七 創立総会後の競走会の動き
昭和二十八年八月七日の初開催に先立つこと一年八ヵ月競走会を創立し競艇実現に万全の体制を整え且つ活動しつづけた金子道雄会長以下全役員の熱意と努力は今日大いなる実を結んでいる。その間の実情については省略し、ただ深甚の敬意と感謝の意を表するに止めたい。
競走会は昭和二十八年五月二十一日総会開催。役員改選を行ない、運営組織の確立と実施体制完備を期した。また金子会長の意をうけた中島太専務理事は事務局職制を整備した。
選任された役員氏名次の通り。(敬称略)
会長 金子 道雄(唐津、再選)
副会長 永倉 次郎(佐賀、再選)
同 諸岡庄治郎(唐津、再選)
同 永石 八郎(伊万里、再選)
理事長 江永 近(唐津、新任)
専務理事 中島 太(唐津、再選)
常務理事 谷口 定王(佐賀、再選)
同 宮崎 治吉(唐津、再選)
同 宮崎 芳郎(唐津、再選)
同 坂巻 敏夫(唐津、再選)
同 矢野 栄(唐津、再選)
同 森口 猛一(唐津、再選)
同 梶山 誠孝(伊万里、再選)
理事 花田 繁二(唐津、再選)
同 殿川 勇(唐津、再選)
同 大河内 等(唐津、再選)
同 大塚 正人(伊万里、再選)
理事 浦田 喜市(唐津、再選)
同 馬渡 雄二(唐津、再選)
同 岸川 欽一(唐津、再選)
同 坂本 融(唐津、再選)
同 森次源太郎(唐津、再選)
同 渡辺 三人(唐津、再選)
同 中尾 市輔(佐賀、再選)
監事 満江 光次(伊万里、再選)
同 白井 新作(唐津、新任)
この時の主たる改選は次の通りで定款変更により一部役員の定数の変更があった。特に会創立後開催に至るまでその準備に活躍された理事長久保幸喜氏が都合により退陣され、先に唐津警察署長を辞任した江永近氏が新たに理事長に迎えられた。又開催業務運営上従来一名であった常務理事が六名増員七名となり、理事二十三名が十一名と減員され、監事は一名減の二名と決定された。
昭和二十八年六月一日にはかねて詮衡中の職員を正式採用の上、事務局が編成された。事務局機構は次の通り。
事務局長(事務取扱)
理事長 江永 近(故人)
総務部長(事務取扱)
専務理事 中島 太(故人)
部員 溝江登志子(退職)
競技部長 大西 謙次(現全国施行者協議会事務局長)
検査係 春山 亮(現審判課長、審判委員長)
同 村岡 晃夫(現競技課長代理、検査長)
審判部員 深川 重雄(定年退職)
同 木下 静夫(退職)
同 瀬筒 高雄(現理事、業務部長)
管理部長 伊藤 儀作(故人)
以上の通りで女子職員及び管理部長伊藤儀作を除く六名の職員は実技訓練のため芦屋競走場に派遣され必要な技術習得をなした。なお開催運営に必要な臨時傭人七〇名は八月三日に採用された。
八 主たる役員の動き並びに現役員について
役員の改選はその後三十年五月、三十一年十一月、三十三年二月、三十五年二月、三十七年一月、三十九年八月、四十一年八月、四十三年五月と行なわれたが主たる動きは次の通りである。
(1)会長 金子道雄 唐津市長当選のため昭和三十年五月一日辞任さる。
(2)同日副会長諸岡庄治郎会長代理となる。
(3)理事長江永近は病気のため昭和三十一年十一月二十二日辞任。
(4)同日古賀市次(元唐津警察署長)理事長に就任。
(5)副会長諸岡庄治郎は一身上の都合で昭和三十二年九月三十日辞任。
(6)金子勝商(昭和自動車株式会社専務取締役、昭和タクシー株式会社社長、唐津観光協会会長)昭和三十三年二月十七日会長に就任。現在に至る。
(7)理事長古賀市次は一身上の都合により昭和三十三年六月三十日辞任。以後理事長空席となる。
(8)専務理事中島太 昭和三十四年二月五日一身上の都合により辞任。専務理事空席となる。
(9)昭和三十四年五月二十八日 野田一常務理事に就任。
(10)常務理事野田一は一身上の都合により昭和三十七年五月三日辞任。
(11)田口義男(元唐津市競艇課長、農林水産課長、日赤唐津病院事務長)昭和三十七年七月二十二日常務理事に就任。現在に至る。
