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日本英語が一番いい理由
 最近出た本で『日本語はなぜ美しいのか』という新書があります。黒川伊保子さんの書いた本です。感心したのは、母国語というのはほんとうに大切なものなんだと書いている。日本人は母国語を話している。だから小学生に英語を教えてはいけない。母国語が完全に身についてから英語を教えなさい、中学校からで十分ですという主張です。
 そこで例証として出てくるのが、アメリカ人には母国語でない人がたくさんいる。イギリスから来た人は、まあまあ母国語でしょうけれど、あとはだいたい寄せ集めで、お互いにコミュニケーションをするのに、しようがないから英語を使っている。だから言葉は単に「記号」なんですね。そういう理由だから、心がこもっていないのがアメリカ英語である、と書いてある。
 それで思い出したのは、地方から東京に来た人は標準語を無理に話しているわけですね。それで「奥さんは同じ田舎がいい」なんて言って、うちへ帰ったら方言で話している。あるいは飲み屋でも郷土料理屋へ行って、方言で話している。しかしそれ以外は、表面ではみんな標準語でつき合っているから、あんまり心が通わない、というのと同じかなと思いました。例えば「お父さん、お母さん、おはようございます」と教科書にはそう書いてあるけれども、実際にそうしゃべっている人はいますか? これは書く言葉、聞く言葉であって、自分がしゃべる言葉ではないでしょう。最近は知りませんが、私の世代ではそんなことを自分の家で言う人は一人もいませんでした。
 だけどそれが正しい日本語だということは知っている。建前として知っている。これは本日のテーマでいう、お上と世間様というところへつながる話です。
 アメリカ人は標準語的に英語を使っていて、心がこもっていない人が多い。それがだんだん心がこもってきたかな、というところです。ある日本人の国際的に活躍する人がこう言っていました。大学はケンブリッジヘ行った。イギリスで仕事をしているときはケンブリッジ英語でよかった。ところがアメリカヘ来て仕事をしだすと、「おまえは何を気取っているんだ」と言われるので、あわててアメリカ風英語を別に覚えた。するとまたロンドン支店へ戻ることになった。ロンドンに戻ったら「なんという品のない英語をしゃべるんだ。アメリカ英語などはだめだ」と言われる。悩みに悩んで、どうしたと思いますか?
 ケンブリッジ英語もアメリカ英語も両方使えるが、結局一番いいのは日本式英語を話すことである。そうすると相手も安心する、と言っていました。見るからに日本人という人が両方しゃべれるというのは、気持ちが悪いらしい。つき合いにくい。日本式英語のほうが、相手も自分もよっぽど住み心地がいいと気がついた、と、こういう話です。
 
日本人らしくしているのが相手に対してもいい
 両方やったあげく、日本式英語が一番だという点に到達した。ピンとくる話ですよね。というのは、私に会いにくる外国人が、変な日本語を使う。日本語上手を見せようとしてしゃべると、それが女性の日本語や学生の日本語になる。すると何か弱みを隠そうとしているように見える。
 もっとたどたどしい日本語を使っていたほうが、かえって取引きがうまくいくのにと思のう経験が少なからずあるものですから、私もちぎっては投げちぎっては投げというような英語を話すことにした。それで別に不自由はない。別に流暢になる必要はない。母国語というのはみんな持っているものであって、それを出した日本風英語やスペイン風英語やアメリカ風英語のほうが話はうまくいく。相手もかえって安心する、というようなことがあります。
 つまり、日本は自分の地で行ったほうがいい。たどたどしくたって恥ではないんです。あんまり高級な英語を言うと、かえって向こうがびっくりします。
 というと私が高級な英語を話せるみたいですが、それは相手によるわけで、ロンドンヘ行ってデパートなどで買い物をするとき(学校で習った英語を使うと、これは周りに比べて格段に正しいわけです。だから相手がびっくりする。自分が習った英語はそんなに立派なのかと、こちらもびっくりします(笑)。
 これは雑談ですが、私が分詞構文で話すと、それはずいぶん高級らしかった。それで向こうのデパートの店員は、私をインテリだと認めたらしい。当時バーバリーのレインコートというのはまだ日本になかった。だからロンドン土産にバーバリーのレインコートを買って帰ろうと思ったのです。当時買って帰って自慢にしている人は、べージュ色を着ていました。いまでもそうですね。あの薄い茶色のようなのをみんな着ていますから、私は紺色を買って帰ろうと思って、「これをください」と言ったら、彼女は真顔になってとめたんです。「あなたはこれを買ってはいけません。あなたは大学卒業生でしょう」。突然そう聞かれたので驚いたが、ともあれ「イエス」「グラデュエーテッド・フローム・ユニバーシティ」とフロームをつけたら、彼女は大いに満足して、「そういう人はべージュ色を着る。紺色なんか絶対着てはいけません。これはLaborerやWorkerが着る。デスクワークをするOfficeの人はべージュ色を着る」と言われました。しかし日本はそういう身分差がない。自分が好きなものを、自分が好きに選んで着ればいい国です。という説明は通じたかどうか不明ですが、「悪く思わないでくれ。ともかくこれを買って帰るから」と紺色を買って帰ったことがあります。そのとき、ああ、日本は身分差がないんだなと改めて思いましたね。
 その後十年ぐらいたって、アメリカのダラスが世界中のエキジビションを集めるという、ものすごく立派な空港をつくったので、その見学に調査団で行きました。そのとき説明してくれた女の人が、ここはファッションセンターになるんですと言う。「世界中のファッションを集めてきて、ここのダラスで見せる。あなたがたはその勉強に来たのでしょう。それなのに、みんなドブネズミ色の背広を着て、カチカチのネクタイを締めて、そんなことではファッションセンターについて考える資格はありません。立派で非の打ちどころがない格好をしていますが、個性が出ていません。生活を楽しんでいるのが現れていません」と言いました。その通りです。だから日本には身分差はないが、何かがある。何かあって、みんなその型にはまっているわけですね。そう思ったことがあります。
 ともあれ外国とつき合ってみると、外人に笑われないようにと一流ぶるのはかえってよくない。結局は日本人らしくしているのが一番相手に対してもいい。自分でもいい。本来の純力が発揮される・・・これは日本人全体が、だんだんそういう気持ちになってきていると思います。
 
