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本物を直観力で見分ける時代
 だから私は、安倍さんの選挙参謀は間違えていると思います。リベラルのほうの票も取り込もうと思ってやっているが、それをすると今までの固定票が減ってしまう。新たな票が増えるより、もとが減るほうが大きい。もととは小泉さんが掘り出した浮動票です。ですから、浮動票、あるいは棄権票の研究をしなくてはいけない。
 男と女に分けると、男のほうはレフトを取り込むようなことを考えている人が多い。それで安倍さんがうまくいかないのを見て、「えっ、意外だ」とか言っている。意外だというのは自分が愚かだったという意味です(笑)。
 東京財団の中の、元気のいい女性をお昼ご飯につれて行って「安倍人気が下がった原因はなんだと思うか」と聞くと、瞬間「あ、簡単です。飛行機のタラップを降りるとき、奥さまの手をつないだからです」と言った。「あんな不自然なことをする男は信用できません。日ごろやっていないことが一目瞭然」(笑)。
 無理して努力すれば、票が増えると誰かが知恵をつけたんでしょう。だけど、本物でないと見破った人がいる。だから、そのまんま東氏のほうがいいわけです。わざとらしいのは、支持が激減する時代です。みんな本物を求めている。本物を求める日本が復活してきた、と今は考えなければいけない。
 これまで日本では学歴信仰とか、欧米崇拝の風が吹き荒れた。それに合わせてみんなしゃべってきた。しかし、それに染まっていない人がいて、欧米の真似をするのはやめなさいと思っている。身についている人はいいが、わざとする人はそこに人格がない。「品格がない」という言葉が流行ですが、わざとらしいことをする人は信用できない。
 というわけで、今は本物時代。本物かどうかは直観力で見分ける。理屈で見分けるようなことを言っている人は置いていかれる。というのがこの支持率低下の原因かなと思っています。
 
対比して、日本にはない三つのもの
 さて、こういう対比をした結果、結論として言えば、欧米や外国と比較して日本にないもの、あるもの、とりあえず三つずつ申し上げます。
 日本にないものは、第一に自我がない、自分がない。特に近代的自我、デカルトから始まりフランス革命のころ言われた、ああいうのはないですね。「自分にはある」という人は少しいますが、このごろ流行りません。嫌われます。なお、この「自我がない」と言っているのは、欧米に対比してです。
 それから第二に輪廻の思想がない。これは、インドや仏教と対比して言っています。
 それから第三は、最後の審判という思想がない。これはキリスト教と対比して、あるいはユダヤ教、イスラム教と対比して言っています。詳しくはまた後で説明します。
 反対に日本にあるものは、日本社会には許しがある。過去は水に流す。たいへん便利なのは「みそぎ」というのがあって、いくら悪いことをしてももう一回選挙で当選してくると、みそぎは済みました(笑)と、それで通る。また生きていける、許しがある。
 それから世間様というのがある。「理屈はそうでも世間様が許さない」と言いますね。それからお上というのがある。このお上というのが不思議な存在なんです。これを話し始めるとまた一時間たってしまう(笑)。ともかく世間様とお上というのが微妙なバランスである。その上に許しとか、相手を察する、というようなことがあるから、日本はうまくいっている。こういう目で外国を見ると、かわいそうにと思います。これをだんだんに説明いたします。
 まず、自我がない。ではヨーロッパにあるのはなぜかです。ヨーロッパにだって、ほんとうはどこまであるかわかりません。けれども、ともかくあるフリをしなければいけない。これはデカルト以来「我思う、ゆえに我あり」ですから、「思っていない」などとは言えない。思った主体が我、というならそれはあります。だから「私は考えがあります。言ってみろと言われたら、言います」という態度です。だから投票する権利がある。個人主義や民主主義の根本には自我がなくてははじまらない。
 しかし日本には自我がない。ないのが一番よくあらわれているのは、この間どなたかが随筆で書いていましたけれども、無宗教の葬式というのが流行してきた。それに行ってみたら、この故人は昔、こういう趣昧に凝っていましたとか、こういうスポーツでこれだけのことをいたしましたとか、そんなことばかり書いてある。その人の生涯を説明するのに趣味ばかり出てくる。無宗教というとき何でその人の、個性ばかりが出てくるのかと書いてあった。
 どう思いますか? 自分が死んだときはこれを出してもらいたいというのは何でしょう? 趣味の他にはないでしょう。普通の日本人ならないはずです。ないほうが立派な日本人だと思っています。あるとすれば、勲章をもらいましたとか、△△協会の理事長をしました、大学教授でした、とかです。
 しかしそういうのがアイデンティティですか。お葬式にきた日本人が心の中で思っているのは、あの人は私によくしてくれたとか、そういう人間的なことを思いながら拝んでいるわけで、組合長になったから偉いとは思っていません。そういう日本人の心の葬式というのはあるわけです。
 三井不動産の社長で坪井東という方がいました。業界ナンバーワン会社ですからいろいろな役職を山ほどやって、当然勲一等ももらったはずです。しかしお葬式に行ってみたら、大きな会場の一面に白い菊の花があって、花輪も何もない。写真が真ん中に一枚だけあって、それを見たら「碁が五段」と書いてある。日本棋院から五段の免状をもらって、私の自慢はこれだけです、あとのことはもうどうでもいいんです、というわけです。なるほどなあと思いました。他のことはみんな、くっついてきたものなんです。自分が努力してとったものは、これ一つしかない。これはほんとうに自分の努力である。
 と言うのは、ホテルオークラの囲碁サロンのメンバーで、時々来て打っておられた。秘書とばかり打っている。「ご熱心ですね」と声をかけると、言いわけして、「日下さんとも打ちたいが、私はほんとうの五段じゃないからな」と言う。お情け五段だから、それがばれるといけないので“他流試合を禁ず”というお免状の話が落語にあるのです。でも本人はほんとうに碁が好きだった。お葬式に行ってみたら、それしか置いてない。ああなるほど、坪井さんはそういう心の持ち主だったんだなと思った。要するに自分でとったもの、ということです。
 しかし、そう考えたら他にもあるはずです。誰々の夫であるとか、誰々の父親であるとか、それも自分がつくったものでしょう。なぜそれを出さないのか。そういうほうが、ほんとうです。しかし、それがほんとうだとはみんなわかっているから出さないのでしょう。もうわかっているものは出さない、というのが日本だと思います。
 
