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−日中医学協会助成事業−
アジア産人体寄生性全種肺吸虫に対応する肺吸虫症血清診断キットの開発
研究者氏名 杉山 広
所属機関  国立感染症研究所寄生動物部 主任研究官
共同研究者名  銭 宝珍
所属機関  浙江省医学科学院生物工程研究所 教授
 
要旨
 肺吸虫症の免疫血清診断を目的に、免疫クロマトグラフィー法に基づく診断キットを作製し、本邦の肺吸虫症患者(ウェステルマン肺吸虫症と宮崎肺吸虫症)に適用可能であるか検討した。その結果、キットの作製に用いた抗原の由来種と肺吸虫症患者の原因種とが一致した場合には、的確な診断結果が得られる事が明らかとなった。一方、抗原の由来種と肺吸虫症の原因種とが異なる(異種の抗原で診断した)場合には、診断結果が一定しなかった。この場合、抽出粗抗原に替えてES抗原を用いると、非特異的な反応が減衰して診断の特異性が上昇した。またプロテインAが抗IgGに替わる検出プローブとして使用できる事が明らかとなり、動物へのキット利用の道が開けた。現在、複数種に由来するES抗原と、更にリコンビナント・タンパク(中性システインプロテアーゼ)を調整中で、これらを用いて新たな診断用キットを作製する作業を進めている。また浙江省(ウェステルマン肺吸虫)と湖北省(スクリアビン肺吸虫)の流行地で、新規作製のキットも活用した疫学的調査を実施し、肺吸虫と肺吸虫症に関する総括的検討を進める予定になっている。
 
Key Words 肺吸虫、免疫血清診断、免疫クロマトグラフィー法、金コロイド標識、人獣共通寄生蠕虫症
 
緒言:
 肺吸虫症は重要な人獣共通寄生蠕虫症で、淡水産のカニを生や不完全な加熱で食べると云う伝統的な食文化を背景に発生する。アジアの諸国では、いくつかの種類が人体寄生の原因となっている。特に日本と中国では、ウェステルマン肺吸虫が重要な原因虫とされる。これとは別種の宮崎肺吸虫(日本に分布)やスクリヤビン肺吸虫(中国に分布)も重要な人体寄生種となる。肺吸虫症の免疫血清診断には、従来から種々の手技が適用されてきた。本研究の中国側・共同研究者である銭らは、免疫クロマトグラフィー法に基づくキットを作製し、既に肺吸虫症の診断を行なっている[1、2]。ウェステルマン肺吸虫の成虫抗原を用いたこのキット(以下、従来型キットと呼ぶ)は、皮内反応に準ずる簡便さ(迅速さ)を有する(反応自体は5分以内に終了)。検出感度は98%と高く、特異性は95%を示す。この様に優秀なキットではあるが、他種肺吸虫の感染が的確に診断できるかは、検討されてこなかった。
 そこで本研究では、先ずこの従来型キットが、本邦の肺吸虫症患者(ウェステルマン肺吸虫症と宮崎肺吸虫症)の診断に適用可能であるかを調べた。次に、使用抗原を替えた新たなキット(以下、改良型キットと呼ぶ)を作製し、その診断能力を評価した。また動物へのキット応用を顧慮し、プロテインAが抗IgGに替わる検出プローブとして使用できるかを調べた。リコンビナント抗原の使用も視野に入れて、分子生物学的な検討も進めた。以上のような実験室での検討に加えて、浙江省と湖北省の流行地に出掛け、肺吸虫症に関する疫学情報の収集に努めた。得られた成果を併せて報告する。
 
