日本財団 図書館


競走法の誕生前後 関係者の熱意で難関突破
 司会 津ではこう書いているんです。“広川氏は考慮を約したものの、いまドッグレース法案が提出され、難航が予想されているのに、更に、ボート法案を出すと共倒れになるおそれがあるから一年待ったらどうか、とのことであったが、藤氏は不退転の決意で、遂に広川氏を動かすことに成功した。後日、平井義一氏は、藤氏に「君は、広川を脅迫したというではないか」と、藤氏の強硬な決意のほどが偲ばれる”と。
  それは誕生まぎわのことで――それまでに笹川、矢次、それから平野、これらの諸氏が非常に苦労されて、衆議院に日参していました。私の同僚、板倉弥三郎も盛んに議会まわりをやっていました。
 衆議院は楽に通って参議院へまわり、参議院の運輸委員会を一票の差でようやく通ったんですが――本会議にかかって何票の差だったかな?
 平野 よほどの差でしたねえ。
 原田 話になりませんでした。
  船が水に浮かぶというときに、参議院でバチンとぶち当てられて、陸へ上がってしまった。あのときは右往左往の形でした。そこで板倉が“広川総務会長は藤と懇意らしい”ということで、ちょうど上京していた吉松を連れて私の自宅へやって来たんです。それまでに、皆さんの動きはおぼろげながら知っていましたが、小さな使い走りもしていませんし、全然、わからなかったんですが、否決されてから相談に来たわけです。
 先きほどもお話ししたように、ギャンブルは好きじゃあないんで「まあ―俺は勘弁してくれ」といいながら、ちょうど一ぱいやっていましたから「まあ!酒でも飲めよ、船が陸へ上がっちゃあ動きがとれんじゃないか」と話したら、笹川先生が「藤に頼んで来い」といわれたというんです。“おやじがいうんでは、何をおいても動かなきゃならん”と思い、おやじの意見を聞こうと桜ヶ丘の屋敷に行って「板倉と吉松が動いてくれというんですが・・・」と話しました。
 先生は「そのとおりだが、この問題は矢次君が現役でやっているから、矢次君の意見によって行動したらよかろう」といわれたので、矢次さんをたずねました。ちょうど夜中の十二時ごろだったでしょう、寝ていた矢次さんに起きてもらって、意見を聞いたんです。
 矢次さんは「藤君!ありがたい話だ、もし船が水の上に浮かんだら、すべて君の功績だ。ひとつ万難を排してやってくれい」といわれました。
 それから私は吉松と板倉と、いまは故人ですが、晩年、埼玉県競走会で非常に厄介になった吉田芳太郎の三人を連れて、三宿の広川邸へ向かいました。午前一時ごろだったでしょう、三宿へ着いたのは二時近くでした。
 広川の母堂は、なかなかしっかりした人で「どういうえらい方がおいでになっても、せがれは三時までは休ませることになっているから、出なおしてほしい。天皇陛下のお言葉であれば別ですが・・・総理大臣でも夜中は困る」と断わられた。
 こちらは“そうですか”と帰るわけにいかんので、三宿の電車通りにあった安宿を起こして、いっとき休憩させてほしいと、ひや酒を一本持って来させ、それをあおっていたんです。
 そのときの私のいでたちは、カスリの着物に袴(はかま)をはいて素足だった。羽織も着ていないんだが、あれは――何月だったか、とにかくそれでも歩ける気候だったんです。広川は平気でウソをいうので、気にかかったから三時になると、吉田を行かせたんです。そしたら“五時に会おう”という返事。広川は曲者だから取逃がしては・・・というんで、四時少し過ぎに宿を出て、三宿のあの坂にすわっとった。片方が川で片方に人家があるので、自動車一台がやっと通れるような狭い道です。
 まっ正面からライトを光らせて自動車が来る。“あっ!広川は逃げるぞ”と思った。当時、彼は吉田茂首相と非常にじっこんで、毎朝、首相を訪問して意見を聞き、それを施策に移して行くというようにやっていた。“また、すっぽかそうとする”と、立ちはだかって自動車を止めちゃったんだ。そしたら「藤君じゃないか、藤、藤、藤・・・ちょっと入り給え」というんです。車の中へ――。そして運転手を降ろして――ああいうところが、広川のえらいとこです。
 車の中に私と主の対ですよ、何で来たんだといわれたがどうしてもボートのことを頼みに来たと切り出せない。(笑声)そのころ、笹川先生はじめ多くの方々が追放されていましたかち、これを取りあげて、追放問題を政府や政党はどのように考えているんだ、と詰めよったんです。広川は「もうちょっと待て、必ず全部追放解除になって、自由に政治活動もできる明るい日が来るんだ、もうちょっと待て」といったんです。それはわかったが、俺は俺のおやじに頼まれて、どうしても聞いてもらわなければならない問題があるんだ。というと「そりゃあ何じゃ」といわれた。そこで“モーターボート競走法案が参議院で否決されたそうだ。俺は関係ないが、笹川、矢次両氏をはじめ、関係の諸氏が非常に苦労しているんだから、何とかひとつ、君、骨を折ってもらいたい”といった。
