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勝つための見極め力
 見極め力と言えば、碁や将棋の話が面白い。
 なにしろ碁・将棋は完全情報公開のゲームである。麻雀やトランプのように伏せてあるパイやカードはないし、サイコロもない。それから株式市場のように人が知らないウラ情報もない。全ては盤の上にある。
 
 あとはゲームをする人が「読みに読む」だけの勝負だから負けたほうには言いわけがない。
 「私の見極め力が不足でした」――としか言うことがないが、しかし一手先は二十通りとしても二手先は二十×二十通りで、その先は順列組合せの計算だから、将棋で十四手先は百兆手になるらしい。コンピューターでもお手上げである。
 
 藤沢秀行名人は「碁に勝つ力の第一は読みである」と言ったが、これではあまり参考にならない。しかし盤面にはまったくナンセンスな手がたくさんあるから、それを除外すれば相当先まで読めるだろうと思ってアマが質問すると、プロの石田名人は「一目千手」と答えた。「では、長考しているときは」と聞くと、「一億手」と答える。
 
 将棋にも同じ話があって佐藤康光名人に「相手は一億手読むと言っているが大丈夫ですか」とある人が聞くと「大丈夫。自分は一億と一手読んで、その一手で勝つ」と答えた。
 すると相手は「一億と二手読む」と言い、佐藤康光はさらに「一億と三手読む」と言ったとかで、読みの話は振り出しにもどってしまった。
 
 読みに読む――だけでは勝てない無限大の世界があると分かる。
 長考派で知られる碁の故・木谷実九段は「部分的な戦いが一段落するところまではだいたい誰でも読めるし、時間もそんなにかからないが、その先、一段落した局面が何通りもあるときそのどれを採用するかがむずかしい」と答えた。
 
 「この分れはどちらが有利か」である。分れの評価はプロが十人集まっても意見が分れるらしくて、たまたま双方が同数のときそれがつづく期間だけ定石と言われる。
 つまり、読みよりも評価で、ここからは「論理」より「好み」の世界に入る。
 
 いわば「見極め力否定」の世界である。
 または対局者の「好み」も含めて成立している見極め力で、これを一概に不完全とか手抜きとかは言えない。
 机上の学問的な見極め力から、実際的な見極め力ヘの質的飛躍である。
 
 大竹英雄名人に「オール日本棋院対オール関西棋院で衆智を結集した相談碁の壮大なのをやってみてはどうでしょうか。一日一手でもいいから」と言うと、「碁は決断して打つものです。最善手は神様しか分かりません。多人数で相談すれば最善手に近づくとは思えません」と答えた。
 
 好みの世界から決断力の世界へとさらに話が進んでしまった。
 では、決断力はどこから生まれてくるのか。将棋の羽生善治名人はこんなことを言った。
 「まだ、中盤戦だったが、何となく敵の王様は将来ある地点まで逃げて、そこで詰むような気がした。そこでその方向へ追ってみたらホントにそうなったとは不思議なことだ」と。
 
 まるで霊感の世界である。
 霊感が湧いてきたところが不思議だが、それを素直に信じたのは自信である。子供のときからの修練と連戦連勝の実績に裏づけられている自信である。
 
 そろそろ結論に進もう。
 世の中の政策研究者達はここまで読みの努力をつくしているか。
 読んだ結果の評価に自分を傾けているか。
 さらにいくつかある読みの中から何かを決断して採用しているか。
 決断の根拠は霊感でもよい。かねての修練に自信があればこうなる。
 ――見極め力の話は奥が深いですね。
(二〇〇六年四月「見極め力」)
 
ご破算力の基底
 稲葉秀三という一刀両断的な政策提言をする大評論家がいた。
 産経新聞の社長をされたが、その前は計画経済に関する大エコノミストで、そのまた前は経済企画庁をレールに乗せた大経済官僚だった。
 
 碁が好きで人を集めて囲碁大会をなさっていたが、横で見ていると小さな変化を一歩も譲らずに追及して、結局、大局を失うようなことをなさっていた。
 「先生は道に落ちて転がる百円玉を追っかけて、自動車にひかれるような碁を打ちますね。日頃、尊敬する稲葉先生とは思えません」と言うと、先生は大いに弱って「しかしなあ、わしはこれがやりたくてなあ」と言った。
 先生の抜本的、大局的な政策提言の基底には、そういう細部にまでその行末を確かめずにはいられない探究心と追求力があるのだと教えられた。
 
 ご破算力の正体は日本では九割方「情を切る」話で、そしてそのためには、合理的・論理的な追求が先決なのである。
 「情を切る」政策は人からは冷たいと思われやすいが、稲葉先生の政策構想に何となく暖かみがあったのは、その前に「知の追求」をつくしていたからだと分かった。
 「知の追求」をつくすのはもともと稲葉先生の人柄だが、その根本には日本経済と国民生活の将来を思う「気持」とそれをわが手で立派にやりとげようという「強い意志」があった。
 
 今、改革を叫ぶ人には日本の将来を思うや具体論を追求するや、格差の発生に心を痛めるがなく、単なるご破算力だけがある。そんなご破算力でも今はあったほうがよいと評価するが、小泉改革の次につづく改革は情と意と知が伴った改革であって欲しい。
 
 経済の世界でのご破算力は「損切り」である。転がる百円玉を深追いしないであきらめる決断力で、この場合の意と知は自分自身への情を切るために用いられる。
 元来、情を切れない日本人は損切りが不得手で、国際金融の修羅場ではいつも大損を重ねている。サラリーマンは責任最小主義だし、勉強自慢の人は決断力がない。学問の世界は時間がとまっていて後講釈は花盛りだが、「今がそのとき」とタイミングを教える理論はまだないのである。
 
 「今がそのとき」を感ずる力に自信がない人は、売買の決断をコンピュータ・ソフトにあらかじめインプットしてすませている。「三十%下がったら少しずつ売れ」とか「上がったら買え」とかだが、それでは相場師とは言えない。
 自分が不在だからである。自分だけの特殊な知と情と意が入っていない。臨機応変の感覚が入っていない。そういうソフトに頼った売買を相手に読まれていることまで考えているか、どうか。
 「日本人が買いにきたら上げ相場は間もなく終わる」と読まれているが、日本人が使っているソフトは単純、素朴でご破算が入っていないと見破られているらしい。日本の中国に対する投融資も同じ泥沼に入るだろう。
 
 サラリーマンと学者は自分を殺すことを良いことと信じて修行してきた人達だから、損切りやご破算など主体的な決断力を要することは不得手である。理論のほかに「覚悟」の世界があることを知らない。
 
 杉山元は陸軍の枢要ポストである教育総監、陸軍大臣、参謀総長の三長官を歴任した人で、終戦の八月十五日には当然自決するものとまわりも当人も思っていた。しかし、一日、二日たつと日本は急に明るい平和な日本になり、第一総軍司令官の残務整理を終えた頃は、今さら割腹自殺でもあるまいという空気になっていた。
 ふと思いついて自宅へ電話をすると、啓子夫人(四十七歳)は「あなた、まだ生きていたのですか。わたしは出征兵士の婦人会の会長として、あなたと一緒に死ぬ用意をしてまっているのですよ」と答えた。そこで、元帥陸軍大将杉山元はようやく九月十二日、第一総軍司令部の司令官室で拳銃によって自決した。夫人はその十五分後、世田谷の自宅で黒い喪服に着がえ、短刀で心臓を刺して見事な最期をとげた。
 
 今がそのとき――というご破算力のもち主は奥様のほうだったと思うと感無量である。
(二〇〇六年五月「ご破算力」)


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