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先手力の効き目
 「先んずれば人を制す」の面白い実例にこんなのがある。
 「メリーちゃんとクララちゃんは仲のよい姉妹でした。あるとき、おやつの時間に二人がテーブルに行ってみると、テーブルの上にはケーキが一つしかありませんでした。そのとき、心の優しいメリーちゃんはワーッと泣き出して『クララちゃんのケーキがない』と言いました」
 まさに「先んずれば人を制す」の好例である。
 
 日本外交は国際会議でこんな目にあわされどおしだから、好例を思いつく人はぜひ一文をお寄せ下さい。
 それから、もしも日本外交が上手に反撃すれば、これは先手有利の好例ではなく後手有利の話に変わるから、ぜひその提案があればつけ加えていただきたい。
 日本のため、世界のため、それからわれわれ一人ひとりの思考訓練のため、クララちゃんは何と言えばよいかを考えて下さい。
 
 将棋界は先手有利を関係者全員が信じている。それなら先手必勝法があるはずだと考えて、その発見を夢みる人が多いがまだ発見されない。
 そこでベテランは、今まで通り中盤以降の乱戦混戦の中のひらめきが勝負だと主張する。しかし若手は、コンピューターを使い、時間と体力を傾けて序盤戦の研究を重ね、今は研究済みの序盤戦が中盤にまで及んでいる。
 
 つまり、誰もが「ここからは応用の世界で先手の有利はもう消えた」と思うところまで若手が事前の勉強をつくしたのである。しかし、不思議なことにその徹底した序盤戦の研究は、先手有利には直結せず、一手損の角換わり(腰掛銀)戦法など、後手有利の新戦法が発見されたりする。将棋は奥が深い。
 
 そこで、元名人や著名将棋評論家に「ホントに先手は有利なのですか」ときくと、「統計によれば先手の勝率は五十一%と一寸だ」などと答える。これは統計学者か商売人の答だから、先手力の有無をホンキで考える本稿の議論には使えない。
 せっかくその道一筋の人と思って質問したのに逃げられてしまったが、多分ホントの答は、「それが分かれば苦労はない」、「まだ分からない」、「素人はうるさい」だと思う。
 
 つぎは政治の世界で考えてみよう。
 田中角栄氏にこんな話がある。ウラ金の出入りについて国会のナントカ委員会に呼ばれたとき、彼は「ヤア、ヤア」と言いながらスタスタと部屋に入ってきて、もっていた扇子で委員の面々の膝をポンポンとたたいてから証人席か何かに着席した。
 
 ところでそのときの審議はさっぱり盛り上がらなかったそうだが、政界の情報通にきくと、扇子でヒザをたたいたのは角栄氏がウラ金を配った人だという。
 「お前にもカネをやったじゃないか」という先制攻撃を身体言語でやったところが、角栄氏らしくて絶妙の効果を発揮した。
 喚問を受けたことで後手にまわったが、喚問の場では先手をとったのである。
 先手力は本戦に入る前のジャブ攻撃に使うとよいらしい。
 
 フランスの大統領にエリーゼ宮殿で面会した人にそのときの様子をきくと、正面玄関を入ると四角い建物の中をわざわざ遠回りに一周させられてから大統領の部屋にたどりつくが、その間に関所がいくつかあって、おつきの人はここまでとか、招待状に名前がない人はこの部屋でおまち下さいとかで、人数がだんだん減らされてゆくのが何とも言えず心細いのだそうだ。
 心理作戦である。
 
 ところで商売の世界で考えると、商売には「本戦」があるから小手先の話は大事でない。会長室や社長室をやたらに立派にする会社はやがて本業がおかしくなるようなもので、下らない先手力はないほうがよい。
 先手力は本業力に直結したものでなくてはならない。
 やはり。もちろん。当然。
(二〇〇六年一〇月「先手力」)
 
