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断って後悔するより、引受けて後悔せよ
 本誌の編集長は何を考えたか、“引受力”を主題にして一冊つくろうと思い立った。
 
 その巻頭言の執筆を気易く引受けた私は果たしてどんな引受力の持ち主なのか。
 書きはじめたばかりの今は私にも分からない。それはこれから書く短文の出来映えによって分かる。
 
 多くの場合、引受力の正体は“自信過剰”と“無責任”である。事の成否を考えれば社長や大臣や教授などは、そうそう簡単に引受けられるはずはないが、今はそう考えるような人は珍しい。
 
 引受けの成功例としてはこんなのがある。
 三菱電機は三十数年前、テレビ販売のためにつくったアメリカの会社を成績不振のため閉鎖することに決めたが、その噂を聞いた三十数歳の社員、山口義人さんは社長に面会を求めて、
 「社長、あの会社を捨てるのなら私に下さい」
と言った。引受力の第一歩はこれである。
 
 それが実現してロサンゼルスヘ行くと彼は二百店近い販売店を歴訪し、それから日曜日には店主達を自宅のパーティに招待してお得意のピアノを弾きまくり、歌を歌いまくった。これが引受力の第二歩である。
 
 第三歩は経営戦略をたてた。
 「三菱は値上げする。他より高く売る。それは品物がよいからだ」
 
 第四歩は関係者を鼓舞した。
 「みんな自信をもて。私には神様がついている。私は日本人だがキリスト教信者だ」
 
 第五歩はそれを具体的な目標にして掲げた。
 「三菱は十年後G・Eに勝つ!」
 
 その通りになったから、彼の自信は過剰でないとされた。
 彼の偉大さは社内出世の外にあるから書き加えるまでもないことだが、ともあれ三菱電機では専務になり、その後はトロンを普及する会社セネットの社長を引受けた。
 
 彼の引受力の正体を具体的に言えばそれはピアノとホームパーティで、抽象的には“楽観的自己評価とチャレンジ精神”だった。
 
 そう言えばイギリス貴族の子供教育は、
 “ビイ オプティミスティック”と
 “ビイ ブレーブ”の二本立てだと言う。
 決して、決して、知識教養を身につけろとは言わないらしいが、大いに同感である。
 
 私は山口義人さんから友人の一人と認められていることを名誉に思っている。
 
 それからもう一つサマセット・モームの言葉をもじってつけ加えれば、
 「断って後悔するより、引受けて後悔せよ」
 
 すみませんが私の言葉も一つお許しください。
 「新しい仕事の中で一番やさしいのは上役がもってくる仕事である。それすら逃げる人に将来はない」
(二〇〇四年一一月「引受力」)
 
区別殺しの時代と按配力
 按配塩梅か。
 
 どちらが正しいか知らないが、子供の頃よく聞かされた塩梅だとすれば、それは梅干しを作るときの塩の量である。当時は、梅百グラムにつき塩は約二十グラムだったが、今は塩十グラムの減塩梅干しが人気である。つまり、塩梅とは塩加減のことで、その適正値は時代によって変わる。
 
 子供が学校で理屈を習って帰るとまわりの大人は「まあ、塩梅よくやるんだな」と教えた。そこで子供は学校では理論や建て前を習い、家では現実との摺り合わせを覚えた。
 
 その結果、日本人はそれぞれ自分の生き方として、理想を一、現実を九の割合で配合するか、それとも理想を五、現実を五の割合でミックスして暮らすかを選ぶようになった。
 
 友人をみていてもそれが分かった。場合によってはその混合比をうまく使い分けている友人がいた。学校では理想を九割、家では現実を九割。発言は理想的、行動は現実的、などで、それを適時・適切に変えるから、「塩梅」を塩梅しているとは偉い奴だと思ったものだ。それが「按配力」かも知れない。
 
 ところで最近の日本には塩梅力や按配力のない人がふえてきた。時には理想や建て前を純度百%にして人を攻撃し批判する。
 そうするとそれがわが身にも振りかかって、自分の生きる世界が狭くなる。理想に生きると、塩だけで梅のない激辛梅干しの生活になる。
 
 攻撃する人は、官庁と民間の区別をしない。
 日本と外国の区別をしない。
 昔と今の区別もしない。
 
 包括的な言語を使って十把一からげに言うのが、学問的に高度だと思っているので区別が消える。崇高な理想や理念や理論はいつもそういう時間・空間・個別事情を超えたインクルーシブ・ランゲージを使って説かれる。
 
 道路民営化や郵政民営化の議論がそうだが、官民それぞれの特徴や使命や限界を論ずるのを避けるので答えは正体不明のお化けをつくることになる。何をどう塩梅したかが国民には分からないのである。
 
 区別がないのでは塩梅も按配も考えられないのは当然だが、その延長でとうとう「男と女の区別もなくそう」と考える人まで出現した。
 
 按配力がない人には、そもそも区別がないのがよいのである。全国一律・一本化、ユニバーサルサービス、国際標準規格、何なら十割そばもこれに加えておこう。
 自分の思考力不足に合うように社会の方を変えようとしている。
 
 こういう理想主義は思考力の低下を招く。
 将棋を例にとれば、金銀桂香などの別をなくして歩だけでやろうというようなもので、そんなことでは思考の楽しみや冴えが消える。
 
 現実をよくみて、現実を要素に分解し、それからその相互関係や組み立てを考えるのが頭を使うということである。そして最適比率を発見して、実現するのが按配力である。
 早く言えば、学校でホメられる子供より家でホメられる子供の方が頭がよい。
 
 実務は常に按配力を要求している。
 それから未来への挑戦は塩梅率の変更にかかっている。
(二〇〇四年一二月「按配力」)


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