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発信力は触覚から
 海軍の艦上戦闘機紫電改(しでんかい)や“大東亜決戦機”と呼ばれた陸軍の疾風(はやて)に使われる誉(ほまれ)というエンジンをつくりに、中学生の私達は中島飛行機の田無工場へ働きに行った。
 
 と言っても作業はアルミでシリンダーをつくる鋳型の砂を扱っただけだが、砂の手触りはそのまま、自分も日米戦争の最先端に参加しているという手応えだった。
 
 間もなく終戦になり私は高校生になったが、そのとき数学を教えてくれた先生は同じ頃、同じ工場で働いていたことが分かった。
 
 先生は東大工学部機械学科卒として中島飛行機に就職したのだから、大いに期待して、「何をしていたのですか」と聞くと、「誉を五十時間連続運転してから分解して、排気管やシリンダーの中を手で撫で、ススのつき具合を感じとるのを毎日やっていた」と言う。
 
 「まずエンジン内部の燃焼具合を想像する力を養え。新エンジンを設計するのはそれからだ」と言われたそうである。計算や理論や発想は手探りのあとにつづくものだとそのとき教えられたのは貴重な経験だった。
 
 赤ん坊は何でもさわる。さわって確かめる。自分の手足にさわって「これは自分のだ」との認識をつくっている。自己の認識と自己愛のはじまりである。
 
 エンジンにさわればエンジンに愛情が湧く。優秀な技術者になる前に愛情が必要で、愛情は“おさわり”から生まれるとはよく分かるような話である。
 
 仏教では認識の成立要件について六入(六根)と言うが、その順番は眼・耳・鼻・舌・身・意で、身は触覚、意は思考のことである。触覚が一番思考に近接している。
 
 ギリシャ語で「理解する」の語源は「さわる」と同じだと何かの本で読んだことがある。ヘブライ語では「知る」をYada(ヤダー)と言う。その語源はYad(ヤード)、「手」である。
 
 「耳で聞いたことは忘れる。目で見たことは覚える。本当に身につくのはさわったときだ」とも言うらしい。
 
 そう言えば政治家はもっぱら握手してまわっているが、投票所へ行って貰うためには、触覚が一番必要だと言っている。つまり、触覚は意につながり、意は行動につながる。
 
 脳科学者の茂木健一郎氏は『脳と仮想』(新潮社刊)で「シャノンやチューリング、ノイマンらによってつくられた情報工学は対象を固定してデータにしてしまった。そこには生成発展がない。過去も未来もない。そうした静止情報に生命をあたえるのは私たちの身体と脳だけである」と言っている。
 
 何でも現場へ行ってさわらないとダメらしい。
 
 ユニークでオリジナリティがある発想と説得力のある発言は触覚から――である。
 
 手は頭のうち。
(二〇〇五年二月「発信力」)
 
踏み込み力不足への処方箋
 国民は日本国家の踏み込み力不足を怒っている。
 
その一、中国の原潜は撃沈してもよい覚悟で追跡し、浮上しないなら攻撃して、日本は自分の領土を守る意志を示すべきだった。
その二、金正男氏が別人を名乗って日本へ来たときは、当然の手続きとして氏名判明まで留置すべきだった。
その三、小泉首相は第一回の訪朝時、日本人の拉致と死亡を金正日が認めたとき、直ちにその実行者の引渡しと賠償をその場で要求すべきだった。
 横にいた外務省の人はそれを助言すべきだった。(民間人は商談でも必ずそうする。しない人は支店長にもなれない)
 
 と書き出せばキリがない。
 もちろん民間にも踏み込み不足がたくさんある。「上の人の責任回避」「日頃の勉強不足」「問題の先送り」「不作為に罪なし」「我が身第一」等々は昔からのことだが、最近は特にその弊が大きい。
 
 理由は三つある。
 第一は、権力ピラミッドの強大化と仕事の抱えすぎ。
 第二は、職務怠慢をとがめるシステムが故障。
 第三は、任にあたる個人の素質の劣化。
 
 で、このように原因は明白なのだから、答えも明白である。
 
 第一は、政府を小さくすればよい。権力と予算をどんどん削るのが一番の妙案。(つまり民営化)
 
 第二は、失敗や不作為の責任を追及し、処罰する。(一罰百戒)
 
 第三は、「全体への奉仕」とは何かが分かる人を探し起用することである。(そんな人はめったにいないからつまり自由化)
 
 この三つを実現するための踏み込み力も同じく不足しているのが万病のもとである。
 
 そうなる原因の第一は気概の不足である。「切り結ぶ大刀の下こそ地獄なれ、たんだ踏み込め・・・」という歌がある。逃げればもっと窮地に陥る。
 「世の中は左様しからばごもっとも、何とござるかしかと存ぜぬ」という歌もあるが、気概のない人に対する自然淘汰はすでに始まっている。
 
 原因の第二は英知の不足である。
 日露戦争のとき橘大隊長は後退をすすめる部下に「恥を思えよ兵(つわもの)よ、死すべきときは今なるぞ」といったと歌にある。
 
 会社経営でも「闘うべきときは今なるぞ」と分からぬ社長がたくさんいた。決断力不足ではなくかねてからの英知の不足である。
 社内に民主主義の毒が浸透して会議ばかりしていると、大学で教える理論には“機”(=タイミング)がないから「軍議は戦わず」になる。(=会議では慎重論が勝つ)
 
 日本の外交は形勢観望でいつも優柔不断になる。強者追随で国益は後まわし。
 
 昔から「男は度胸」という。男の任務は機をつかんで踏み込むことである。
(二〇〇五年三月「踏み込み力」)


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