四 初開催
昭和二十八年八月七日、金曜日、晴、開催初日、午前五時、渕上助役、津々見収入役をはじめ市職員約二〇〇名は唐津競艇初開催の開会式に備え、工事機材の後片づけおよび場内清掃に従事し、ほうきの目も新しく場内整備を終わった。あとは、ファンの入場を待つばかりである。
午前九時三十分、選手入場にはじまり、開催執行委員長(市長)のあいさつその他で式を閉じ、いよいよ午前十一時、出走開始である。絶好のボート日和に恵まれ、ファンは続々と詰めかけ、午前中早くも二千五百名を数える快調ぶりであった。
競走本部には、清水市長、殿川副議長その他特別委員と競走会関係者、野中競艇課長代理および競走監督官として九州海運局唐津支局の西岡監督官が詰められ、競走の状況を見守っていた。
舟券発売は、単勝式、複勝式、連勝式の三本立であってまた、要員も現在のようなベテラン揃いでなく、全くの素人ばかりであったので、ファンから「早くせんか!」「何をぐずぐずしているか!」と怒声を浴びせられながらも、何とかやってのけ、胸をなでおろした次第である。
舟券売上額は、第一レースで単五一票、複三五票、連五六三票、合計六四九票で、一日の売上額は返還金を除き、一、四一六、五〇〇円であった。入場者は三、一九七名で、純粋のファンはまだ少なく、大部分が馬券や車券を買ったことのない地元市民であった。
明けて二日目は、あつらえむきの好天気と半ドン(土曜日)のため、午後からファンが殺到し、それに初日の大穴(一四、〇二〇円)が人気を呼んだが、入場者二、一五二名、舟券売上額一、三五二、二〇〇円を示し、初日に比し約六四、〇〇〇円の減であった。
三日目の日曜日は、入場者五、九二六名、舟券売上額二、〇三七、二〇〇円で、前二日に比し大幅な伸びを示し、結局開催第一節は、十日(日曜日)を含めて、四日間の入場者一三、四〇五名、舟券売上額六、一四五、四〇〇円であって、市の収益は、その一七%、約一、〇四五、〇〇〇円であり、今のところ経費にも及ばないが、唐津市の場合は、すべり出しは好調だと競艇専門家達は、口を揃えて言っており、関係者達を安堵させたものであった。
開催当時の競艇場の状況は、投票所、スタンド等すべて木造で、現在のように厳しい世相ではなかったため、すべてについてノンビリムードであった。
ここに、当時の写真を添付するが、ほんとうに、なつかしさでいっぱいである。
初開催当時の唐津競艇場
上、先頭艇がゴールインする瞬間
下、執行本部と大時計
場内風景、校舎のような建物は投票所
場内風景、左上が木造スタンド
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