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第114回 特別大きな世界展望 PART2
(二〇〇六年三月十六日)
日本は「関数」ではなく「変数」になる
 前回お話ししたのは、普通より規模が大きい将来予測です。
 十年くらい先です。ちょっと景気もよくなってきたので、この辺で十年ビジョンを聞きたいな、と国民は思っています。ですから、中身は前から言っていることなのですが、言ったらみんなが聞いてくれるようになりました(笑)。それで五年、十年予測をお話ししました。
 すると、たどり着いた結論が世の中でまったく言われていないことだから半信半疑で、もっと箇条書きにして理屈をつけて、途中の説明を親切に教えろ、と、そう思っている人が多いと思います。私の書いた本がすでにたくさん出ていますから、それを読んでくださいと言いたいところですが、まあひと言で説明すれば「日本には底力があるからだ」ということです。
 底力とは何か。底力を発言するとどうなっていくのか。この前の話は、第一段階では日本は自分に自信を持つようになった。それはまだ経済的自信ですが、やがては他に広がります。第二段階では、外交防衛でも日本の国益を中心として発言するようになる。すると意外や意外、アメリカが変わる、中国も変わる。日本には影響力があると発見して、第二の自信がつくわけです。
 すると第三段階にすぐ移ります。世界のほうが日本に「何か言ってくれ」となる。それだけではなく「日本の決意を聞かせろ。その決意を行動にどう移すかまで言ってくれ」と求めてくる。さらには世界は日本の行動に対応するようになります。
 つまり日本は「関数」ではなく「変数」になる。
 いつなるかというと、私は意外に早いと思っています。五年も要らないと思っていますが、用心して言えば十年先。しかし、こういうのは急進展するものです。
 
マスコミや学者の話が遅れる理由
 それから皆さんの認識はいつも五年くらい遅れている。
 なぜ遅れているかといえば、新聞、テレビといったマスコミや、学者が遅れているからです。それは臆病だからです。わかっていても、そこまで踏み込まない。多少は踏み込んでも、発表するときはもうちょっと手前のほうで番組をつくってしまう。そういうのばかり見て最新のニュースだと思っていたら、それはずいぶん遅れてしまうわけです。
 たとえば日本の景気が回復しているというのは、もう二年前から始まっています。「実感しない」と言う人は“何もしない人”です(笑)。
 どんどん実行している人は、もう景気回復の手ごたえを感じている。儲けている。ただし、「儲けている」とは人に言わない。そういうものですよね(笑)。しかし、やっていることを見てごらんなさい。設備投資を始めました、雇用を増やしました。それも正規雇用を増やしています。
 これは今やもう統計に出ている。だから、きちんと統計を見ればわかる。行動が反映されている統計を見てごらんなさい、ということです。口ではまだ「不景気です」と言っているが、実際の行動では設備投資をする。ということは、「あと四〜五年は大丈夫だ、この機械はもとが取れる」と思っているわけです。
 人を採用するのも、パートではなく正規で採用するわけですから、この人は二十年か三十年はいるだろうという見込みです。その間に仕込んでやろうというわけですね。
 自分に教える自信がなかったら、「パートタイマーでこの仕事をすれば、一時間一〇〇〇円。仕事は買うが人間は買わない」という、これがアメリカ式ですね。しかし未来に期待するようになると「人間ごと買うから、ひとつ全力投球で考えてくれ。命令できないところまで自分で行ってくれ」というのが日本型雇用関係のいいところです。
 その辺について考えると、アメリカ式は「上役には命令する能力がある、それを評価する能力もある」と前提している。
 「だから成果主義の導入だ、年功序列賃金は形式的でよくない」というが、それをやった会社は、みんな赤字になってしまいました。愚かですね。本に書いたこともあるんですが、ニュートンに向かって“引力を発見せよ”と命じた課長はいない。つまり上役万能論とは、アメリカのような移民の寄せ集め、部下は全部ガラクタだという前提の経営形態であって、日本はだいたいは部下のほうが上役より賢い(笑)。
 いや、ほんとうにそうだという話をすると、また一時間くらい話せます。しかしまあ、日本型経営では上役は功労者なんですね。だから「功労に報いる」というシステムで上に座っている。下はそれを見て励むわけです。自分も偉くなったら料亭に行ってゴルフをして、少しはリベートを取ってもいいらしい。それを楽しみに頑張ろう、と。これは官庁だと天下りシステムです。
 今、官庁の悪口を言うと、何を言っても通ってしまうものですから、みんな寄ってたかって悪口を言っています。あれも学者にあるまじきことだと思いますね。十年前はお役所のことをみんなであがめ奉っていたのに(笑)。
 だから真実は中間にあるのです。日本の役人くらいよく働く人はいない。だから国会議員は全部役人に頼りたい。役人を一番尊敬しているのは国会議員です。国会議員は「役人がいなくなったら務まらない」と、ちゃんと自分でわかっている。しかし選挙区へ帰ると、お役所の攻撃ばかりやっている。
 私は公平に見て、日本のお役所は世界一立派だと思っています。変な人もいるが、押しなべてあんなによく働く人たちはいない。つまり変な方向へ働かせている国会議員が悪い。それから、変に叩く新聞も悪いと思っています。
 ところがお役人に「何でそんなに働くんだ」と聞いたら、「天下りが楽しみだ」と言っている。だからそれを奪われると、もう一遍でガタガタになります。実際そうなりつつある。
 つまり私は、「適切な天下りのシステムを考えろ」と言いたいのです。こんなことを言ったって、どの新聞も載せてくれません。今から三年くらいたつと、ほんとうにお役人がガラクタばかりになって、何か楽しみを与えなければダメになる。「やっぱりご褒美がなくてはだめだ」という時代がくるだろうと思っています。
 
