市の単独運営打出し その五
売上不振の切り札
頃来売上不振にあえいで来た大村市では赤字経営の対策として、競技の委任を破棄して市が単独で運営しようと言うもので、これは競走会の死活問題であり、ひいては全国競艇の重大事項として全国的に大きな波紋をえがき、その解決のためには双方手を焼いたものである。当時大村競艇の売上げは次の通り。
年度 |
開催日数 |
入場者数 |
総売上げ高 |
二七年 |
八五日 |
一八四、八〇〇名 |
三三、九九〇万円 |
〃 |
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(一日平均)三八〇万円 |
二八年 |
一二三日 |
一九八、二〇〇名 |
四四、七〇三万円 |
〃 |
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(一日平均)三六三万円 |
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二十九年度は四月から八月末までの開催日数六二日間、全売上げ一五、五九〇万円、一日平均売上げ二五一万円、中には二〇〇万円を割る日もあった。この様な状況から大村市ではあくまで独自で行なうべきだと強く主張し、一方競走会は現況売上げ高の五%即ち一ヵ月二〇〇万円そこそこの交付金では会の運営を賄いきれない。
特に先の委任契約で選手の旅費宿泊日当を負担するには、限度二五〇万円を割っては経営が成り立たないと主張、当時坪内会長はかく声明している。決して無理な要求ではない、モーターボートは大村市には大きな財源だ。今後市の出方では吾々も大いに協力する用意があると。
二十九年九月二十日付長崎日日新聞はこの問題を取り上げ次の様に報道している。
大村競艇ついに市が単独運営
大村市事業課では四月以降の競艇売上げ不振に伴い競技を委託している県モーターボート競走会との委任契約を破棄し、赤字を最小限に食止める方策として、十月第一節を中止し第二節より市単独で運営に当ることを競走会に通告全国競走事業所異例の措置として、両者の今後の動きが注目されている。
四月以降の一日平均売上げは約二五〇万円程度、維持費(人件費、宣伝費其他)を差引けば収支半々という状態で減価償却を計上すれば、毎月赤字経営となっているもの。
このため同課では、再三競走会に対し委任契約中、売上げの五%の交付金で競技経費を賄うよう要請すると共に、市でも極力経費節減に努めてきたものであるが、競走会としては、現在交付されている二五〇万円でさえ出血運営であるとして譲らず、妥協出来ぬままに現在にいたっていたが、さきに開かれた全協席上、「競技は競走会に委託することを得」との条項は、「委託しなくてもよい」との解釈もあるとして、どうしても五%以上を同会が要求するなら市単独で開催する。という空気が圧倒的に強かったものでこのため二十二日市側から村川助役、辻事業課長、議会側から三島競艇委員長など、競走会から荒木専務、山崎事務局長等集まって慎重に協議したが、結局意見の一致をみず物別れとなり、市では単独で開催するハラを決めたもの。
辻課長談へどう考えても現在の売上げからみて、二五〇万円の交付金は無理だ。五〇〇〇万円売上げねば二五〇万円の交付は出来ない、再三窮状を訴え、双方両立できるよう話合ったが、聞き入れられず誠に遺憾である。今後種々の面に観点もあろうが同事業発展のため努力したい。
荒木専務談、全国初の競艇開催地でもあり市のために微力を尽して来たつもりだが、市側の通告で止むを得ない。はっきり言って六%交付でも全然問題にならず、会としても相当の出血経営である。競技部五十名、役員二十名の人件費二五万円、また選手日当宿泊料が九〇万円その他を入れて二五〇万円をオーバーする。これでも六月、七月は市の窮状を見て二五〇万円を下回る金額で了承している状態であり、これまで良心的に協力してきた。
十月競艇ついに中止 売上配分で折合わず
十月六日付時事新聞報道。大村競艇では市対競走会との委任契約の交付金問題で折合いがつかず、予定されていた十月一節はついに中止のやむなきに至ったもので、市側では選手配分の停止方を全国連合会あて打電した。
なお競走会側の相談役で、市の顧問格である高松玄治氏は、二日午後二時から長崎市の県競走会を訪問、坪内会長等と約二時間にわたって妥協点を見出すため協議したが、競走会側では交付金五%の外宣伝費(七日の場合は三五万円)を保証してくれと強調しており、保証金問題の妥協如何によっては案外簡単に解決する可能性もあると見られている。
前述の経緯から両者の交渉は、ついに決裂、十月第一節開催は休止となりこれ又全国で初めてのレースの中止が行なわれ、全国競艇界に大きな波紋と不安を投げかけ、将に大村競艇存亡の岐路に立たされた。
高松相談役は双方の意見を聴取、東奔西走その妥協線を見出し、両者の説得に努めた結果、次に記載の条件にてついに妥結。十五日より四日間十月第二節を開催する運びとなった。
