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■読者次第で光にも影にもなるマンガ(馬居政幸)
 今回、このテーマをいただいて、学生たちと取材をしましたが、人気があるのはほとんど美形の世界です。描かれている絵柄は、かつての男の子のマンガよりは、少女マンガの系列に現れているようなものです。「ジャンプ」のマンガも線がどんどん細くなっていて、女性誌から育ってきた人たちが進出しています。
 現在の中高生が好んで読む女性のマンガには、かなりセクシャルな世界が頻繁に、かつ自然に出てきています。それだけでなく、女の子が女になっていく上で、これまで閉ざされていた、表現できなかった、あるいは表現してはいけなかった、自分というものがかなりはっきり表現されるようになってきています。それが10年前のジャンプワールドと同じなのか違うのか、まだ私には明確に判断できませんが、非常に新鮮な、その意味でマンガの新たな可能性を感じています。
 様々なメディアがある中でマンガも、女の子が女になっていく過程において、自己を表現する、自己を確認する、あるいは自己を磨いていくものの1つになっている。あるいは、確かさを疑うことすら疑わしく思える社会に育つ人たちの確かさを求める旅、と言ってもいいでしょう。感覚的なもので生きていると批判される場合もありますが、その感覚を確かなものにする基準を、今育っている人たちに私たちは与えているでしょうか。学校で性的なことは拒否する一方で、テレビでは差別も含めてふんだんに表現しています。にもかかわらず、「お前たちは」などと言っても、誰も聞くわけがありません。
 私が今回取材を手伝ってもらった女子学生たちも、一生懸命に自分の内面と外面の表現をコントロールしようとしていますが、そのコントロールする術を誰が教えているのでしょうか。光はいつも強調されますが、影があることを、そしてなによりも影をどうコントロールするかを、誰が教えるのでしょうか。「自分で学んだ」と言うなら、本当にそうだったのでしょうか。友だちから、先輩から、近所のおじさん、おばさん、そして親をモデルにして、反面も含めて、様々な人間関係の中で獲得してきたのではないでしょうか。現在、思春期を迎えている人たちに、そういう人間関係が保証されているでしょうか。
 何が光で何が影かが曖昧になった社会において、光はこのように必要だし、影もこのように必要だということを教えていくのは難しいことかもしれませんが、その担い手となる可能性を持ったメディアとして、マンガを位置づけたいと思います。
 マンガの持っている特性の1つとして、作者と読者が常に添い寝をしなければいけないことがあると、私は思います。テレビが視聴率に縛られているように、マンガもテレビほどではないけれど、様々なシステムを通じて売れるマンガ、読まれるマンガが求められます。同時に作家は描くことによって成長していくと思います。読者の反応と内側から出てくるものによってストーリーもキャラクターも、変わって、成長していきます。マンガは、読者と非常にコミュニケートしやすいメディアです。テレビは入っていくことができませんし、アニメはマンガと似ていますが、全く違います。
 マンガは、時間と空間を表現として自在に変化させると同時に、見る場所、見る時間、見る雰囲気などは読者が自在に使えます。あるいはマンガが何を言おうとしているか、読み取る側が変えることも可能です。かなり読者の側に寄ったメディアなのです。勝手な解釈が許されると同時に、読者の意向を作者に反映するシステムとセットになることによって、読者との共同制作が実質的に行われやすいメディアです。そういう意味で、一定期間連載される作品、あるいは長い寿命を持った作家は、読者との共同作業の中で作品を生み出しているといえます。
 したがって、マンガの光と影、それを良い影響と悪い影響という意味でとれば、それを判断する基準は読者の側にあります。これは、よくテレビの言い訳に使われる程度の意味ではなく、できる余地をかなり残したメディアだということです。マンガはまさに読者が選択しうる、読み替えうる、敢えて言えば読者が作ることができる余地をかなり残したメディアだということです。
 
 谷川――馬居先生は現在、韓国で研究していらっしゃるということなので、韓国の事情をお聞きしたいのですが、韓国では、最近は少し事情が変わってきたとはいえ、今でも国がマンガをコントロールをしています。つまり、国が光と影を決めていくようなところがある。日本はそうしなかったところが良かったと思っているのですが、光と影を誰が決めるかということについて、韓国の事情も含めてお話いただけませんか。
 