材料と方法:
1)抗原の調整と改良型キットの作製
 和歌山県産のサワガニから分離した宮崎肺吸虫のメタセルカリアをラットに感染させ、2ヶ月半に剖検して成虫を回収した。またタイ産のヒロクチ肺吸虫メタセルカリアをネコに感染させ、30ヵ月後に剖検して成虫を回収した。回収した成虫の一部は、滅菌生理食塩水で洗浄後、液体培地RPMI1640で3時間培養し(37℃、5%CO2)、ES抗原(Excretory Secretary Antigen)を調整した。残りの成虫は、滅菌生理食塩水で洗浄後・リン酸緩衝生理的食塩水(PBS、0.01M、pH7.2)を加えてホモゲナイズし、抽出粗抗原を調整した。各抗原のタンパク量を測定し、至適濃度となるようにPBSで希釈、あるいは遠心濃縮(ビバスピン20、分子量5,000、ビバサイエンス)して、キット・デバイスのニトロセルロース膜面の中央部にスポットした。
 
2)供試血清
 当研究室で診断した肺吸虫症患者に由来する血清5検体(Pw225、Pw457、Pm339、Pm467、Pm421)と、当研究室で実験感染させて得た動物由来の血清6検体(PwCat-01、-03、-04、-05、-10、PwDog-01)を代表的な試料として用い、キットの診断能力を評価した。
 
3)キットの評価
 各キットを用いた反応の後、キット・デバイスのニトロセルロース膜面を肉眼的に観察し、赤色スポットの発色程度に応じて陽性、弱陽性、陰性の3段階に分けて、供試血清の反応性を表現した。また、プロテインA(浙江医学科学院製)を既報[1]に従い金コロイド(直径20nm)で標識し、これが抗ヒトIgGに代替して、抗原抗体結合物を検出するプローブになるかを調べた。
 
4)リコンビナント抗原作製の試み
 ウェステルマン肺吸虫のメタセルカリアに由来する(カテプシンLタイプの)中性システインプロテアーゼに注目し、cDNAの配列(D21124)[3]を基にプライマーを作製した
(フォワード:
およびリバース:)。
 これらのプライマーは、元の配列を少し改変させ、EcoRI(GAATTC)あるいはPstI(CTGCAG)の認識配列を夫々に挿入し、プラスミド・ベクター(pMal-c2、NEB)への強制クローニングが可能となるよう工夫した。次に、ウェステルマン肺吸虫(2倍体型)成虫から調整したpoly(A)+RNAをテンプレートとして、上記のプライマーペアを用いてRT-PCRを行った。得られた予想サイズの産物を上述のベクターにクローニングし、塩基配列を解読すると共に、大腸菌(XL1-Blue)にトランスフェクトし、IPTGでインダクションを掛け、リコンビナント・タンパクを産生させた。
 
5)肺吸虫症の流行情況に関する情報の収集
 ウェステルマン肺吸虫症の流行地である浙江省寧波市に出掛け、寧波市疾病予防控制センターの葉 麗萍部長に面談し、当該地の肺吸虫症について、流行状況や病態像に関する資料の提示を受けて討議を行なった。スクリアビン肺吸虫症の流行地である湖北省十堰市にも出掛け、陽医学院寄生虫学教室の朱 名肚教授から同様に情報を収集した。
 
結果:
1)従来型キット(ウェステルマン肺吸虫抗原)の評価
 本邦の肺吸虫症患者の血清を用いて、従来型キットを評価した。その結果、ウェステルマン肺吸虫に感染した患者の血清に対しては、いずれも陽性を示す事が分かった。一方、宮崎肺吸虫の患者血清に対しては、陽性となる場合(Pm421)、弱陽性となる場合(Pm467)、更に陰性となる場合(Pm339)が認められた(表)。
 
表.  各種抗原を用いて作製したキットの反応性評価:患者血清を用いての検討
血清 抗原別のキット反応性
PwH1) PwH PhH PhES PwH3)
Pw225 ++2) + ++ + ++
Pw457 ++ - - - ++
Pm339 - ++ ND4) ND ND
Pm467 + ++ ND ND ND
Pm421 ++ ++ ND ND ND
1)PwH: ウェステルマン肺吸虫抽出粗抗原、PmH: 宮崎肺吸虫抽出粗抗原、PhH: ヒロクチ肺吸虫抽出粗抗原、PhES: ヒロクチ肺吸虫ES抗原
2)++: 陽性、+: 弱陽性、−:陰性
3)金コロイド標識プロテインAをプローブに用いた評価結果、他は金コロイド標識ヒトIgGをプローブとした
4)ND: 検討せず
 
