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債権国は国連が好きになる
 日本が国連が好きなのは、そういう理由もあるわけです。つまり、債権国は国連が好きになる。
 それなら、国連をもっと強くする方法をまじめに考えなければいけないですね。ところが誰もまじめに考えていなくて、アメリカと仲よく一緒にやればいいと思っている。では、アメリカは国連が好きなんですか? 好きだと言うが、冗談ではない。それは五十年前の話です。
 五十年前、アメリカは世界一の債権大国だった。世界中に一番金を貸している国はアメリカだった。自分で取り立てて歩くのはくたびれるから国連をつくって、みんなで圧力をかけようというのがそのときのアメリカです。しかし、今のアメリカは世界一の債務大国ですから、国連は要らない。国連は嫌い、邪魔くさい。何とかして逃げようとアメリカは思っている。だからアメリカと一緒になって国連を強化しようなんて、愚かな話です。
 国連大使を務め上げてきた人と話をすると、建前は「国連を盛り立てて、日本とアメリカで世界をうまくマネージしていこう。そのために、私は働いてきた。しかし、力が及ばなかったところがあった。だから、常任理事国になりたいのである」と言う。「では、どうやってなるのか」と言ったら、「援助をたくさん配れば大丈夫」。「そんなことでは、駄目ですよ」「まあ、やってみなければわからない」。「ほんとうは自分で金を配るのが楽しいだけでしょう」と言っても怒りません。かえって仲よくなる。それで、その問題が一通り終わったら、「実は、私もそう思っていた」と言う。
 日本人は賢いと思います。みんなわかっている。ただ、流行で流されるのですね。だから古い流行はやめてほしいのです。アメリカが国連に熱心であるとか、アメリカとくっついていればうまくいくとか、そういうことを言うのならその条件をきちんと書き上げてほしいと思います。
 今、アメリカは国連離れを始めています。原因は正義でもない、人道でもない、自由でもない、民主主義でもない。
 金です。アメリカは借りる国になったからです。というふうに、お金から見ると国際関係論というのは実にシンプルである。なぜ、こんなに単純でわかりやすいのか。お金には思想がないからです。道徳もないからです。
 思想も道徳も、縁もゆかりも人情も、なんにもないのがお金です。そういうお金というもので国際関係論を見ると、今のような話が見えてまいります。
 
お金には道徳も感情もついていない、政治にはついている
 「思想も道徳もない。それでいいじゃないか。何がいけない?」と言うと、その人はホリエモンか、あるいは村上世彰さんのように思われてしまう。人間はアメリカ人も日本人もそんなにお金だけの人はいないと考えて、たとえば自分はホームステイでアメリカに行ったが、みんな心やさしくて、いい人だったと言う。ただし、それはアメリカの田舎の人です。
 アメリカは二つある。「ワシントンとニューヨークにいる人は、地方のアメリカ人と違うでしょう」と言うと、アメリカ人は「そうだ」と言います。「あれはアメリカ人の恥さらしである。ほんとうのアメリカは私のような田舎者である」と言う。これも正しいのです。
 日本の外務省にも話のわかる人がいて、田舎を回って歩く。田舎のアメリカを味方につけなければだめだ。ワシントンとニューヨークでいくらいいことを言っていてもだめだ、と、これは戦前からそういうことを言っている人がいる。しかし実行するのは面倒くさいから、あまり実行しない。でも、ときどきいます。
 牛場信彦駐米大使は偉い人でした。牛場さんと一緒に食事をしたとき、牛場さんはこういう話をしました。日米自動車摩擦のときアメリカの国会議員が牛場大使のところへ来て、「どうか、トヨタ、ホンダのほうで自主規制をしてくれ。日本の自動車の輸出は耐えがたいレベルになっている。しかし、アメリカは自由貿易の看板は下ろせないから、日本のほうで助けてくれ・・・」。数は言わないのですが、そのとき通産省は勝手に二三〇万台と言った。
 なぜ、通産省が喜び勇んで自主規制をしたかというと、二三〇万台と言っておいて、トヨタはいくら、ホンダはいくらと自分が割り振って威張りたいからでしょう。そのころ通産省の局長、次官は私の友人で、年ごろが一緒ですから「あなたがたのしたことは国賊だ。自主規制するならもっと頑張って、たっぷり対価をとってやるべきだ」と言いました。向こうは最初「日本の自動車には国家援助がついている。完全な民間産業になっていない」と言っていたのに「日本のほうで都合をつけてくれ。通産省の力で輸出を抑えてくれ」とは、まったく理屈の通らないことを言っていました。
 なんで通産省がそれをのんだのか、と突っ込むと、「おかげでトヨタに副社長を出せたから」と言いました。アメリカのご威光を借りて、輸出割り当て制度をつくる。するとトヨタはたくさん輸出したいから、副社長の天下りをもらったらしい。「よかった、よかった」と言うので、「本当に国賊だ」と思いました。
 そういう時代のとき牛場大使が言った話は、アメリカのデトロイト出身の国会議員が来て、「自主規制をしてくれ」と言うから、「アメリカは自由という看板を捨てるのか」「いや、捨てないから日本のほうでやってくれ」「そんな汚いことを言う国になったのか。アメリカがそんな汚い国になったのを私は見たくない。日本は自由貿易で安くてよい自動車を出しているのだから、デトロイトの会社も社員も心を入れかえて、日本のように働けば済むことである。お互いに競争しようじゃないか。そうデトロイトで言いなさい」と牛場さんが言ったら、「そんなことを言ったら、石をぶつけられて殺される」と相手の国会議員が言った。
 そのとき、牛場さんは「では、私が行く」と言ったのです。「私がデトロイトの町へ行って『働け』と言う。労働者が『働きます』と言うのだったら、やり方を教える。私が行ってそう言う」。「そんなことを言ったら、石をぶっつけられるぞ」「いい、私は日本の大使だ。日本国から月給をもらっている。そう言うのが私の仕事だ。案内してくれ。あしたでもデトロイトヘ行く」と牛場さんが言ったら、相手の国会議員はしばらく考えてから、「わかった。私が言う。これはアメリカの問題だ。デトロイトヘ行って、そう言う。あなたは来なくてよろしい」と言った。それからしばらくして「私が石をぶつけられて殺されたら、覚えておいてくれ。アメリカにも一人、男がいた」と、高倉健か浪花節のようなことを言ったそうです。そういう話を思い出します。
 そのようなことをいろいろ経て、結局、トヨタその他がアメリカに工場をつくって、アメリカ人を働くように変えたのです。感化した。そういう点では、日本は偉い国だと言いたいのです。
 お金には道徳も感情も何もついていないから、話がわかりやすいと言いました。ただし、政治にはついている、日本では行政にもついている、ということを言っています。政治にはいろいろな打算とか人情とかがくっついていて、それをまともに議論しているから問題の正体がわからなくなる。日本人の考える国際関係論やグローバルスタンダードその他は、みんなウェットでベタベタしていて正体不明になっている。
 でも、ほんとうは、日本人はわかっているんですよ。正体不明ではない。「中身はこれだ」と日本人はわかっています。けれども、失礼なことは言わない。それが外国人には、何のことかわからないのです。だから「日本人はごまかす」と言う。「外側と中が違う」と。
 そういうときは「外側は、あなたがたがあまりウルサイからネコをかぶっているだけだ。両方が裸になれば簡単だ」と言えばいいのです。
 
