日本財団 図書館


考察:
 日本と中国との間で,生活習慣の差に基づく口腔疾患罹患状況を知るための最初のステップとして,唾液検査と質問表調査を併用した共同研究を行った。今回の研究は,日本でも高い罹患率であることが知られている歯周病に焦点を当て,ペリオスクリーンを用いた唾液潜血検査と歯周病に関連した質問表調査を,日中両国の歯科学生を対象として行った。
 ペリオスクリーン「サンスター」は,日本大学と合同酒精が共同開発した唾液や洗口液中のヘモグロビンを抗体によって検出する試験紙で,敏感度,特異度とも約90%という優れた歯周病スクリーニングのための試験紙である3-5)。本研究では,個別の歯周病検診が行えなかったため,便宜的にペリオスクリーン陽性者を歯肉炎または歯周炎などの歯周病有病者とした。このペリオスクリーンを用いて唾液潜血試験を行った結果,日本学生と比較して中国学生は43.5%という高い陽性率を示した。この陽性率は,日本人を対象とした研究4)における35〜40歳の中間値に相当し,しかも対象が歯科学生であることを併せて考えると,中国における歯周病への罹患は日本と較べて低年齢で始まっていることが予想された。実際,1995年に中国で実施された口腔疫学調査1)では,12歳における歯周病罹患率は69%,15歳が78.4%,18歳で85.2%であったと報告されている。今後は,学生ばかりでなく小児を含めた全年齢層での検査が必要であると思われる。
 質問表による調査結果では,中国学生の全身疾患既往歴を有する者の割合が高く,しかも感染症の既往が数名あったことから,口腔衛生の啓蒙とともに,公衆衛生レベルを高めていく必要性が示唆された。
 歯科治療経験を問う項目では,中国学生の約半数が歯科治療未経験であることが判明した。しかしながら,中国における対人口歯科医師数は日本の約1/30であるという報告2)を考え併せると,中国学生の受診率は一般人に較べて高い可能性がある。いずれにしても,歯科受診の機会に恵まれている状況ではないことが判明した。歯科医院で刷掃指導を受ける機会の少なさが,歯周病罹患の低年齢化と関連する原因の一つとして考えられた。
 口腔内の状態に関しては,歯肉の痛み,歯肉の腫れ,歯肉出血などの歯肉の症状を訴えている者の割合が中国学生で高かった。χ2検定の結果からも,歯肉の症状は歯周病有病者である可能性が高く,上記の3症状のいずれかが現れたら,すぐに歯周病科を受診できる機会をつくる必要性があると考えられた。この歯周病罹患率の高さにもかかわらず,南京医科大学口腔医学院での現地調査で,口腔インプラント科には多くの来院患者を認めたこととは対照的に,歯周病科には少数の患者しか認めず歯科臨床現場においても,南京市地域住民の口腔健康意識の偏りを確認できた。この点については,中国における社会保障制度など歯科医療を取り巻く環境との関連とあわせ検討をすすめる必要性があると考える。
 口腔清掃習慣に関しては,まず日本学生と中国学生との間では,一日の平均歯磨き時間に約3倍の開きがあることが明らかとなった。今回の質問表には,中国学生がこれまでにどこでどのような歯磨き指導を受けてきたのかを問う項目がなかったため,この差が何に起因するのかは明らかにできなかった。しかしながら,南京医科大学口腔医学院入学者の知識レベルが一般人より相当高いことを考慮すると,中国においては「歯磨きの重要性」を認識する機会自体が,極めて少ないことが考えられた。さらに,中国では歯科衛生士制度ならびにその教育機関が存在しない1)ことも,「歯磨きの重要性」を人々が認識する機会が少ないことと関係していると考えられた。
 唾液中の歯周病罹患マーカー候補タンパクであるHGFを,中国学生からの全唾液サンプルを用いて定量し,ペリオスクリーンの判定結果との相関を調べた。その結果,HGF量はペリオスクリーンの判定が陰性の−から陽性の+,++と向かうほど高値をしめす傾向がみられ,有意な相関を確認した。これは,日本人とポーランド人を対象にそれぞれ行われた研究6,7)と同様の結果であり,中国人の集団においてもHGFが歯周病のマーカー候補タンパクとなりうることが示された。今後は,この貴重なサンプルを活用し,他の歯周病罹患マーカー候補タンパクについても解析を継続して行い,唾液を用いた歯周病検査の精度を向上させていきたい。
 以上の調査結果から,将来中国の口腔衛生に関する指導的立場を担う中国学生に対して,う蝕や歯周病の予防における「歯磨きの重要性」を再認識させ,さらには口腔衛生全般に関する教育の強化を通じて,公衆衛生の向上を目指した啓発運動が必要である。これは,絶対的に不足した歯科医師数で歯科疾患の罹患率を10年後,20年後に減少させるためには,予防の徹底が必要不可欠であるという教育が,最も費用対効果が高いことを示すべきであると思われる。そのためには,かつての日本がそうであったように,歳を取って歯が抜けるのは,「自然現象ではなく病気」なのだという認識を国民全体に広めるキャンペーン活動が有効であると考える。
 本調査研究が,日中両国の学生による「ペリオスクリーン陽性率0%」を目指した口腔衛生習慣づくりのための動機付けの一助となることを期待する。
 