(12)常務理事矢野栄は昭和四十年五月二十二日専務理事に就任。現在に至る。
(13)業務部長瀬筒高雄は昭和四十三年六月十三日理事就任。職員より理事就任第一号となる。
(14)昭和四十三年五月二十日の総会において選任された現役員は下の通りである。
会長 金子 勝商
専務理事 矢野 栄
常務理事 田口 義男
理事 坂本 融
同 大河内 等
同 藤原 藤吉
同 谷口 定王
同 梶山 誠孝
同 瀬筒 高雄
監事 満江 光次
同 岸川欽一(以上十一名)
九 選手宿舎及び事務所建設について
出場選手の宿泊は昭和二十八年八月の初開催から下の市内の旅館を利用して来た。
唐津市材木町 掬水旅館(廃業)
〃 西の浜 木村旅館(盛業中)
〃 城内二の門 清川旅館(廃業)
〃 紺屋町 常盤屋旅館(廃業)
〃 平野町 水上旅館(盛業中)
〃 朝日町 梅家旅館(盛業中)
しかし選手管理面の強化に伴い選手宿舎の建設を必要としたため下の通り昭和四十年二月起工、同七月完工した。
場所 唐津市北城内
敷地 三二二・三五平方米
構造
(1)鉄筋コンクリート陸屋根四階建(旧設備一部改造)二七〇・三三平方米(居室、食堂、調理室)
(2)鉄筋コンクリート陸屋根二階建(新築)三三〇・一八平方米(居室、従業員室、浴室、娯楽室)
総工費 一九、九〇二、〇〇〇円
内、土地建物買収費 五、八五〇、〇〇〇円
工事費(空調工事その他含む)
一四、〇五二、〇〇〇円
競走会事務所は昭和四十二年十月十三日現在地の唐津市千代田町二五六八の一七に新築移転したが、当初は設立準備のための事務所を唐津市木綿町一九七一に置き、レース開催に伴い刀町(元昭和自動車事務所二階)に移転、昭和三十一年四月栄町二五八八の一八の競艇場内に、木造平家建四七坪の事務所を新築したが、レース場の設備改善、拡張により場内が狭隘となったので現在地に移った。
場所 唐津市千代田町二五六八の一七
敷地 四五七・四四平方米
構造 鉄筋コンクリート造陸屋根三階建
一階 一八〇・八八m2(事務室、当直室、機械室、倉庫、調理室)
二階 一六三・七四m2(役員室、応接室、更衣室)
三階 一六三・七四m2(大会議室、小会議室、選手会)
総工費 二七、七二〇、〇〇〇円(空調工事費、その他含む)
あとがき
生れ出づるものの苦しみとでも申しましょうか、競走会の創立もまた例外ではなく、今日に至るまでの紆余曲折、苦難の跡は十分には筆舌に尽くし難いものであります。
先覚者の苦心の種子が開花し実を結び、期待通り地方財政に大きく貢献している現状を見るとき、ここに先賢に厚い感謝と敬意を表するものであります。お蔭を以て当競走会は健全に、円満に、創始者であり初代会長である金子道雄氏の志を受けついで金子勝商(二代)現会長のもとに更に躍進を続けております。
競走会沿革史集録にあたっては、その内容の巧拙はともかく、感謝の念が先走って、その大任にたえがたく、筆述が思うように進まなかった事は誠に申訳もないことと存じます。
記述についてはあるときは当会議事録をたより、又は当時の新聞記事を探読し、あるいは現存の方の一部に回顧談を聞く等して往時の実情を窺知するに止まり、全関係者各位の動向、偉業を網羅する事は更に及ばず、記事脱落、思い違い、表現不適、又は不備等のそしりをまぬがれ難いと存じます。
特に当初より金子会長の意志をうけ実務にたずさわられた前専務理事中島太氏が物故されたためにその苦心談、種種の事情等聞かれずじまいであった事が実に残念でなりません。
あえて皆様に御寛恕の程をお願い申上げます。
されば関係諸賢の御労苦、御活躍を偲ぶにも十分意を尽くさないまま、そのうらみを残し沿革史として記録に収むることをいささか躊躇しながらも本稿を終わります。
(昭和四十四年五月)
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