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−日中医学協会助成事業−
漢方薬の唾液分泌増強機構の調査研究
研究者氏名
村上政隆
中国所属機関
南京医科大学付属第一病院中医内科
日本研究機関
自然科学研究機構生理学研究所
細胞器官研究系
指導責任者
助教授 村上政隆
共同研究者名
丁 、魏 睦新
 
要旨:
 唾液分泌低下治療に効果のある漢方薬が直接唾液腺に作用するのか?また分泌を誘発するのか唾液水分分泌を増強するのかを調べるため、摘出ラット顎下腺の血管灌流標本の水分分泌速度を測定した。成体ラットから顎下腺を摘出、血管灌流標本を作製。分泌導管にカニューレを施しこれを電子天秤上のカップに導き、分泌された唾液重量を経時的に計測しコンピュータに転送、実験後データを時間微分して分泌速度を求めた。漢方薬は20種類を用いた。薬物は治療血液濃度になる様、灌流液中に添加溶解した。対照刺激として5分間のカルバコールを投与し分泌を観測した。対照分泌は初期30秒にピークをもつ初期相とその後緩やかに増加し5分で持続期に入る分泌持続相に分かれた。薬物を灌流系より洗い流し、漢方薬単独を加えたが一例を除き19の漢方薬は唾液分泌を誘発できなかった。漢方薬添加後5分で灌流液にカルバコールを重畳すると15種類で唾液分泌の増強が観察された。いずれも初期相には影響がなく、分泌持続相の分泌速度を増強させた。5種の薬物が増強効果を持たず、ヒトでは分泌増加を起こす理由は神経活動の変化によると推定された。唾液腺に直接作用をもたらす15種の薬物による分泌増強反応は3つのパターンに分かれた。このパターンは用いた漢方薬の分類(I)養陰剤、(II)補気剤、(III)活血剤と対応した。唾液増強をもたらす漢方薬の作用機序を西洋医学的手法により調査することは唾液分泌機序研究の新しい方法になるばかりでなく、唾液分泌の改善のために中国医学の経験を結びつけ全身効果を考慮した漢方薬治療法の西洋医学との融合が生まれる可能性がある。
 
Key Words:唾液分泌減少症、ラット摘出灌流顎下腺、水分分泌測定、漢方薬、分泌増強効果
 
緒言
 口腔乾燥症Xerostomia、Dry Mouthは唾液分泌低下によって引き起こされる状態をいう。口腔乾燥症になると、口腔粘膜の痛み、食物の嚥下困難、口腔内感染を起こし、口腔内が不潔になり、う歯の発生を助長する。ことに高齢者の場合、口腔乾燥症が全身状態の低下を誘発し、重篤な疾病につながることがある。唾液分泌低下の原因は、1)体液浸透圧の上昇、交感神経系の優位な興奮状態など日々の生理的な体調の変動による場合、2)老人性の唾液腺分泌能の低下、3)向精神薬、降圧剤などの投薬による副作用としての唾液分泌低下、4)放射線治療による唾液腺分泌終末部の障害による唾液分泌低下、5)シェーグレン症候群、嚢胞性線維症(Cystic Fibrosis)など唾液腺の疾病による分泌低下があげられるが、A)唾液腺そのものに病因がある場合と、B)唾液腺に影響を及ぼす神経系、内分泌系、循環系の作用の総体として分泌低下につながる場合、の大きく二つに分かれる。
 唾液腺の水分分泌は、副交感神経/交感神経の活動および生理活性物質の作用により誘発される。これは二つの経賂を通過する水分移動の総和である。ひとつは、分泌終末部細胞(腺房細胞など)が塩素イオンを能動的に分泌しこれに細胞内からの水分の浸透流が伴う経細胞輸送であり、もうひとつは細胞間隙を細胞結合部tight junctionを超える水の移動、すなわち傍細胞輸送である[1、2]。神経活動/生理活性物質の作用がなければ分泌は起こらない。口腔乾燥症の広範な原因を理解し、これを治療に結びつけるためには、分泌終末部細胞の分泌機構のみを理解することだけでなく、細胞同士の間を水が通過する調節機構、循環系からの水分の補給経路、神経系/内分泌系による水分分泌調節を理解することが極めて重要である。しかし細胞レベルの理解と神経系/内分泌系を直接結びつけることは困難である。そこで、細胞レベルの理解をまず複合細胞系に持ち込み、分泌測定が可能な実験系として、唾液腺を個体から切り離し、血管灌流により循環を維持し、分泌機能、細胞機能を評価する実験系[3]を用いることとした。この実験系の利点は灌流液に生理活性物質を添加することで唾液腺の状態を分泌活動も含め調節することができ、唾液導管にチューブを挿入し分泌唾液を採取することによりその化学組成を分析できる。また分泌された唾液を延長チューブで電子天秤に導き、分泌唾液重量を計時的に測定することが可能であり、唾液の水分分泌速度の時間的変化を評価できる。また、腺を個体から完全に切り離していることにより、神経系/内分泌系からの影響を一切受けないで分泌機能を評価できる利点がある。
 唾液分泌低下に対する治療法は、原因となる疾病の治療が優先されるが、原因不明の場合や放射線により不可逆変化が唾液腺に起こっている場合、治療中の投薬を停止できない場合、老人性の唾液腺変化による場合には、人工唾液の服用(飲水)のみに頼らざるを得ない。しかし、人工唾液の服用(飲水)を会話中に行う不便さなどがありQOL(Quality of Life)の向上のために唾液分泌低下に対する治療が求められている。ここで、中国の数千年にわたる漢方薬の治療効果の調査と実験を行う動機がある。唾液分泌低下に対して治療効果のある漢方薬が多く知られているが、これらの薬物が直接唾液腺に作用するのかどうか?また直接作用があるとすれば、唾液を誘発するのかあるいは唾液水分分泌速度を増強するのかを摘出ラット顎下腺の血管灌流標本を用い、水分分泌速度を測定し検討した。予備実験と今回の共同研究により、従来より唾液分泌促進効果が知られている20種類の漢方薬について唾液分泌に及ぼす影響を検討した。
 