大きな実行力と小さな実行力を
 実行力について書けと『日本人のちから』の國田編集長は言う。多分、今の日本は実行力が不足だと思っているのである。特に安倍新内閣が誕生したので、新内閣には大きな実行力を期待しているのだと思う。
 国民もそう思っているが、その考えには穴がいくつかあいている。まず、実行力待望論には思想・方向・作戦は十分分かっているという前提があるが、そんなことはないと思う。十分だと言うなら、実行力待望論者はまずそれを言ってもらいたい。「言うは易くして行うは難し」と言うが、ホントは言うほうもなかなかむずかしいのである。
 
 安倍さんはこれまで急所々々でポイントをついた発言をしているが、地味にポツリと言うのでマスコミや国民のほうがその重要性に気がついていない。たとえば、北朝鮮のノドン・テポドンの乱射に対する国連の対応について、各国の意見や対応をマスコミが賑やかに論じているとき、安倍さんは「日本には拉致問題がある」と一言だけつけ加えた。他国の動向とは無関係に日本には日本独自の対応をする理由があるという意味だが、それだけの信念があっての重い一言だと気がついた人は少なかった。
 
 その信念の存在から「中国とロシアが拒否権を使うなら使わせろ。日本の提案は変えない」という実行力が生まれた。結果は劇的な大勝利で、中国とロシアは拒否権を使うことの大きな不利に後から気がついたのは外交的な大失敗だった。拒否権の行使をちらつかせた中国は「言うは易くして行うは難し」とあとから気がついたことだろう。同様に日本の外務省も「譲歩や妥協の上に立つ国際親善」という考えしかもっていなかったので、その考えからは「着地点はどこですか」という対応しか生まれなかった。行い易いことだけを言うのが日本外交である。
 しかし安倍さんと麻生さんはしっかり連絡をとって、「着地点を考えるのはまだ早い」としたので「大きな実行力」が生まれた。キーワードは「大きな視点から生まれる大きな実行力」で、「ケチな発想からは下らない実行力」と言ってもよい。今や日本は自分の力に目ざめ、中国もロシアも国連も日本の力を再認識するようになった。
 
 いわゆる実行力待望論がもっているもう一つの穴は、政府よりも国民がもっている大きな実行力の掘りおこしについて言及しないことである。それを言えば、
一、国民は海岸線を散歩して不審者を見かけたら、すぐ警察へ通報しなければならない。「海守(うみもり)」というボランティア活動(日本財団)がすでにある。
二、郵政改革は郵貯をハゲタカファンドに差し出すことだと言うなら、むしろ「国民は自分の貯金を下ろせ」と教えなければならない。
三、官が横暴でこまるのであれば、国民は行政手続法に従って文書によるご指導を要求し、その文書をもって裁判所に判断をあおぐのが良いと言うべきである。
四、道州制への地方改革は上からではなく地元住民からの活動が盛りあがらなくてはならないが、一番簡単な方法は自分が良いと思う県・市役所へ住所を移すことである。住民票を移すだけでも効果がある。これは足による投票で、不人気な県は自然に消滅する。そのためには民間の手による市民満足度調査(市民満足学会)というのがすでにある。
五、教育改革もそれを先導するのは文科省ではなく国民の実行力で、すでに学生や父兄が学校を中味でえらんでいる。子供不足時代だからその力は大きい。
六、町の安全対策には監視カメラをつけるのが一番だから、プライバシーとかで反対しているのをやめるとよい。
七、手ぬきの警察や悪い弁護士や非常識な裁判官の増加に対する一番の対策は、国民一人一人が隣・近所と仲良くすることである。
八、北朝鮮の地下核実験に対する安倍外交を応援するには、「原爆の一発や二発を受ける覚悟はできている」と国民が言うのが一番である・・・などなど。
 こうすれば政策の選択肢が広がる。
 政府には思想をもった大きな実行力と国民には具体的な小さな実行力を求めたい。
 
 暗い通りで落としたサイフを探している男を親切な男が手伝ったが見つからない。
 「ホントにこの辺に落としたのですか」
 「いや、あちらのほうだが、あちらは暗いので街燈がついているここを探しているのです」
 まあ、官庁も国民もマスコミも議論しているのは、そんな実行力の話ばかりですね。
(二〇〇六年一一月「実行力」)


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