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開発活動のおもしろさを知る
 最後は四番目、これで終わりますが、自分の世界を持つ。これは自分個人の世界ではなく、社会と結構つながっている。行動によってできた友達があるからです。「開発活動」というのは、開発でまだないものをつくり出すことです。ないものをつくり出すのは、ほんとうにおもしろいことで、これをアクションと言います。
 アクトというのは、こちらから積極的に働きかけることです。時には人を縛ることもある。だから、法律のことをアクトと言うわけです。それからアクションは社会の支配階級がすることで、ワークというのは下々がすることです。
 そんな分類がありますが、ともあれアクションのおもしろさを知る人間になってほしい。それは、すなわち自己実現ですね。自分が「これがいいぞ、みんなどうだ」と言っているのだから、自己実現につながる。それはアイデンティティになります。アイデンティティは自然にそこでできます。
 ところで、アメリカ人にはアイデンティティがないらしいという話を前回しました。アメリカ英語というのは寄せ集めの英語であって、それを母国語と思っていない。みんな多かれ少なかれ記号だと思ってしゃべっている。だからアメリカ人にはアイデンティティが育たない。心は不安である。だからアイデンティティという言葉をしょっちゅう使っているが、それを確立するためには共同の敵が必要である。だから次から次へと敵をつくって、戦争していると心が安らぐとは面倒な人たちである。
 それに比べると、日本人はみんな心が安らいでいる。ただし細かく見ると、東京でも至るところ、郷土料理屋があります。土佐料理とか、秋田料理とかがあって、そこへ行くと、やっぱりそういう人が集まってうれしそうに酒を飲んでいますね。そこへ行くと心が落ちつくらしい。方言をしゃべっていると心が通じるらしい。
 世界はそういうふうになっていくんだと思います。
 自分の世界を持って、かつ社会に対して働きかけるというのは、大げさに言えば神様の仕事を人間がすることである、というのはヨーロッパ的な物の言い方です。東洋的に言えば、人間が人間のことをしている。特に日本的に言えば、神様が人間の仕事をして田植えをするじゃないか。天照大神は機織りをするじゃないか。嫉妬もすれば人殺しも神様はやっているじゃないか。ギリシャ神話もそうですね。神と人間とをそんなに分けない。そういう世界にいると、相互扶助を実感する。誰かにやっておけば、いつかは自分にも回ってくる。自分に回ってこなくても、自分の子供に回ってくるかもしれない。こなくても、まあ、いいじゃないか。これは仏教の教えでもありますが。そういう相互扶助の幸福を知った人間になれる。――これは倫理、道徳のほうで言われていることです。
 このごろの人は理屈ばかり言いますから、理屈のほうで言うと、法律はどうだとなる。このところ、急に日本人は法律が好きになりまして、テレビをつけても、弁護士に聞きましょうという番組が増えました。
 きちんとした弁護士に話を聞くと、法律は決して万能ではない。結局は常識だと言います。常識で出た結論を、過去の法律用語を使って説明する。過去の法律用語をたくさん知っていて、異論の多いところをうまくすり抜けて、だいたい多数意見のところを通って、最後に常識的に無罪とか有罪を主張する。最後のところは常識と同じに合わせなければいけない。こんなことらしいんですね。
 だから、やっぱり世の中を知らなければいけない。
 では、どうやって世の中を知るのか。これは歩き回らなければだめです。いろいろな人と話をし、自分も経験しなければだめです。そうすると、何かを知る。あっ、前は知らなかったな、と思う。知ってみれば、目からうろこが落ちたという喜びがあるわけですね。まずは、その喜びから始めて、だんだんだんだんその先へ、ということで始めたのがこの新規範発見塾でした。
 どうも長い間、ありがとうございました。(拍手)
 
自由討論
 感想がある方どうぞ。多摩大学名誉教授の大槻博先生が手を挙げておられます。どうぞ。
【大槻】 私はある家庭教育振興協会の一会員です。先ほどおっしゃったスポック博士の誤りを一生懸命、二十七年間もかかって正しているいい団体だと思うのですが、NPOです。それを通じて感じることは、今の子供は心の栄養失調になっている、感動がない。それで、いろいろな具体的な母親教育をやっています。今のお母さんは、お乳をあげるときに、片手でメールを打ちながら、あるいはテレビを見ながらあげている。それは非常によくない。目と目を合わせて、安心させながら、語りかけながらお乳をあげるのが、情緒安定にすごく大事だということを具体的に教えております。