インフォメーションよりインスピレーション
 そこで時事問題をいえば、そのまんま東氏が宮崎県知事に当選した。その瞬間人が思ったのは、そのまんま東氏の職業歴とか犯罪歴とかで、えーっというわけです。データから考えて「これは意外だ」と驚いたわけですね。しかしデータは過去の死んだ話です。
 それで、テレビをつけてみたら、そのまんま東氏が一生懸命頭を下げて歩いている姿が映った。その瞬間、この姿に感動したんだとわかりました。これはデータではありません。ナマのインフォメーションです。宮崎県の有権者は、人間はかくまで生まれ変わることができるものかと感動したのでしょう。それで投票にいった。きっといい知事になるだろうと、その未来を想像したのはインテリジェンスか、インスピレーションです。
 つまり「データ」の上に「インフォメーション」があって、インフォメーションの上に「インテリジェンス」があって、その上に「インスピレーション」がある。こういう違いのわからない人が、データ、データと言ってありがたがっているわけですね。
 データなんてものはどうでもいい。過去ですから。未来をつくるのが指導者です。データの上にインフォメーションがあるが、これがありがたかったのは昔の話です。早耳で聞いたって、それは周りよりは早いだけであって、立派かどうか、ありがたいことかどうかはわからない。学生は「パソコンをたたくと、データがたくさんとれます。インフォメーションもあります」と言うから、「あなたがた学生は、未来に仕事をするんだろ、未来に仕事をする人がインフォメーションなんか聞いてどうする。そんなものはみんな軽蔑して、その上のインテリジェンスを出せ。そのためにはインスピレーションが出なければいけない」と教えます。
 ひらめきが出なければいけない。「だから、パソコンなんか捨ててしまえ」と言ったら「いや、これは便利です。捨てられません。レポートがすぐ書けます」(笑)。それは教授の程度が低いのです。教授が並のものしか書けないから、そういうのを出しておけば通るが、それで通ったからといって喜んでいてはいけない。
 さて、宮崎県の有権者はインテリジェンスやインスピレーションが湧いてきて、投票に行った。つまり浮動票が出てきた。今までの棄権票も出てきた。地下のマグマが出てきたわけです。
 地下のマグマを引っ張りだしたのは、そのまんま東氏の、あの一生懸命な態度です。彼は「そのまんま」を見せた。自分を見せたということです。自分が昔あまり評判がよくない芸能人だったというデータはもう消せません。隠しても、みんな知っていることだからです。ただ、「今はこういう人間です。早稲田大学へ行って三年間勉強したらこんなになりました」と、ありのままでやって、それが人を感動させた。
 テレビを見終わって翌日、政治評論家が五〜六人集まっている会に出ると、みんなしたり顔で言っていることは、彼の選挙公約がわかりやすかった。彼の対抗馬が、もとお役人だった。等々ですが、しかし、それは昔から何回も言っている型どおりの批評です。そんなものは棄権票には通用しない。全く新しい票が出てきたのであって、あなたがたは棄権票のことを知らない。あるいは浮動票のことは今まで見ていないだろう、と言いました


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