対象と方法
材料:Wistar系雄性ラット(Slc: Wistar/ST, SLC、浜松)9週令(240-290g)を用いた。Pentobarbitone Na(50mg/kg体重)の腹腔注射により全身麻酔を施し動物から顎下腺を摘出した[4]。灌流動脈に施したカニューレより2ml/minの一定流速で人工灌流液を灌流する血管灌流標本を作製し、37℃の恒温チェンバーに設置した。静脈は切り離し、流出灌流液は自由に排出させた。分泌導管には、フッ化樹脂製チューブ(内径0.3mm x 外径0.5mm、EXLONTM)カニューレを施した。挿入前にあらかじめチューブの内腔を生理食塩水で満たし、電子天秤(AEG220, Shimadzu)上のカップに満たした水の水面下に導き、水分のみの移動を電子天秤が重量として感知するようにした。すなわち分泌されつつある唾液の重量を経時的に計測しコンピュータ(Librett20, Toshiba)に転送(RS-232C)、実験後データを時間微分して分泌速度を求めた(Excel, Microsoft)。
灌流液の組成は、NaCl 140 mM、KCl 4.3 mM、CaCl2 1 mM、MgCl2 1 mM、glucose 1 mMとし、HEPES 10 mMを加え1N NaOHにてpH7.4に調整した。唾液分泌刺激のコントロールとしてムスカリニック受容体を刺激するCalbamylcholine(Sigma, MO; カルバコール)を0.2μMの濃度で用いた。
漢方薬は、玄参、地黄、沙参、天花粉、葛根など20種類を用いた(表)。薬物は灌流液中に治療血液濃度になる様に入れ、撹拌後遠沈、上清を0.45ミクロンフィルターで濾過し試験液として使用した。
実験プロトコール:薬剤の効果として、a)直接唾液分泌を誘発する効果があるのか、b)通常の分泌刺激を増強する効果があるのか、を検討するために、同じ唾液腺を用い、以下の連続した3つの実験を行った。
1)用いた唾液腺の分泌能をカルバコール単独刺激で測定する。
2)用いた唾液腺の漢方薬単独の分泌誘発効果を測定する。
3)漢方薬の分泌増強効果を、あらかじめ漢方薬を灌流している状態でカルバコールの分泌刺激を行い、分泌時間経過を測定する。
 カルバコールの濃度を1μMを用いるとsupra-maximalの刺激となる。本実験では、漢方薬の分泌増強効果を検討するために0.2μMの中程度の刺激を用いた[5]。
 上記1)-3)の実験前までに腺の灌流状態を安定させるために、20分間の刺激剤を含まない灌流をおこなった。このときに無刺激での唾液分泌はいずれの腺でも観察されなかった。
 
結果
1)対照刺激として最初5分間のカルバコール刺激を行った。刺激により分泌が誘発され初期30秒にピークをもつ初期相とその後緩やかに分泌速度が上昇し5分で分泌持続期に入る持続相に分かれた。
2)薬物を灌流系より5分間洗い流し、漢方薬単独を加えたが1種類(甘草)のみCCh刺激がなくても分泌反応を起こした。他の14種類の漢方薬は、単独使用では唾液分泌を誘発しなかった。
3)漢方薬添加後5分でこれにカルバコールを重畳すると、20種類の漢方薬のうち15種類で唾液分泌の増強が観察された。いずれも初期相には影響がなく、分泌持続相の分泌速度を増強させた。増強効果のない5種の薬物がヒトで分泌増加を起こすのは神経活動あるいは内分泌活動の変化によるものと推定された。唾液腺に直接作用をもたらした15種の薬物に対する反応は3つのパターンに分けることができた。(I)持続期全般を緩やかに増強する(プラトー値が高い)(図1)。(II)持続期にはいり継続して分泌が増加し5-10分で最大値になった後緩やかに減少する(図2)。(III)持続期にはいり継続して分泌が増加し5-10分で最大値になった後急速に低下し、対照刺激のプラトー値より低レベルで分泌が持続する増強と抑制の二相性パターン(図3)。Iのパターンは養陰剤に、IIのパターンは(補気剤、清熱剤、化痰剤(日本漢方では去痰剤)、3種混合)に、IIIのパターンは活血剤に、それぞれ漢方薬分類の対応した(表)。
 
図1 分泌増強パターンI
 
図2 分泌増強パターンII
 
図3 分泌増強パターンIII
 
考察
 唾液分泌促進作用を有する漢方薬には唾液腺に直接作用し唾液分泌の持続相を増強する薬物が15種類存在し、漢方の薬効機序に対応する作用パターンが存在した(表)。これまで、西洋医学的手法により、細胞生理学的反応を臓器レベルに外挿してすべてを理解しようとしていたが、今回観察された分泌増強パターンが生じる機構を少なくとも、1)細胞内信号系への漢方薬の修飾効果、2)傍細胞輸送系の開閉の調節機構、3)臓器循環系の漢方薬による調節の3つの視点から詳細な実験を進めてゆく必要がある。一方、唾液腺臓器レベルでは効果の見られなかった漢方薬は、おそらく個体(全身)レベルで神経系/内分泌系に作用し、唾液分泌を増強しているものと予測される。これらの薬物の効果については全身症状の変化を別個に考察することにより、機序の理解を進める可能性がある。今後西洋医学的手法と中国医学の経験を結びつけ蛋白分泌に対する漢方薬の影響や細胞内信号伝達に及ぼす影響などを調べることにより唾液分泌機序の新しい視点が生まれる可能性は極めて高い。また、単一細胞の生理学実験で得られない組織/器官系の反応パターンが漢方薬の分類と一致したことは、漢方分類が組織生理学研究に大きな示唆を与えることを示しており、逆に漢方分類の現代生理学的な理解に繋がることは疑いない。
 
表  漢方薬の分類と唾液分泌増強の反応パターン
(I、II、IIIは前掲のグラフに対応する。)
漢方薬分類 漢方薬名 単独唾液分泌誘発 刺激唾液分泌増強 増強反応の型式
養陰剤 玉竹(YZ)
麦門冬(MD)
天門冬(TD)
烏梅(WM)
なし
なし
なし
なし
あり
あり
あり
あり
プラトー持続増強(I)
プラトー持続増強(I)
プラトー持続増強(I)
プラトー持続増強(I)
補気剤 (HQ)
太子参(TZS)
甘草(GC)
なし
なし
あり
あり
あり
あり
増強後緩除低下(II)
増強後緩除低下(II)
増強後緩除低下(II)
清熱剤 天花粉(THF)
赤芍(CS)
なし
なし
あり
あり
増強後緩除低下(II)
増強後緩除低下(II)
化痰剤
(去痰剤)
皀角刺(ZJC)
紫苑(ZY)
なし
なし
あり
あり
増強後緩除低下(II)
増強後緩除低下(II)
補気+養陰
+活血剤
丹地玉(DDQY) なし あり 増強後緩除低下(II)
活血剤 丹参(DS)
桃仁(TR)
穿山甲(CSJ)
なし
なし
なし
あり
あり
あり
二相性(III)
二相性(III)
二相性(III)
分泌に効果がないか減少させた漢方薬
養陰剤
清熱剤
解表剤
養陰剤
清熱剤
 
 
石斛(SH)
玄参(XS)
葛根(GG)
沙参(SS)
生地黄(DH)
 
 
なし
なし
なし
なし
なし
 
 
なし
なし
なし
なし
なし
 
 
なし
なし
なし
なし
なし
 
参考文献
1. Segawa A, Yamashina S, Murakami M (2002) Visualization of 'water secretion' by confocal microscopy in rat salivary glands: possible distinction of para- and transcellular pathway. Eur J Morphology 40: 241-246.
2. Murakami M, Murdiastuti K, Hosoi K, Hill AE (2006) AQP and the control of fluid transport in a salivary gland. J Membrane Biol 210: 91-103.
3. Murakami M, Novak I, Young JA (1986) Choline evokes fluid secretion by perfused rat mandibular gland without desensitization. Am J Physiol 251: G84-G89
4. Murakami M, Miyamoto S, Imai Y (1990) Oxygen consumption for K+ uptake during post-stimulatory activation of Na+, K+ -ATPase in perfused rat mandibular gland. J Physiol 426: 127-143.
5. Murakami M, Seo Y, Watari H (1988) Dissociation of fluid secretion and energy supply in rat mandibular gland by high dose of Ach. Am J Physiol 254: G781-G787.
 
注:本研究の一部は、第50回および第51回日本唾液腺学会にて口演発表および特別講演、「日本唾液腺学会誌」46巻8-9, 2005および「日本唾液腺学会誌」46巻3-5, 2006に掲載された。また第3回ニールスステンセン記念国際唾液腺シンポジウム(岡崎 2006 10月、要旨集p34)にてポスター発表された。唾液腺に関するゴードン会議(Ventura, USA, 2007 2月)にてポスター発表、および第84回日本生理学会大会(大阪 2007 3月)にて口演発表の予定である。
作成日:2007年1月31日


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