謝辞:
 本共同研究は,日中医学協会の2006年度研究助成事業の援助を受けて行われた。また,調査に協力いただいた日本および中国の学生諸君,中国側現地スタッフに感謝いたします。さらにペリオスクリーン「サンスター」ならびに歯ブラシを提供して下さったサンスター株式会社に,深く感謝の意を表します。
 
参考文献:
1. 曹采方:中国における歯周病学の現状,日中医vol 17, 26-33(2003).
2. 長谷川紘司, 曹采方:中国人の歯周病罹患状況調査と中国人歯科医師への歯周治療学教育, 日中医学vol 19, 37(2004)
3. 大島光宏, 鈴木邦治, 江田昌弘, 佐藤慶伴, 伊藤公一, 村井正大, 大塚吉兵衛:唾液潜血試験におけるモノクローナル抗体を用いたヘモグロビン検出試験紙の有用性,日歯周誌vol 39, 273-280(1997)
4. 大島光宏, 藤川謙次, 有泉実, 沈在明, 鈴木邦治, 吉沼直人, 江田昌弘, 伊藤公一, 村井正大, 大塚吉兵衛:モノクローナル抗体を用いた唾液潜血試験紙の歯周疾患スクリーニングテストにおける有用性−臨床パラメーターとの関連性について−, 日歯周誌vol 40, 111-118(1998)
5. 大島光宏, 藤川謙次, 熊谷京一, 出澤政隆, 江澤眞恵, 伊藤公一, 大塚吉兵衛:新しい唾液潜血試験紙法による歯周疾患のスクリーニングテストの有用性, 日歯周誌vol 43, 416-423(2001)
6. Mitsuhiro Ohshima, Kenji Fujikawa, Hideyasu Akutagawa, Takashi Kato, Koichi Ito, Kichibee Otsuka (2002) Hepatocyte growth factor in saliva: a possible marker for periodontal disease status. J Oral Sci, 44, 45-39
7. Magdalena Wilczynska-Borawska, Jacek Borawski, Oksana Kovalchuk, Lech Chyczewski and Wanda Stokowska: Hepatocyte growth factor in saliva is a potential marker of symptomatic periodontal disease, J Oral Sci vol 48, 47-50 (2006)
 
表1 ペリオスクリーンの判定とアンケート調査結果
(拡大画面:74KB)
 
図1 ペリオスクリーンの判定結果と唾液中HGF濃度との関係
r=0.347


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION