日本財団 図書館


新規範発見塾(通称 日下スクール) vol.27
本書を読むにあたって
 「固定観念を捨て、すべての事象を相対化して見よ」
―日下公人
 これからは「応用力の時代」であり、常識にとらわれることなく柔軟に物事を考える必要がある。それには結論を急がず焦らず、あちこち寄り道しながら、その過程で出てきた副産物を大量に拾い集めておきたい。
 このような主旨に沿ってスクールを文書化したものが本書で、話題や内容は縦横無尽に広がり、結論や教訓といったものに収斂していない。
 これを読んだ人が各自のヒントを掴んで、それぞれの勉強を展開していただけば幸いである。
 (当第27集は、2006年7月から3回分の講演を収録している)
KUSAKA SCHOOL
 
第116回 武士道と靖国神社あれこれ
(二〇〇六年七月二十日)
英霊のほんとうの気持ちとは
 今日、こんな格好でまいりましたのは、七月四日に虎ノ門DOJOでファッションデザイナーの池田ゆうさん、日本メンズファッション協会理事長に来ていただきました。そのとき「今年の夏のクールビズは、どんな格好をお考えですか」と聞きましたところ、「では、道場主の日下さんが着てください」と言われたので引き受けました。
 今日着ているのは、そのとき私に合わせてつくってくださったものです。今年のクールビズのご紹介かたがた着てきました。
 靖国神社の話をするときに、こんなカジュアルな格好をしてきていいのかな、と思いましたが、それでいいと思った理由を言いますと、七年ぐらい年上の方で、戦争中に中国大陸を一〇〇〇キロ歩いて桂林まで行き、負けて一〇〇〇キロ歩いて帰ってきたという方がいます。その方が定年退職にあたり「靖国神社で経理部長をやってくれという話が来ている。給料は証券会社へ天下ったときの三分の一ぐらいしか出ない。今、靖国神社は財政が厳しい。しかし、受けますか」と言われたとき、その方は受けたのですね。「自分も靖国に祀られている人になるところだった。私の戦友が靖国神社には何十人もいる。そのお世話をして残る一生を暮らせるのは幸せです。給料が減るのはかまわない」という理由です。
 古川潔さんと言いますが、靖国神社へ訪ねたことがあります。そのとき「靖国神社は今やさびれきっていて、誰も来てくれない。来てくれるのは、夜暗くなってからアベックだけ。『それは神域を汚すものである、パトロールしよう』という意見が出ているが、私は断じて反対している。なぜなら、私は死んだ人たちの気持ちを知っている。寂しい、誰か来てほしい、誰でもいいから靖国神社へ来て、にぎやかにしてくれれば嬉しい。それが死んだ英霊たちの気持ちです。取り締まるなんてとんでもない」と彼が言いましたので、「ああ、そういうものだろうな」と思いました。
 この東京財団でも、みんなで靖国神社へ行こうという企画をしました。大宅映子さんと私が呼びかけ人になって行きました。七〇人近くの人数になりましたから、英霊はとても喜んでくれただろうと思っております。
 この辺は少し普通とは違った感想でしょうから、もう少し申し上げます。
 サイパン島へ日本人がたくさんツアーで行くようになったとき新聞が書いたのは、戦争でたくさんの日本人が死んだところへ新婚旅行のアベックが来て、昔の戦車や大砲を遊び場にしているのは嘆かわしいことだ、ということでした。それを読んで、古川さんの話を思い出して、こう考えました。
 死んだ人は、喜んでいるかもわからない。自分たちが命を捨てて戦って、そのおかげでアメリカはいまだに日本を尊敬している。だからその後、若い日本人は経済に専念することができた。おかげでとても豊かになって、こうやって自分の子供や孫が遊びに来てくれている。サイパン島で死んだ人は、アベックがたくさん来て喜んでいるのではないか。自分はそのために死んだと思っているのではないか、・・・と思いました。
 こういうことは、こうやって話しておかないと、代が替わるとだんだんわからなくなってしまうのです。だから言っておきたいのです。英霊たちは、来てくれれば嬉しい。若い人が遊びに来たとはたいへん結構。死に甲斐があった、というのも真実ではないかと思っています。
 もう一つこんな話もあります。
 JTBでは旅行の新企画はみんな大阪支店から出るそうですが、その一つに戦跡探訪ツアーがあって、今から約三十年前、マレー半島からシンガポールヘ元兵士や遺族たちを連れて歩いたコンダクターが、こんな思い出を話してくれました。
 今は大空港になっているシンガポールのチャンギーには大きな監獄があって、そこには敗戦後、日本人将兵が収容され、そうしてたくさんの人が死刑にされました。幸い生きて帰った人がツアーの中に夫婦で参加していたそうです。その人は突然、監獄の門の前で「オーイみんな、オレは帰ってきたぞ。オレは元気だぞ」と大声で叫び、それから「オレは結婚して幸せになった。今からカアチャンを抱く。お前たちの分も一緒に抱くからな」と言って奥様を抱きしめて泣いたそうです。
 当時の兵隊たちの気持ちを書いた本を読むと、男ばかりで何年も暮らすと女性は憧れの存在となり、特に日本人の女性となるとそれは崇高、至純、神聖だったと書いてあります。その頃の兵隊たちの気持ちを一〇〇%思い出されたのです。
 どうか若い人は手をつないで境内を歩いてあげてください。そしておかげさまですと祈ってあげてください。
 
