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「トッカン」
 パリの凱旋門から北ヘシャンゼリゼー通りをつき当たりまでゆくと、有名なデファンスの再開発地区がある。
 
 その昔、見学にゆくとフランス革命二百年の記念日に完成させるべく何百年の昔からの古い古い住宅街をこわすのに悪戦苦闘していた。
 「大変ですね」と言うと、責任者のエンジニアは「いや、日本のほうが凄い。日本は東京オリンピックの大工事を期日どおりに完成させた。何でも“トッカン・コージ”というらしいね」と言う。
 
 トッカン・コージは日本では自虐的な表現だったが、フランス人は尊敬をこめて使っていた。
 「日本人はシステムをもって仕事をする。そのシステムの上に立っての“追込み力”だからトッカンは本当に凄いことだ」とそのエンジニアは言った。
 
 言われてみれば確かに世界中どこへ行っても期日に間に合わない建築事業だらけである。
 多分、システムを組めないほど社会がいい加減で従業員もそうだから、そんな人達に追込み力は期待できない。
 無理に命令すれば必ず事故か手抜きの不良品になるから、むしろ遅延しているのが最善なのだろうと気がついた。
 
 大阪の千里ニュータウンの中心商店街はこのデファンスのマネで同じ形をしている。ハードの形は同じだが、ニュータウンづくりや大阪万博のときもトッカンをしたはずで、ソフトのほうは大分違っている。
 
 トッカンは失敗なのか、それとも自慢なのか。
 所変れば品変るで物事の考え方にはいろいろあると分かった。
 
 アメリカの特徴はスタンピードである。
 牛の大群が暴走して制御不能になることをスタンピードというが、アメリカ大陸では人間もときどきそれをやる。
 
 これを“追込み力”と言ってよいかどうか。
 日本のトッカンはスタンピードではない。日本人はもっと文明的で冷静である。
 
 高層ビル建設のエンジニアに工事遅延をとりもどすときの苦心を聞くと、
 「高層ビル建設のスピードをきめるのは、限りあるエレベーターの有効利用です。上へ上へと資材や人間を上げるが、実は下りも大事です。降ろさなくては上が一杯になってしまう。そこで心血を注いで一分の隙間もなくエレベーターの運行プランをつくり、その計画どおりに資材・道具・人間を順序よく上下させるのが大事で、それがスピードアップの鍵です」と答えた。
 
 フランス人が「日本にはシステムがある。日本人はシステムを守るためにそれぞれが責任を果たす」と言ったのと同じ答えで感心した。
 
 文科系の人間はシステム関係の苦心までは勉強しないで論評するから、追込みの成功物語がほとんどスタンピードの礼賛になっているのがよく分かった。
 
 そこで結論。
 追込み力の正体は、上がしっかりしていることが大事で下がねじり鉢巻きで徹夜をすれば良いというものではない。
 
 上を改革に追いこむ武器は具体的な政策研究で、それをエレベーターでどんどん上に上げるのである。
 そして不要な人間は下に下ろす。
(二〇〇五年一二月「追込み力」)
 
外交官試験復活の条件
 これは良い薬だとうまく宣伝すれば人に毒を呑ませることができる。
 中国の貴人の墓を掘って遺体を調べると、ときどき水銀が検出される。不老長寿の薬と思って呑んで水銀中毒で死んだのである。
 それに比べれば毛生え薬の宣伝のほうは罪が軽い。高価だが今度こそは有効かも知れないと思って暫くは楽しめる。
 
 ロックフェラーと言えばアメリカの大実業家で、さらに大慈善家と思われているが、これも宣伝の効果である。百年前のアメリカの大実業家はありとあらゆる悪事をして巨万の富を積んだが、やがてその報いで反トラスト法その他の猛攻撃を受けた。そこで専門家を雇って政界工作や世論工作をしたが、その一つに慈善家のイメージづくりがあった。
 
 その工作をした専門家はロックフェラーに小銭をたくさんもたせ、それからニューヨークの町のホームレスたちに“スペア ミー ア ダイム”と言って手を出すように教えた。ダイムは一〇セントだからいくら配っても知れているが、ともかくこれでロックフェラーさんは心優しい人だとイメージが一変した。(ナントカ・ファンドの有名成功者には今に参考になる話である)
 
 ちなみに約四十年前、アメリカヘ始めていったとき、ダイムぐらいなら私でもたくさんあるぞと思いながらホームレスたちの前を歩いたら“スペア ミー ア ダラー”と言われたので慌てたことがある。インフレのせいか、それとも私がロックフェラーの十倍も金持に見えたのか・・・ウーン。
 
 ワシントンの研究所にいたとき、ジョージタウン大学の日本学科の学生を手伝いに雇ったが、あるときパール・ハーバー攻撃の話になると「映画はウソである。アメリカはあんなに一方的にやられてはいない。直ちに反撃し、追撃して日本の戦艦を二隻撃沈している」と真顔で言ったので驚いた。
 それは有名な「戦争プロパガンダ」の一つで、パール・ハーバーの損害を発表するときにつけ加えられたウソである。そのウソは公式には取消されていなくて、日本学科の学生にもまだ生きていた。大本営発表はアメリカにもある。
 こんな例証はたくさんあって、私達が信じている科学や人の評判や歴史にはたくさんのウソが入っている。それは宣伝力の勝利で、人の心が知らない間に固定されている。
 
 南京大虐殺も従軍慰安婦も創作だが、なかなかの固定力を発揮しているから、宣伝も軽くみてはいけない。
 ウソを広めて人の心を操作するのは罪深いことで、やがてバレたときは自分の信用が傷つくと日本では誰もが知っているが、どうもそんなに道義が高い国は珍しいらしい。
 
 テレビでサダム・フセインが裁判に出廷したところを見ると、髭がボーボーの顔をしている。湾岸戦争が始まった頃、『ニューズ・ウィーク』の表紙を飾った写真はフセインの髭に修整を加えて短くし、ヒットラーそっくりに見せかけて、独裁者だとの印象をつくっていたから、今度は何を狙っているのか、と考えた。
 
 言葉による宣伝は証拠と記憶が残るが、こういう無意識のイメージに対する宣伝はあとが残らない。しかし、印象は強い。つまり悪質である。こういう宣伝の数々を見破る抵抗力はいかにして養われるか。
 
 世界中がお互いにこういうプロパガンダ戦争をしている以上、日本も目覚めねばならない。特に外務省にはその義務がある。外務省改革の第一歩はこれだと思う。
 外交官試験を廃止したので英語に関する特権意識がなくなると期待している向きもあるが、そんなことより外国の宣伝や謀略を看破する看破力の試験をしてこなかったのが悪い。
 
 外国大統領のスピーチの真意を読む練習はしているが、悪意謀略伏線を読む練習が不足している。多分それは親善外交の精神に反するからだが、そんなことでは日本の国益は守れない。
 外交官試験を復活して出題者には広告代理店の人や推理小説作家やCIAの人を入れるのがよい。
(二〇〇六年一月「宣伝力」)


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