 馬居――韓国では、政府が倫理委員会で検閲していますから、行きすぎた部分はカットします。その場合、2つあって、1つは日本に関する部分の行き過ぎをカットする。もう1つは、伝統的な儒教倫理に基づく、性的な描写に対する規制です。しかし、政府がコントロールできるのは、コントロール可能な業者が出版するものだけです。日本のマンガは法的には全面開放されていませんが、実質的には全面開放に近い状態です。韓国には、かなり以前から、日本のマンガは翻訳、出版されていました、これらの全てを政府がコントロールすることは不可能でした。現在私と同じ年代の人たちでも、子どものころ、日本のマンガを読んだ方はたくさんいます。ただし、その多くは日本のマンガとは知らずにです。韓国の作家のように名前を変えただけの、粗悪なコピーもありました。
 つまり、韓国の場合、政府が日本的なものと性的なものを中心にコントロールしていますが、実際には光と影については、社会が持っている漠然とした共通の倫理観みたいなものによって嗅ぎ分けられていると思います。マンガは影の部分を多分に担わされてきたし、それによって独自の領域として発達した部分があると思いますが、マンガが一つの産業となるには、それだけでは無理です。日本のマンガはかなり早い段階から、子供たちを消費者として位置づけ、子供たちのために描くという面がありました。それが韓国に、あるいはアジア全体に流れていく力の源になったと思います。
 7、8年前に韓国で『ドラゴンボール』が人気になった時、韓国の人が、亀仙人は悪いと言いました。エッチな老人だからです。日本では認められる性的な描写も、違う社会では認められない部分もあります。だから、外国に輸出したくないという作家や出版社もありました。マンガには確かに普遍性はありますが、作家や読者が生きる世界の文化に規定されたものでもあります。その意味で、政府に規制とは別に、翻訳する過程でカットや修正がなされる場合が多々あることも指摘しておきます。
 
 谷川――犬木さんに伺いたいのですが、マンガの光と影を誰が決めるかという問題とは別に、マンガはマンガの中に光と影が同居しているのではないかという感じがしますが。
 
 犬木――日本のマンガはもともと1色刷りで白と黒しかないので、それを光と影と捉えると、確かにその通りです。本能的に絵としてのデザインを取ろうとする行為と、ドラマにおける心理描写の白と黒のバランスを取ることを、マンガ家は知らないうちにやってきたと思います。
 
 谷川――何が白で何が黒か、何が光で何が影かということは、そう簡単に決められないし、それでいいのではないかと思いますね。人間そのものが影であったり、光であったりするわけですから。そんなことをマンガは自然にやってきたわけですね。
 
 犬木――アメリカなどは勧善懲悪で、もっと単純に整理された心理描写しかありませんでした。日本のマンガは、もっと複雑な人間を描いてきたので、白と黒が分けられないことを知っているのだと思います。
 
