい前に日本で最初のホラーマンガ雑誌「ハロウィン」が創刊され、それを受けて一気に世の中にホラーマンガが広まりました。「ハロウィン」創刊以前のマンガ界では、一時、醜い表現、暗い表現がとても嫌われて、当時は怪奇マンガ、恐怖マンガと呼ばれたものがいっせいに排斥された時期がありました。しかし、いつの時代にも子供の中には恐いマンガを読みたいという気持ちがあるので、ホラーマンガ誌が登場したのだと思います。ただ、当時は、ジャンル誌はせいぜい10万部程度と言われていたので、その後10年でホラーマンガ誌が本屋さんの店頭を賑わすとは思ってもいませんでした。
 私も最初は、ホラーは暗いものとして嫌われるのではないかと思っていました。私が「ホラーの女王」という異名をとった一番の要因は、それまで女流マンガ家で怪奇性のあるマンガを描ける人がいなかったからだと思います。作家も所詮は1人の人間ですから、「こんなものを描いたら恥ずかしい」とか、「ここまでは表現できない」というためらいが、以前の女流作家にはあったような気がします。サスペンスもの、ミステリーもの、心霊ものを描く女流マンガ家はいましたが、月刊誌で堂々と怪奇性を強調して描いたマンガ家はいなかったので、それをした私が「ホラーの女王」と呼ばれるようになったのではないかと自分では分析しています。
 デビューして間もなく、いじめを苦に自殺をするというニュースが頻繁に流れるようになりました。痛ましい事件が報道され、テレビでも大きい問題として取り上げられる時期がありました。いじめは、いつの時代にも、どこにでもあるものですが、当時はいじめられている側が、いじめられていることに対する恥ずかしさを持っており、だから親にも友達にも相談できない状態だったのではないかと、報道などを見ていて思いました。私は、自分も子供の頃、いじめられっ子だったことを思い出しました。いじめられたという感覚は人によって違うでしょうが、多くの人は子供の頃に、いじめや疎外の経験があったと思います。大人になれば、そういうことは誰でもあると分かりますが、子供の頃にはいじめられている自分が異端者であり、悪いのではないかという意識が強いのではないかと思います。
 それで私は、『不思議のたたりちゃん』を描きました。いじめられた子がいじめた子にたたりで仕返しをするという、ちょっと不道徳的なマンガですが、内容はごく普通の女の子が悩んでいるようなことをテーマに等身大で描きました。マンガの悪いことを子供が真似すると言われたこともありますが、作者の方が時代をキャッチして描くこともあるわけです。私は当時、このマンガはとてもお説教臭いと自分では思っていたのですが、子供の反響は大きくて、ダンボール1箱ぐらいのファンレターが届いたこともあります。そのファンレターのすべてが、自分がいじめられているという、被害者意識で書かれたものでした。自分はいじめをした、悪いことをした、申し訳ないといった、反省的な内容は1通もありません。人というのは、子供の頃からいかに被害者意識が強いものかというのを、改めて認識させられました。
 そうこうするうちに、いじめによる自殺というニュースは潮が引くように静まっていきましたが、数年後にいじめ問題が再浮上してきた時には、ほとんどリンチ殺人のような形の事件としてニュースになりました。そこにある子供を取り巻く社会現象の流れみたいなものを、私はマンガ家の視点で見てきました。
 いじめではないですが、猟奇的な殺人が何度も起きて、そのたびにホラーマンガには自主規制が入りました。先人たちが苦労をし尽くして、今のマンガ家は何でも自由に描けていいじゃないかと思われるかもしれませんが、そういう事件のたびに、相変わらず自主規制は入ります。そこで問題を起こしても大勢の人たちに迷惑を掛けるだけだから、マンガ家も大人にならなければいけないと我慢をします。一部の人たちからは、マンガ家は出版社にうまく操られているだけで、自分たちは少しも闘わないなどと言われますが、そんなことはありません。おそらく多くのマンガ家が、担当編集者との間で、言葉ではなく意味で作品を読んでもらえれば、この作品は違うことが分かってもらえるはずだと、話し合っていると思います。ちょっとくそ真面目な話になってしまいましたが、私はホラーマンガ家として、常にそういう状況に直面してきました。
 私ではありませんが、回収事件もありました。ある作家が猫の惨殺シーンを巻頭カラー4ページで描いたところ、動物愛護団体からクレームがあったらしく、そのマンガはそれ1回きりで、単行本になることもなく闇に葬られました。
 そんなふうに世の中の動きに振り回されるマンガの現場というものがありますが、正直なところ、私自身にもマンガはオールOKとは言えない気持ちがあります。表現したものを受取側がどう感じるかに託すしかありませんが、小さい子供がショッキングなシーンを見てひきつけを起こすようなことも実際にあると思いますし、私も子供の頃に残虐なシーンは本当に恐ろしくて見られなかった記憶があります。マンガだから描ける世界もありますが、その辺のことはマンガ家の私自身が今、躊躇を覚えつつ、考えながら描いている最中です。創作しようという意欲が生まれる時にはいろいろな理由があると思いますので、同じ表現者の立場から言えば、それを絶対に止めてはいけないと思います。創作物にはどんなものにも罪はないと信じて、これからもマンガ家を続けていこうと思っています。


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