人間主義であり「間人主義」
 日本のお葬式にはそういう、いろいろな精神が含まれている。自我はないことはない。しかし出さないんですね。
 なぜ出さないかというと、これもある人が言うのは、日本は神様がいないからである。人間のほうが神様より偉い。しかし「自分が偉い、自分が」と言ったのでは世の中はもたないから、意見や主張は相手と私との中間に置く。中間に置いて話をする。だからYouとかMeははっきりさせない。まずはWeで話す。ただし、どっちよりのWeなのかはこれから話し合いでという、怪しげなWeで話をしている。これを「間人主義」と名づけた人がいる。人間主義だが、答は人間と人間の間に置いてつき合う。自分自身は融通無碍である。間人主義の日本というのは、大阪大学教授だった浜口恵俊さんが言っていました。なるほどそうだと思いますね。共同体というのは、そういうふうになるものだと思います。
 それからアメリカにも自我があまりない。あると言えばあるが、ないと言えばない。なぜかというと、先に挙げた本を使っていえば、母国語をしゃべっていない。借り物の英語をしゃべっている。だから、そこではほんとうの自分がこもっていない。それでアメリカ人はほんとうの自分を探そうと思って、アイデンティティ、アイデンティティと言ってうるさいのである。日本人はそんなことを言わないですね。自分がどういう人かは周りがみんな知っている。田舎へ帰れば、もう何から何まで知られている。会社でも同じです。だから「自分はこうだ」などと別に悩まない。みんなが知っているからです。
 ところがアメリカは周り中が知らないから、しょっちゅう自己紹介をしなければいけない。それで何と言えばいいかと悩んでいますね。そもそもアメリカとはいったい何なのかの説明をするとき、昔というか、歴史を言うとぐあいが悪い。インディアンの土地を略奪したのですからね。だから未来へ向かって進歩しているとか、戦っていると言わなければいけない。だからいつも敵が必要である。それがブッシュ大統領です。今度はイランを攻めると言われています。
 なぜなら支持率が下がってきた。次の大統領選は民主党が勝つかもしれない。それでは献金が集まらない。献金集めのためにイランと戦争をする危険が十分にある。というようなことを、アメリカでは議論をしています。
 すると反対するほうは、イラクにはゲリラやテロ、内乱が増えてアメリカ人が毎日毎日死んでいる。仮にイランに勝っても、またそうなると言うわけです。
 どうしてイラクがおさまらないか。シーア派とスンニ派がいて、スンニ派がフセイン大統領側で、これが統治して大量破壊兵器はなかったが、武器弾薬はごっそり持っていた。アメリカに負けるとき、それを全部地下へ埋めたらしい。だからイラクは、武器弾薬ならいくらでも地下から出てくる。だからやる気になれば、いつまでも戦えるという説があります。だからアメリカ人も死ぬし、それからクルド人やシーア派を殺す。内乱です。死体は砂漠ですから、砂をかけておけばわからない。出てこない死体が、十万人以上あるはずだという。ミイラの本場はエジプトではなく、イラクであるらしい。
 イランを攻撃すればまたそうなるかもしれないが、ブッシュはまだ何かやりそうな気配があるのは敵が必要だからです。
 いつまでも敵が必要だというのは、日本人から見ると、まだ子供だということです。敵によって自分を確認する。そんなことは日本はもうやめました。江戸時代二五〇年の間に、日本はもう卒業しました。仲良く暮らそう。YouとMeなんて区別を立てるのがだいたい間違いである。YouもMeも一緒である、敵も味方も一緒である。それが日本精神です。


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