■マンガは現代社会を上手く教える(荻野昌弘)
 荻野――すでに結論が出てしまったような気もしますが、今の話の続きで言えば、1つには、日本の1960年代ぐらいから出てきたマンガ週刊誌に掲載されているマンガは、それまでの子供が読むような読み物ではなくなった。それ以前は、アメリカのマンガのように勧善懲悪が説かれていた。例えば、大正時代に出てきた絵本などで説かれていたのは、ある種の道徳だった。ところが、「少年マガジン」「少年サンデー」などのマンガは、なぜか勧善懲悪の道徳の世界から外れたものを描いてしまったところが、日本マンガの大きい特徴ではないかと思います。
 実は1週間ぐらい前に、今回のテーマについて考えようと思ってマンガを読み出したのですが、読むだけで2日ぐらい費やしてしまいました。つまり、マンガの良くないところは、読み出すと止められないところなのです。中身がどうあれ、ずっと読んでしまう。結局、2日間、マンガの光と影について考えることはできませんでしたが、それは非常に幸せな体験でした。
 昔、「マンガばっかり読んでいないで勉強しなさい」と言われたように、マンガはある種の中毒作用を及ぼす。私がそうした中毒作用を受けるのは、マンガと映画だけです。その他のことは、どこかで醒めていて、例えば一日中、音楽を集中して聞いていることはできない。マンガには中毒作用があるために親は怒るわけで、長い間マンガは良くないものとされてきて、光の部分について積極的に論じることはされなかった。私も馬居先生もマンガの研究をし、本を出していますが、これは学者としてはまだマイナーな部分であって、ようやく光が当てられ始めたところだと思います。
 では、マンガについて考えることに、どんな意味があるのか。マンガらしきものは日本以外にもありますが、我々が「マンガ」と考えていて、韓国人やアメリカ人も日本のマンガを読むときに考える「マンガ」には、やはり特徴がある。先ほど、マンガの表現形態について、あまり言葉を使わずに恋愛のコミュニケーションを表現できるとか、文字で表現したら膨大な量になるものを絵と言葉の組み合わせでうまく描いているといったことが指摘されました。私はさらに、マンガが1960年代ぐらいから非常に発達してきたということ、また、単に日本だけで発達したのではなく、地域的な差はあるにしても世界に広まっていったという、2つの点に着目したいと思います。
 マンガの表現形態が確立したのは1960年代ごろですが、それは決して偶然ではないと思います。当時、学校教育のような正統的な、良いとされている教育とは別のところで、子供たちの間に通用する一種の「教養」が流布されはじめた。これをマンガ家の竹宮恵子さんは、「真実を伝える」「本音を伝える」教育であると指摘しています。その「教養」がどういう効果をもたらしたのか。私自身は、小学校時代に毎週マンガ週刊誌を買って読んでいましたが、マンガを通じて自分たちが生活している世界、社会を見る力が養われたと考えています。
 私は社会学が専門ですが、マンガには非常に意味があると考えます。友人の社会学者たちに、ヘタな社会学の本を読むよりもマンガを読んだ方が現代社会のことがよく分ると言ったら、そんなことはないと顰蹙を買ってしまいました。
 マンガはいろいろな世界を描いており、子供にとって身近なものから縁遠い世界まで、あるいはそれまで知らなかったような世界も描いており、初めてこういう世界もあるのかと教えられる。私は戦後世代ですが、小学校の時に「少年マガジン」で、ちばてつやの『紫電改のタカ』を読んで戦争のイメージができた。そのイメージが正しいかどうかは別にして、戦争があることを知ったのです。そういう意味で、マンガは様々なことを教えてくれる。学校の勉強で、ちばてつやが描いているほど細かく、戦争について語ってくれることはなかった。
 それら子供が知らなかった世界の中には、当時の道徳観では必ずしも善しとされていなかったものも含まれていた。特に性(セックス)とお金と暴力に関わるものがマンガに描かれて、批判を受けることがありました。有名なのは、「少年ジャンプ」に掲載された『ハレンチ学園』です。新規参入の雑誌だった「ジャンプ」は、このマンガのおかげで売上を伸ばしたのではないかと思いますが、大変な批判も受けました。
 マンガが批判される状況、いわゆる有害コミック問題は、定期的に現れては消えています。最近では、1990年代初めごろに問題になって、やはり性に関する描写が非常に批判されました。ヨーロッパでは、性よりはむしろ暴力描写が批判の対象になっています。いずれにしても、マンガは教育的によくないと言われてきた。しかし、それでもマンガは、日本で生まれつつあった社会、そこで渦巻いている欲望みたいなものをシンボリックに表現してきたことで、非常に興味深いものでした。子供の側からすれば、マンガというメディアを通じて社会を見、いかに社会と接するかを教えられたのではないでしょうか。
 ちょっと唐突な比較かもしれませんが、これは、18世紀(江戸時代)の日本で、近松門左衛門が『曽根崎心中』を浄瑠璃で上演したのと似ているのではないでしょうか。『曽根崎心中』で描かれている町人たちの世界――お金と恋愛を近松が描き、同じ町人である観客たちが観ている。当時の観客たちは、『曽根崎心中』の舞台を通じて自分たちが生活している社会を見ていたわけです。それと同じことが、マンガと読者の間にあったのではないかと考えています。ただ、マンガは、子供が読んで社会を捉えるためのメディアとして出てきたところが違います。


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