そもそも働かなくなる?
 さて、この調子で最後の予測に入ります。債権大国日本の行方。それを七つぐらい言います。
 予測その一。日本人はもう海外投資を差し控える。金を貸さなくなる。例えば、中国に対して去年からそれをやっています。もう劇的に減った。すでにそうなっています。
 予測その二。根本からいくと、日本は貯金が余るからいけない。だから、貯金しないで使ってしまえばいい。・・・と、これもすでにそうなっています。この五〜六年で、昔と違って劇的に貯金をしなくなりました。私の若いころはほんとうに貧乏なくせに貯金をしていました。貯蓄率十何%なんて、世界の人から見れば気が狂っているんじゃないかと思われるぐらい貯金をしていたが、今はもう二〜三%ぐらいになりました。アメリカのほうがまだ貯金しているようになってしまった。
 そうなった理由としては、みんな経済的なことを言います。金利が安いからとか、生活が苦しいからとか、父親がクビになったからだとか。それはそれで当たっています。けれどもそれより前に、貯金しても別にいいことがない。買いたいものがない。買うときはそのとき借金すればいい。金利は世界で一番安い。投資信託に預けてパアになっても、「自己責任です」と言われてしまいますからね。「それなら」と、そもそも貯金をしないで使ってしまうようになりました。
 予測その三。そもそも働くのが余計である。貯金がたまるというのは、使わないのが原因ですが、でも使おうと思うと欲しいものがないのなら、そもそも働くのをやめてしまう。これは経済学的にはものすごく正しいのです。当てがないのに働くなんておかしな話ですね。それはノイローゼです。私の世代はノイローゼにつくり上げられたわけです(笑)。小学校のときから「働け、貯金しろ。貯金しておけば何かいいことがある」と言われて。実際にそうしてみたが、たいして良いことはなかった。そうなった最大原因は冠婚葬祭をめぐる出費がなくなったからで、逆に個人主義の生活は淋しいという問題が発生しました。それから社会福祉政策の過剰で天引き過大が問題化しました。
 ともあれ、そういう勤倹貯蓄の世界を卒業したのは偉いことです。日本の若者は卒業した。若者は怠け者になったと言うが、それでは世界の歴史を見てください。世界で一番お金持ちになって、人に貸すようになった国の人が働かなくなるのは当たり前です。これ以上働いて、また貸そうなんてばかげた話です。貸せば貸すほどやっかいが増えるわけですからね。「私にも貸してくれ」とまたやって来る。いっぱい来るでしょう。それは大体、返してくれませんからね。
 昔の日本は格差社会でした。金持ちと貧乏人が、かなりはっきり分かれていた。金持ちは地主で、家には家訓がありまして、「親類や友達が金を借りに来たら、やってしまえ」と書いてある。「一〇〇円、貸せ」と言ってきたら、「一〇円、あげてしまえ」となっている。それをもし一〇〇円貸してしまったら、「まだ返していない、まだ返していない」と言ってケンカになる。だから、そのぐらいなら、一〇円渡して「二度と来るな」と言うほうがよっぽどいい。このような家訓が、金持ちの家にはみんなあったんですね。
 それから不景気と言うが、本気で働く気になれば、日本は出来高払いの現場仕事がありますから、貯金はなくてもいい、と若い人は思っている。汗水たらして働くのはローン返済のときになっています。儲けるのと使うのと順番が逆になっているだけです。


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