 さて、私が手を挙げましたのは、伝統というものの保守と、それを廃棄して革新するという一線の仕切り方について一つ提案してみたいと思ったからです。保守か革新かを論ずるときに、多くの方は、その後の結果がもたらす影響のよしあしを論じて、その二つをてんびんにかけ、保守すべきか、破壊・変更すべきか検討されるのが通常です。
 今日の私の提言は、そういう結果のよしあしから論じるのではなくて、別の角度から考えましょうというものです。答を聞けば何だと言われるようなことで申しわけありませんが、次の提案です。
 一度やってしまうと二度と復元できないような伝統の変更は、とりあえずやめておきましょうという提案です。そのかわり、破壊・変更しても、また後でその気になれば何とか復元できるようなことはためらわずにやってもよいという、そういう仕切り方です。
 例えば国立駅の取り壊しや日本橋の景観などは、悪かったなと思えば、これは復元できるわけですね。ヨーロッパで第二次大戦のとき破壊された都市は、金閣寺もそうですが、ほとんど元通り復元できるわけですね。そういうものの破壊と改善とはやってもいい。
 ところが、復元不可能な事例というのがあるわけです。ここでこういう例を挙げたら語弊があるかと思って、ちょっと躊躇するのですが、天皇制を男系でいくか、それをやめるかという選択の話は、これは一たん実施すると二度と復元できない問題です。遺伝子上の問題があるようですし、万世一系の天皇といった精神性にかかわる問題もあります。とりあえず女系を入れてみて、それからまたもとに戻したりすることは、物理的にも精神的にも不可能なことです。したがって、軽々に実施に移行すべきではないというのが私の意見です。
 今日はそういう復元可能か否かということを、保守か革新かの一つの仕切り線にしたらどうでしょうかという、提言をさせていただきたいと思って挙手した次第です。
【日下】 どうもありがとうございました。今の大槻先生の意見から広がってもいいですし、また別でもよろしいのですが、どなたかありますか。
【質問】 今日のお話とあんまり関係ないかもしれないのですが、仕事で先日、アブダビに行ってまいりました。そのときショッピングセンターに行きますと、そこの二階にダイソーと書いてあったのです。もしかして、これは日本の一〇〇円ショップか、それは違うだろうと言いながら仲間と行ってみると、日本のダイソーのショップがあったんですね。大きなショップです。
 たまたまその中をずっと見ていたら、日本人の女性の店員さんがいらして話を聞いたんです。ここだけではなくクエートにもあるし、アフリカのほうにもある、パキスタンにもある。何でそんなにダイソーがあるのかと聞いたら、実はインド人がやっている。あの辺は全部、インド人の商圏ですから、インド人商人がアフリカにしろ中東にしろ、どこにでもいるんですね。彼らが日本に来て、何か商売のネタはないかといって発見したのがダイソーの一〇〇円ショップなんです。ダイソーは経営に全然タッチしていなくて、あくまでフランチャイズでやっている。
 そのとき思ったのが、日本だと藤田田さんがアメリカに行ってマクドナルドを見て、あっ、これをやろうとか、あとは鈴木敏文さんがセブンイレブンをやろうということを、アメリカに範をとって始めたわけです。ずっとみんな、ビジネスのシーズはアメリカに求めていたわけですね。ところが最近は、何かないか、新しいものはないかというと、外国人が日本に来て、そういうものを発見する。
 昔、日本人がアメリカに行ったように、日本にもそういう形で海外の人がビジネスのチャンスを見つけに来ている。何かそこら辺から、また日本人は新しいビジネスチャンスとか、見方を変えて、「あっ、日本にもこんな世界に通用するビジネスチャンスがあるんだ」ということも考えて見直すとよろしいかと思います。
【日下】 おもしろいご指摘ですね。思いつくことを言いますと、中国人に海外観光ブームがこれから起こるだろうと思います。行きたいのは日本です。なぜ日本に行きたいかといったら新幹線と温泉につかりたい、と言っているらしい。新幹線とは何かと聞けば、車両とレール、スピードですね。中国人の想像はそれで終わりです。しかし、日本のJRの人に聞くと、あのビジネスはそのほかにSuicaというカードがある。これからどれだけ広がるかわからない。それから駅の中でショッピングがはやっていますが、今後は学校だってできる。エキナカビジネスとカードと、それからレールという三点セットのビジネスである。そう思っていると言っていましたが、こういうことは外国の人にはわからないでしょうね。これが今おっしゃった例かなと思います。


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