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人本主義の打開力
 朝鮮戦争特需が消えた頃の日本経済は不景気に沈んでいた。
 甲南カメラ研究所というカメラ会社も同じだった。「ローマの休日」という映画でグレゴリー・ペック扮する新聞記者が、ライターと見せかけてオードリー・ヘップバーンを盗み撮りするのに使った超小型カメラのメーカーで、映画のヒットによりアメリカの兵隊にはたくさん売れたが、その後がつづかなくて倒産に瀕していた。
 
 このままでは二年後には倒産する・・・という状態になったが、そのときの社長の決断が凄い。社長は何をしたか、クイズにしてみよう。
 さて、正解はどれでしょう。一つとは限りません。
(1)経理を公開した。
(2)従業員を三十%リストラした。
(3)給料を三十%カットした。
(4)リストラはしないで、逆に給料を三十%アップした。
(5)自分が辞職した。
(6)倒産して清算した。
(7)大手に吸収してもらった。
 
 答えは(1)と(4)だが、それにはこんな説明がついていた。
 「わが社は給料を三十%あげることにする。これによって倒産は早くなる。一年後である。やめたい人はそれまでにつぎの仕事を探せ。やめたくない人は死に物狂いでヒット商品をつくれ。もしも新商品が成功すれば三十%アップの給料はつづける・・・」
 
 この対策が正解だったことはコーナン16という新商品の成功によって分かった。どうですか。打開力の好例に使えると思いませんか。
 
 この失われた十年間、たくさんの銀行や会社が潰れたが、そのときこういう打開力をみせてくれた会社の話は寡聞にして聞かない。大阪の財界でこの話をしたら、「甲南さんはその後立ち直って今も元気にやっています」と教えてくれたが、自分の会社もそうする―とは誰も言わなかった。
 
 打開力は社員にあるのか、それとも社長にあるのか・・・。
 広島のモルテンの民秋史也社長にこの話をしたら、「業績が好転したら給料をアップするとは誰でも言うが、社員はなかなか信用しない。だからそれを先払いするところがよい」と言った。
 
 社員に打開力があることは、もともと信用しているのである。とすると、問題は社長の打開力だがモルテンの民秋社長にはたいへんな打開力があった。
 
 民秋氏は大企業のサラリーマンだったが、奥様の実家のゴム会社が倒産に瀕したとき社長就任を頼まれた。前社長も大株主も労働組合も取引先もみんながやってきて、「頼む、応援するから」と言ったが、社長になってみるとそれはウソで全員が会社の敵だった。それで“ヨーシ、ヤルゾ”と決心した。それからの獅子奮迅の大活躍と神算鬼謀の数々はここに書くスペースがないが、ともかくモルテンは再生して民秋社長の打開力は証明された。
 
 私が感心するのは従業員には十分な能力があると前提しての改革で、それがアメリカ式経営とは百八十度ちがっていた。
 甲南カメラ研究所と同じだが、まず給料をあげた。つぎに就業規則も変えた。その理由は親会社に対する負け犬的態度を払拭するためで、親会社と完全に同じにした。意識改革が最初にくるところが凄いが、しかし社員の下請け意識は急には変らなかった。
 
 だが民秋社長はあきらめない。その次に打った手が凄い。宇宙開発事業団や本四架橋公団へ行ってゴム製品の註文をとってきた。赤字でもよい。従業員が親会社であるマツダに対して卑屈にならないため、マツダよりもっとカッコ良いところとの取引をはじめた――という説明には驚嘆した。
 
 甲南カメラ研究所もモルテンも資本主義から人本主義への飛躍が打開力だった。アメリカ仕込みのエコノミストには見えない日本の打開力である。
(二〇〇五年一〇月「打開力」)
 
政の纏め力・官の纏り力
 “改革!”のスローガンを掲げて自民党は総選挙に大勝したが、実はそのスローガンを具体的な改革に纏める「纏め力」が党にはない。
 
 郵政民営化につづく第二弾、第三弾には、公務員制度の改革、政府系金融機関の統廃合、三位一体の地方財政改革があり、さらには医療改革、農協改革、年金改革がつづいているが、それだけではない。
 
 国民の希望を言えば、外交改革、防衛改革もある。
 この二つにはの字をつけて置こう。
 まだある。宗教団体の非宗教的活動や不法集団の脱税と違法行為の取締りは国家本来の任務である。その任務を果たすことは“民営化”や“合理化”や“健全化”に優先する。
 国民はそれらの完遂を期待してグランド・スラム的な勝利を自民党にあたえたので、改革はすべて国会を通るようになったが、抵抗勢力はまだ国会の外に残っている。
 
 官僚である。官僚にはたいへんな「纏り力」があって、大臣が命令してもなかなか改革の具体案を出さない。出すときは、抜け穴だらけだったり、いつでも逆もどりできるような意味深の一行を含ませたり、焼け太り必至の地雷を埋めたものを出してくる。その官僚たちを纏める「纏め力」が自民党にはないことを見透かしている。政は自力で法案を纏める「纏め力」がない。これでは国会の絶対多数が泣く。
 
 昔は大蔵省がその纏めをした。各省を集めて改革の痛みを公平に分配したり、痛みどめの特別予算をつけたりして、自民党のスローガンに何とか形をつける仕事をしてくれたが、今はそれを期待できない。
 これは行政改革の大成果だが、ではどうすれば良いか。
 
 そもそも政策とはどんなものか、に関する常識の改革が必要である。
 田中角栄以来の四十年間、政策はとめどもなく矮小化し、志を失い、各省庁の予算と権力の縄張り争いのアイディア・コンクールになっている。
 
 政策は、もっともっと大づかみなもので良いのではないか。
 たとえば公務員制度の改革について考えると、橋本内閣のとき首相特別補佐官として改革に獅子奮迅の働きをした水野清氏は一刀両断の名案として「公務員にスト権をあたえるのが根本的解決だ」と話される。(もちろん警察・消防・税務署・自衛隊・海上保安庁等を除くが)
 まさに、今の国家的行きづまりの根本をつく政策提言である。
 
 スト権をあたえると、人事院で適正な給与水準とやらを考える仕事がなくなる。不満な公務員はストをして国民の審判を仰げばよい。
 これまで良い仕事をしていたのなら国民は支持するが、無益な仕事をしていたなら国民生活に支障は出ないからかえってその官庁が廃止になる。
 
 ―だから、ストはしないだろう。
 ―そこで公務員給与の削減はスムースに実現する。
 ―不満な人はやめるから人員削減は自然に実現する。
 ―身分保証がなくなるからリストラができる。
 ―配置転換もできる。
 ―幸い官公労側もスト権をよこせとILO(国際労働機関)に提訴し、何故か連合もこれに乗っている。
 
 つまり、民間なら常識の人事管理ができるようになる。公務員ストを受けて立つ責任者は大臣だとなれば党には行政を纏める力がつく。外国からのもちこみ法案に頼らず、純国産の法案を日本国会は審議できるようになる。
 「スト権付与」の五文字だけで日本が根本から変わる。
 
 政策研究は特別に専門的・技術的なものではなく、平易で常識的なものにもどるべきである・・・と、改革の七〇〇人委員会を主宰する水野清氏に教わった。
(二〇〇五年一一月「纏り力」)


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