「表向きの議論」と「あれこれの議論」
 さて、きょうの題は「靖国神社あれこれ」です。
 なぜ「あれこれ」という題にしたかというと、表向きの議論と、いま私が言っているような「あれこれ」の話と二通りある。表向きの議論をしている人は、法学部を出た人。あるいは歴史学者でも官僚その他でも、みんな理屈ばかり言っています。理屈の世界での話です。これはもう皆さんご承知のとおりですね。靖国といえば、まず憲法にはどう書いてあるか。その次に、靖国神社は宗教法人であると話がはじまる。
 それはそうだが、ではどんな宗教なのか。宗教法人法を読むと何が言いたいかわからないことが書いてあります。私には全然わかりません。法学部の人も実はわかっていないらしいが、わからないとは言えないから「こう書いてある」と言っているだけでしょう。それから、その法律に基づいて、靖国神社自身が自分の定款か何か知りませんが、要するに規則を持っています。これも何が書いてあるかわかりません。少なくとも私の日本語の力ではわからないことが書いてあります。しかし、そういう文書を前提として議論する人がいる。それが表向きの議論です。
 その一方、それとは別に一般国民が考えていることがある。そしてこの一般国民が、何種類もいる。それぞれ違う。仏教の人もいれば神道の人もいる。無宗教だと称する人もいる。それから遺族の方もいるからみんなお互いに遠慮して言いません。日本人は、相手が賛成することしか言いません。正体不明の議論については黙っています。靖国神社に対する日本人の考えは、例えば四種類あるとしたら、皆さんも四種類持っていると思います。どれか一つに固まっている人は多分いないでしょう。みんな四種類をちょっとずつ持っている。だから、黙っているのだと思います。
 というようなことがありますので、「あれこれ」というのは表向きではないほうの話という意味です。
 
サマーワの自衛隊員が靖国に祀られない理由
 今日お配りした資料から話しますと、志方俊之さんが先日の虎ノ門DOJOで、「町守同心研究会」の発表をされました。
 志方さんは自衛隊の陸将で、北部方面総監で、その前は旭川の第二師団長で、そのまた前はアメリカ大使館勤務としてワシントンで働かれた方で、そのもっともっと前の赤ん坊のときは、お父さんが陸軍中将でした。そしてシベリアヘ連れて行かれて亡くなった。だからソ連に対しては、普通であれば恨み骨髄だろうと思うのですが、そういう話は一切なさらない。いつも明るく快活、朗らかな方です。
 この方が先日虎ノ門DOJOで話したのは、サマーワヘ行った自衛隊が無事に帰ってくることになった。一人も死なないで帰ってくるとは、こんな嬉しいことはない。四年前に出かけたのは、全部自分の部下だった人たちである。誰か三、四人は死ぬのではないか。五〇〇人ずつ一〇回出したから五〇〇〇人出た。それだけの数であれば、何人かは死ぬのではないかと思うのも無理はありません。部下たちは、「志願するか」と聞いたら熱烈に志願してくれたという。なぜかはわかりませんが、ある隊長の一人に聞くと、「訓練に訓練を重ねていると、実戦をやりたくなるものである」と、ちょっと物騒なことを言っておりました。しかし気がつけばもう四十歳。四十五歳で階級が下のほうの人たちはもう定年です。下ほど定年が早い。「これでもう軍隊は終わりかと思うと、一度はやりたくなるものなんだ」と言うのを聞いて、そうかもしれないと思いました。
 ともかく、志願者多数の中から五〇〇人。あと一〇〇人足して六〇〇人出た。その兵たちが幹部に質問したことは「死ねば一億円ぐらいくれるらしいが、それはともかく靖国神社はどうなるのか」と、これはみんな聞く。そういう兵を一〇人ぐらい引き連れて、志方さんはお正月に靖国神社にお参りをした。そして宮司さんに会って「私たちは靖国神社へ祀られるのでしょうか」と聞いた。すると「あなたがたが祀られるはずはない」と宮司さんが答えた。
 理由を聞くと、「まず、あなたがたは軍人ではない」。政府が軍隊ではないと言っているのだから、確かにそうですね。「それから、戦死しなければだめです。サマーワヘ行って死んだとしても、それは戦死ではない。事故死か何かです。現に戦争に行くのではないと、首相が何度も言っている。したがって軍人でない人が戦争ではなくて死んだものを、靖国神社に祀ることはありえない」という答だったと、志方さんがニコニコしながら話していました。
 これが、法学部の発想ですね。法学部の人がそういう話をしているのは知っている。しかし宮司までそんなことを言うのは、冷たいではありませんか、それでも宗教ですか、というのが出だしの話です。
 神社が何を祀るのかを、国家や法律に決められては困ります。特に靖国神社は国家から一円ももらっていないのですから。


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