即ち競走会では、施行者と取り交した委任契約のうち、選手経費は双方で適宜処理するようにという運輸省船舶局長の指示に従い、市側から競走会に交付される五%以外に選手の旅費、日当、宿泊料を市側で負担するよう要望していた。これに対し大村市側は、負担しない代りに補助金を交付する案を競走会へ提示したが、競走会はあくまで前項諸経費の負担を主張し、暗礁に乗り上げていたもの。このため高松相談役は基本線の五%の外今節だけ大村市は選手経費の内(1)選手旅費、(2)競技に使用のガソリン代を負担するという調停案を双方に示し、折衝した結果、大村市側は市議会に図り受諾、競走会も了承する事となり、さすがに全競艇をゆるがした困難な問題も円満解決をみるに至った。当時一部関係者の間では大村市もひどい、おしかけ婿入りで(施行者)大村競走が決まったものだが、無い袖は振れぬという訳か、ついに家附(女房)の競走会を袖にしようとかかったと。
考えて見れば創設の経緯と苦心の数々を知る人ぞ知る、むしろ穿った批判であり、とがめられない一事ではなかろうか。
従業員のストライキ その六
大村競艇での従業員ストライキは競艇始まって以来空前絶後の出来事でこれまたストライキナンバーワンの名に恥じない長崎競艇七問題の一つである。
ストライキは、経営者自身の責任であり大きなミスでもある。これを史上に伝えて、自らの愚かさを総てにさらす事は、天に唾する行為で愚の極まるものと思われるが、考えて見れば先進の競走会として、その動機と経過、結末を明らかにする事は他競走会への他山の石であり、警鐘とも思われるのでこの際感情と思惑を離れて執筆に踏み切る事とする。
元来本問題の起りは、窮極する処僅々十万円の融資であってあれ程根深いものではなかったのである。当時事件の裏話しでは、平山会長の不用意の捨言葉が、もえ盛った火に油を注ぐ結果となり一時形勢悪化し、大きな波紋を起したもので、これがストライキに追込んだ重大な要因である。人の長として心すべき事ではなかろうか。
昭和三十二年十二月二日、長崎県モーターボート競走会従業員組合長名儀にて、開催従業員を対象とする従業員組合を結成した旨の報告があり、翌三日同組合長名にて、会長宛に(会長平山久之助)従業員の賃金値上げ、並びに越年手当の支給について次の通りの要望書を提出した。
一 賃金値上げに関する件
二 越年手当支給の件
その後数回の団交問題は、二変三転ついには感情的対立を招来、妥結に至らず止むなく笹川会長の斡旋仲介を仰ぐ事で、双方待機姿勢に入ったが、更に三十三年一月二日付次の要旨のストライキを通告してきた。
スト通告書
従業員組合長
競走会長宛
全連会長の斡旋を期待するの余り、ストを回避し時期を待ったが、一月の末では要求の真意に副わないので、組合は競走会に対して一月二日の申入書を提出し、事態収拾のため第四回団交を要求し、最終的解決に努力をはかったが競走会側はやたら解決を引延し、本日の団交を拒否した。我々はかかる競走会の不遜な態度に対して、やむなく実力を以て反省をうながす以外に道ない事を確認し、第三回総会の決定通り、下記の通りスト突入を通告する。
記
一 期日 昭和三十三年第一節一月三日以降
一 参加人員 全組合員
以上の如きストの通告を受けた競走会では、直ちに、平山会長宅にて緊急常任役員会を開催協議の上施行者、全連、海運局へ通告書受理の経緯を報告、一方出場選手全員には事情を述べ宿泊所に待期させ、翌四日大村市役所にて施行者側と協議を遂げ、争議の早急円満解決のために市長の仲介斡旋という事に決まり、同日午後七時より組合側と団交の結果同十一時に至り下記妥結書の通り話合い決定。五日、六日のレースは平常通り施行の運びとなった。
昭和三十二年末闘争に関する妥結書
一 一月五日からのレースは実施する事
二 要求内容は本日より団体交渉を実施し出来得る限り早急に解決する事
右事項の内容により大村市長立会の上昭和三十三年一月四日二十一時妥結した事を双方連署の上確認す。
昭和三十三年一月四日
長崎県モーターボート競走会
会長 平山久之助
長崎県モーターボート競走会
従業員組合長 井上武治(印)
立会人 大村市長 大村純毅(印)
一月二日は荒天のため九レースにて中止。
三日四日は前述の理由にて中止、五日六日は異常なくレースを施行した。
次いで、同年一月二十六日、笹川連合会長の来大を待って大村市長、外理事者、同市競艇委員、競走会役員、一方従業員組合役員は市役所楼上に集合、大村競走場ストに関し笹川連合会長の調停により下の如く協定し争議を妥結した。
記
一 組合員中主要実務者(連合会登録公認者)の身分は確保し職員に採用する、採用の期間は昭和三十三年一月一日迄とする。
二 組合員の給与並に現職員の給与は昭和二十九年引下げ前の状態以上に引上げる。給与のランキングの是正については競走会組合協議の上実施する。給与引上げの時期は現行委任契約改訂の時期とし競走会は可及的速やかに実施出来るよう努力する。
三 越年資金は既に支払い分を除き金十三万円を組合に支給する。支給額の決定に付ては競走会組合で協議の上実施する。
四 スト責任者の処分は行なわない。
五 組合は今後の在り方についてモーターボート競走の健全な発展に寄与する様考慮する。
以上
昭和三十三年一月二十六日
長崎県モーターボート競走会会長 平山久之助
長崎県モーターボート競走会従業員組合長 井上武治
立会人全国モーターボート競走会連合会長 笹川良一
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