 当時は、参議院で否決された場合は衆議院に差し戻されて、それで大体廃案になるのが多いんだそうです。廃案にされては困るというんで、私を動かしたのだと思うんですが――広川は「ちょっと待て」といちんですよ。さっきいわれたドッグレースは、農林大臣がもたついていて、とてもだめなんだ。こいつはつぶしてしまうが、モーターボートは、あと一年待て、と。いや、待っとられん。というわけで――頼まれたら最後、やっぱりものはまとめにゃあならん。ハイアライも一党ができていて、三つになっていたんです。
 「二つはつぶして、君の顔を立てて来年は必らず総務会をまとめて、もう一ぺんやるから待ってくれ」「いや待てん、俺のところはそれだけ困っておるのだ」と押し返した。
 後に国務大臣になった本田一郎――この人は市会議員のとき私と一緒だった。――それから運輸大臣をやった小沢佐重喜、これも総務会。平井義一、鳩山さんもそうだったな、そうそう池田正之輔、参議院から本田一郎と小沢佐重喜が物すごく反対しておるのだ。君は平井くんを知っておるだろう。――平井君は議会当時、議長の秘書をしていたからよく知っている。――あれをひとつくどいてもらえんか――何とかまとめて本田一郎と小沢佐重喜を屈服させたら総務会にかけてやってくれるか――
 「よし、それじゃあ、これから平井の所へ行って話をつけて来る。平井から発言させたら、君必ず取上げてくれ」と確約して、その足で平河町の平井宅へ行った。そこで、私は「実はこういうわけで、どうしても広川に総務会をまとめてもらわなくてはいけないんだが、広川に『小沢佐重喜と本田が非常に反対しているから、これを説得するには平井がいいから、君、平井にそれを頼んで来い』といわれて来たんだ。総務の委員から発言するようにしてくれ」と話した。平井は「よくわかった、とにかくお前は一ぺん帰れ」といってくれた。――こっちは目がすわってるんだ(笑声)それで帰ったんですが電話がかかって来て、「おい藤君!君は広川を脅迫したのか?おどかされたといってるぞ、総理の所へ行く前におどかされて、自動車の中でのっぴきならんようになったから君の所へ回したんだ」と、そこに君と板倉もいたかな?――とにかく一年待った方がよいというんだ。――ドッグと一緒で前田が関係しておるんじゃないか、あいつは非常にひどい奴だから――というわけで。
 平野 いまのようなイキサツがあって、法案が衆議院から参議院へ回ったところ、参議院の社会党左派が動いて、「ギャンブル反対」を党議で決めたんです。土井直作さんが法案提出の議員に名を連ねているんですが――左派に押されたんでしょうね。そして運輸委員会では極端な引き延ばし作戦をやって――。
  (原田氏に)あの時は、もうあなたはいたでしょう?
 原田 もう少し前からですよ――別に堤徳三。
  徳三さん。
 原田 下相談をしていましたね。
  そうでしたね。
 原田 いまの議会通過の問題と全然関係のない政治的なことは?
  それは後です。
 原田 笹川事務所は、まだ出来ていなかったんじゃない?
 平野 準備を急いで――舟艇協会の側の所に――。
 原田 そう、そう。
 平野 よりよい協力体制を作るために調べたりしていたわけです。しかし、まだ発足できないような情勢で、参議院の運輸委員会で社会党の党議で反対!が出て来たりしたんで――当時、労農党というのがあって鈴木清一さん、途中から運輸委員に変った作家の金子洋文氏、当時社会党の左派でした。この二人をはじめ社会党の菊川孝夫氏――。
  タダオ?後の民社党に入った?
 平野 民社党へ入ったのは菊川忠雄氏、そうじゃなくて菊川孝夫氏、なかなかの論客、労組出身で競馬が好きなんですが。この人たちが、運輸委員会で次の議題がボートになっているのを、毎回、その前の議題について長時間質問するという引き延ばしをやってボートの審議に移れないんです。もうひとつは運輸委員会に民主党の前之園喜一郎さんという方がいて、票決の場合この人の一票で、賛否どちらにしても六対五で決まるという状況でした。
 法案は、本会議で否決されれば衆議院へ戻るけれども、委員会でつぶされたら永久に日の目を見ないんです。前之園さんがごきげんが悪い――きょうはどうもあぶない――というんで、ときどき廊下へ出て私に耳うちしてくださったのがかつて運輸大臣をやられた村上義一(自由党)さんでした。村上さんや高田さんが、「平野君、きょうはやめようと思うんだ、継続審議にしちゃおうと思うんだ、前之園君があぶない」というんで――こうして時間をかけて、ある日採決にかかってようやく六対五で通ったんです。
  私はこんなに(両手を差しあげて)なって喜んだよ。
 平野 いよいよ本会議にかかるというので、まず参議院の婦人議員を口説こうと――当時は緑風会が圧倒的に多かったんですが、同会の奥むめをさん、社会党の赤松恒子さんをはじめ各党の婦人議員のところをまわったんですが、「平野さん、これはダメよ!ギャンブルは亭主族が奥さんをいじめるものだから、婦人議員は超党派で反対と決めたから、何度お願いされてもダメ」と、取りつきようもない。それでも「本会議のベルが鳴ったとき欠席してほしい」と頼んでまわりました。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION