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日本のほうが先進国
 これを分析的に言ってくれといわれれば、世界中に人口減少が始まった。人口減少に伴う現象はみんな共通です。したがって、日本と同じようになります。
 ですから、日本のほうが先進国です。日本の年寄りのように暮らすのがよいと思って、みんなが真似するようになります。それから、日本は平和ですよね。これは誰だってそのほうがいい。
 まず経済を追求する。世界中の国は、今それを一心不乱にやっています。日本はもう卒業した。だからそれを不景気と言ってはいけない。「日本人は金は要らないが、心の幸せが欲しい」とか、「もっと広いところで遊びたい」「住みたい」とか言うべきです。空間消費ですね。それから時間消費。スケジュールなしでぼけーっと暮らしたい。これの極端は、いつ死んでもよいと死ぬまでぼけっとしている(笑)。これが一番幸福である、という伝統も日本にはもともとあるんです。ところがこの幸福を知らない人がいる。
 これを中国では「仙人になる」と言います。仙人の仙という字は「人」偏に「山」と書く。人は一通りのことがすんだら、あとは山へ行って仙人になって、いろいろな欲はもう捨ててかすみを食って生きる。そして死ぬときは死ねばいい、という理想が中国にあって、日本にもそれはけっこう入っているんです。
 ただ、団塊の世代の人には、あんまり入っていないらしい。こういうのを「俗」という。「人」偏に「谷」と書く。谷に住んでいる人が俗人。だから何とかハイツなんて名前のところに住んでいる人は仙人なんです。
 そういう仙人風の老後の過ごし方は、日本にはもう先例がたくさんありまして、これと欧米思想との混合物がこれから発生するでしょう。
 日本の老人が幸せなのは、両方を選べることです。だから、きょうは懐石料理を食べよう、明日はフランス料理。あるいはカルチャースクールヘ行ってスペイン文化を勉強し、その後は友達で集まって孔子、孟子を読んでみようとか、日本はいろいろなことができる。それを外国人はうらやましいと思うでしょう。
 ここで出てくる日本の特徴は、知識社会です。知識を非常に尊ぶ社会、一億総インテリ。だから本の出版点数が多いし、部数も多い。本好きの人には日本が一番天国です。
 だから知識を身につけたい人は、ほんとうは日本語を勉強すべきなんですね。世界中の本があるのですから。英語でいくらやってもだめなのは、イギリスの悪口を書いた本がない。あるにはあるが、ちょっとしかない。
 それからなぜだか知らないが、日本は技術信仰をする。好きなんですね。やり出すとひらめきが出る。なぜ出るかについては、藤原正彦さんが『国家の品格』で書いていましたね。日本は風光明媚で、それがいい。
 私がそれにつけ加えると、親が甘やかして育てると頭がよくなる。まあ、十歳ぐらいまではという話ですが。この場合よくなる頭というのは、記憶力ではありません、文化的なセンスです。あるいは、クリエイティビティです。自分からいろいろやってみて、できたと思って喜ぶ心です。
 こういう自己満足をしてしまっている人は、日本中にずいぶん増えていると思います。しかし、それが見えない人は学力低下だと言う。客観テストが必要だと言います。しかし、客観テストがつくれるような問題は程度が低いのです。
 
精神についての自信こそ「根源的な自信」
 それから、日本の特徴として言いたいのは、宗教と政治、あるいは社会生活が分離していることです。倫理道徳のほうに宗教はあまり入ってこない。だから人々は心の自由があるわけです。
 こういうのは当然だと思って、みんな考えませんが、これは外国ではあまりない。暮らしてみるとわかります。オーストラリアは面白い国で、イギリスの古い宗教的習慣がそっくり入って、残っています。日曜日の午前中などは、町中シーンとしています。シドニーのような都会は別ですが。
 「みんな出歩かないのですか」と聞くと、「教会と家との往復以外は歩きません」という返事でした。「見つかったら後ろ指を指されます」と言うから「しかし、歩いている人がいる」と言うと、「あれは中国から来た人です」。キリスト教ではない人が近ごろ増えてきて、町が乱れていると言っていました。でも、喜んでもいるのです。日曜日のランチと夕食は、中国人の店に行くと食べられる。だから中国人が来たおかげで、日曜日にも外で食事ができるようになったという。
 だから、違う宗教の人と混ざっているほうがいいのです。言いたいことは要するに、一元化はよくない。多元化のほうがよい。価値の多元化。そして、相互に認め合う共有化。
 などと言っていくと、これは日本では当たり前のことを言っているわけです。外国は今からそれをやり出すから百年かかる。だから、日本のほうが百年先進国である。そう思っております。
 こういう日本思想の信者になりますと、御利益があります。それは住み心地がいいということです。
 それから、名誉がないということもあるんです。しかしヨーロッパ的名誉は、日本は超えているんですよ。ヨーロッパ的な名誉とは、人より強いぞとか、自分のほうが上だぞとか、そういう名誉が多いが、日本人は「そういうのは人が褒めてくださればそれでいい」という考え方です。要するに褒めてくだされば受け取るだけで、自分のほうから言ったら値打ちがなくなってしまう、というところまで日本は到達しております。
 靖国神社の問題でもめていますが、あれを見ていると、私はこう言いたくなるのです。日本人は「慰霊」と言う。靖国神社へお参りするのは「慰霊」をしている。「魂を慰めるのは、世界中どこでも一緒でしょう」と言って、これでもう済んだと思っているが、私は済んでないと思います。慰霊の中身を考えてみてください。我々は、思い出してあげたらもうそれでいい。慰霊の中身は「忘れていません。今日も来ました」と、命日に来たことを言っている。
 しかし、欧米人の考える慰霊の中身は、名誉の回復とか、名誉の保持、名誉の確認というのがあって、「あなたがたは犬死にさせられてかわいそうだ」というのは慰霊にならないのです。「あなた方が命を投げ出して守ったものを、私は尊敬しています。引き継いでいきます」と誓わなければいけない。それが慰霊だということを、小泉首相以下全部忘れているのではないか。そう思いませんか?
 靖国神社の隣に偕行社という陸軍軍人のOB会のビルディングがあります。先日そこへ行きますと、体つきがものすごく頑丈そうな元陸軍軍人が働いていました。雑談をして「慰霊とは何ですか」と聞くと、「頭を下げて思い出してあげることだ」と言うので、「名誉はどうなっているんですか」と言ったら、びっくりしていました。
 軍人は名誉のために死んだはずなのです。それを気の毒がるというのはよくないですね。逆です。しかし日本では、そういう気持ちだらけなんですね。欧米人はそうではない。「名誉を、私はわかっていますよ」と言いに行くことだと思っています。
 そういう日本的特徴を、日本人は知りませんが、やがて欧米のほうも「名誉だ名誉だというのは野蛮である。日本人はそんなものを超えて、もっと自然な精神に達しているらしい」と思うかもしれません。
 そういう日本人の心を駆け足で言ってしまえば、礼儀正しい、迷惑をかけない、弱者をいたわる、他人の悪口を言わない、謙虚にする、自分の功を誇らない、それからプラグマティズムであまり神がかったことは言わない。何かをやるときは精魂を込める。これは言われてやるのではなく、自分の気持ちのあらわれとして製品をつくる、あるいはサービスをする。というようなことは、もう既にやっていることなのですが、これが外国から評価されると余計に自信がつくでしょう。
 そういう段階に、あと十年すればなるでしょう。
 大切なことは、そういう精神についての自信が「根源的な自信」なのです。金持ちになったとかいう自信よりも、こちらのほうがもっと根源的ですよ、という話で終わりたいと思います。


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