日本は思想で世界をリードする
 話を戻しますが、日本は三段階で自信を回復し、世界をリードする国になるだろう。つまり日本にはまだ発言していない底力があって、これからは世界を仕切る。
 それから、思想で世界をリードする日本が登場してくる。
 こう言うと、「そんな話は聞いたことがない」とすぐ言う人がいる。それは学者が全部欧米かぶれしているからです。欧米かぶれから脱却するには、古本屋へ行って明治時代の本を読めばいっぱい書いてあります。しかし一刀両断で「それはダメだ」となったのが、戦後の教育です。アメリカの押しつけです。
 日本人はもともと謙虚が好きだから、たちまち自分で自分を褒める議論はなくなってしまいました。昨日ある場所で「やたら変な英語を使う人が多くて困る」と、その実例に「コンプライアンスという英語をみんな使うが、字引きを引いたことがありますか」と言った。これは「法令順守」という日本語になっている。
 ほんとうにアメリカ人がそんな意味で使っていますか。そういうことを調べもせずに、私に向かって「東京財団のコンプライアンスはどうか」とか言う人がいる。「会長のアカウンタビリティは」とかね。
 コンプライアンスを字引きで引くと「従順」と書いてあります。「周りからの声に対して従順なこと」と書いてあります。その次には「卑屈」と書いてあります。そこまでいくんですね。ですからアメリカ人同士で「コンプライアンス」なんて普通言いません。対等な相手には言いませんよ。言うときはエンロンとか、もう札つきの悪い会社に向かって言う。
 字引きでその先を読むと、物理学用語で「外部からの圧力で、内部にひずみができること」だと書いてあります。ひずみのことなんです。だから社長が「コンプライアンスだ、法令順守だ、みんなやれ」と言ったら、会社の中がゆがんでしまう(笑)。
 外ばかり気にして、「我が社はいったい何をするのか」がどこかへ行ってしまうわけです。すると部下たちも「お役所の検査を通りました。これでいいんです」となってしまう。お客がいくら怒ってきても「もう、検査は通っています」と言っておしまい。検査が通っていないときはめちゃめちゃ謝る。「社長、行って頭を下げてください」と(笑)。
 そういう気楽な部下ばかりになってしまうわけで、コンプライアンスなんて上の人は言ってはいけないと思っています。第一主体性がなくなる、独自性がなくなる、自信がなくなる。周りに流されるようになる。これはアメリカでは一番恥ずかしいことなんですが、日本ではそうでもなくて、「従順で謙虚なのはよい」という日本の思想がある。
 だから思想を言いたくなるのです。アメリカは日本に対してコンプライアンスと言うが、それは日本は生意気だという意味なのです。「アメリカの言うことを聞け」というのを上品に言っているだけです。
 だから、もし私に向かってコンプライアンスと言ったら、私は「ふざけるな、どう言い返してやろうか」と考えます(笑)。たいていの人は「自分はコンプライアンスという英語を知っているぞ。昔、きちんと勉強したからな。日本に帰ったら使ってやれ」と、格好よくなったと勘違いしている。
 そういう現象がこの十年、日本中を吹き荒れましたが、そろそろ終わりだろうと思います。「日本語で言ってみろ」という“言いかえ運動”が起こってきました。コンプライアンスとは法令順守ではなく“役所に対して卑屈なこと”だと、もっとはっきり言ったらどうだ、と。


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