2)改良型キット(宮崎およびヒロクチ肺吸虫抗原)の評価
 宮崎肺吸虫抗原を用いて作製した改良型キットは、宮崎肺吸虫の患者血清に対して、総て陽性を示した。一方、ウェステルマン肺吸虫の患者血清に対しては、弱陽性となる場合(Pw225)と陰性となる場合(Pw457)が認められた。
 ヒロクチ肺吸虫抗原(抽出粗抗原)を用いて作製された改良型キットは、ヒロクチ肺吸虫に感染した患者(タイ人)の血清に対して常に陽性を示した(銭ら、未発表)。そこで、ウェステルマン肺吸虫に感染した患者の血清を用いて、この改良型キット(ヒロクチ肺吸虫抗原)を評価した。その結果、陽性となる場合(Pw225)と陰性となる場合(Pw457)が認められた。そこで、ES抗原(ヒロクチ肺吸虫)を調整して新たに改良型キットを作製し、検討を加えた。その結果、粗抗原(ヒロクチ肺吸虫)のキットで陰性であった血清(Pw457)は、同じく陰性に留まる事が分かった。一方、陽性を示した血清(Pw225)は反応が弱まり、弱陽性となる事が分かった。
 
3)プロテインAを用いたキットの評価と動物の診断への応用
 従来型キットで検出された患者血清(Pw225とPw457)の反応が、抗ヒトIgGではなく、プロテインAをプローブにしても検出できるかを調べた。その結果、ウェステルマン肺吸虫症の患者血清は変わらず陽性を示し、プロテインAをプローブとしても患者の診断が可能である事が分かった。
 ウェステルマン肺吸虫感染ネコおよびイヌの血清に対して、従来型キットが陽性を示すかを調べた。プローブにはプロテインAを用いた。その結果、ネコおよびイヌの感染血清は、すべて陽性となる事が明らかとなった(感染前血清はいずれも陰性)。
 
4)リコンビナント・タンパクの調整
 ウェステルマン肺吸虫の成虫から調整したpoly(A)+RNAをテンプレートとし、中性システインプロテアーゼを標的にRT-PCRを行なった。その結果、予想サイズの産物(546bp: プライマー部分を除くと500bp)が増幅された。このRT-PCR産物をベクターにクローニングし、遺伝子配列を解読して既知の中性システインプロテアーゼの配列(D21124)と比較した。その結果、シミラリティーは核酸レベルで98.0%である事が分かった。このクローンを大腸菌にトランスフェクトさせ、インダクションを掛けた。その結果、約70kDaのリコンビナント・中性システインプロテアーゼが発現した。現在、リコンビナント・タンパクの大量発現と精製を進めている。
 
5)肺吸虫症の流行情況調査
 浙江省寧波市の流行地(ウェステルマン肺吸虫)において、従来型キットなどにより検出された肺吸虫症患者は、2000年−2004年の5年間で369名(1年間に60-80名)に上った。患者に認められた臨床症状は発熱と呼吸器症状が主で、皮下結節を認めるなどの異所寄生例・迷入例は検出されなかった。
 湖北省十堰市の流行地(スクリアピン肺吸虫)においては、この5年間に見出された肺吸虫症患者は108名であった。このうち38例が呼吸器症状のみを呈したが、36例で移動性皮下結節を、16例に腹部症状・病変(臍周囲の疼痛、肝腫大、腹水貯留など)を、7例に神経症状を認めた。スクリアビン肺吸虫では異所寄生例・迷入例が問題で、簡便で正確な免疫血清学的診断法の導入・確立が重要である事を痛感した。現在、当地で得たスクリアピン肺吸虫メタセルカリアをネコに感染させ、すでに糞便内排卵を確認した。成虫を回収して抗原を調整し、改良型キット(スクリアビン肺吸虫)を作製する予定である。
 
考察:
 本研究の結果、従来型キット(ウェステルマン肺吸虫抗原を使用)[1、2]で、本邦のウェステルマン肺吸虫症患者が的確に診断される事が分かった。また宮崎肺吸虫抗原を用いて作製した改良型キットで、宮崎肺吸虫症患者が的確に診断された。すなわち、キット作製に用いた抗原の由来種と肺吸虫症患者の原因種とが一致した場合に、的確な診断結果が得られる事が明らかとなった。注意が必要なのは複数種の肺吸虫が人体寄生の原因となる地域で、この場合は原因種を網羅したキットの作製が必要になると考えられた。
 一方で、キットの作製に用いた抗原の由来種と肺吸虫症の原因種とが異なる(異種の抗原で診断した)場合は、結果が一定しなかった。この場合、抽出粗抗原に替えてES抗原を用いると、非特異的な反応が減衰する事をヒロクチ肺吸虫で確認した。ES抗原の使用により診断の特異性が上昇する事は、マイクロELISAの系などで既に報告されている[4]が、免疫クロマトグラフィー法を応用したキットでも同様の結果が得られた。現在、ウェステルマン肺吸虫と宮崎肺吸虫からES抗原を調整しているので、これを用いた改良型キットを作製し、診断の種特異性が高くなる事を実証する予定である。また、リコンピナント・中性システインプロテアーゼを調整中であり、これを抗原とするキットを作製して、診断に活用したいと考えている。
 肺吸虫のネコやイヌヘの感染性は高く、これらの動物が終宿主として野外で生活環を維持している。このような終宿主動物の診断には、抗ヒトIgGに替えて、動物のIgGに結合するプロテインAの使用が必要となる。そこで本研究では、金コロイドで標識したプロテインAを準備し、ウェステルマン肺吸虫に実験感染させたネコとイヌの血清を用いて、従来型キットで診断が可能か検討した。その結果、動物の肺吸虫感染も診断できる事が分かった。このプローブで、肺吸虫症患者も同様に診断できた。多種類の動物を同時に対象とした検討には、金コロイド標識プロテインAを用いるキットの使用が、有用と考えられた。
 本研究で得られた成績を礎に、他の研究財団(ヒューマンサイエンス振興財団、平成19年度)に対して、外国の研究機関(浙江省医学科学院・生物工程研究所)への委託事業の申請を行なったところ、採択の運びとなった。研究計画としては、診断キットを多数作製し、これを用いて浙江省(ウェステルマン肺吸虫)と湖北省(スクリアビン肺吸虫)の流行地で、各500人以上の住民と多数の動物を対象に検査を実施する予定である。肺吸虫と肺吸虫症に関する知見を総括的に取りまとめたい。この様な研究活動を行なう事で、当該分野での技術提携と国際協力が一層推進されるものと考えている。
 
参考文献:
1. 干小仙他:肺吸虫抗体快速検測試剤盆(金標滲濾法)研制和応用:中国人獣共患病学報, 21: 988-990, 2005
2. 銭宝珍他:肺吸虫病金標滲濾試剤盆(DIGFA-Kit)的現場初歩応用:中国人獣共患病学報,22: 99,2006
3. Yamamoto M et al.: Cloning of a cDNA encoding a neutral thiol protease from Paragonimus westermani metacercariae: Molecular and Biochemical Parasitology, 64: 345-348, 1994
4. Maleewong W et al.: Excretory-secretary antigenic components of Paragonimus heterotremus recognized by infected human sera: Journal of Clinical Microbiology, 30: 2077-2079, 1992
作成日:2007年3月14日


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