陳情!各界のご助力
大体、こういう状況で逐一、地元の態勢は固まっていったのであるが、一方、中央における施行権認可の方は遅々として進まず、市長(小西)、経済部長(角田)、事業課長(長束)、市議会議長(高丘)、副議長(新宮)、経済委員長(阿部)ほか各議員が次々に上京し、運輸省、自治省に陳情を繰り返した。福岡県モーターボート競走会からも、永島専務、猪川局長をはじめとして、ほとんど、つきっきりのようにして全面的に推進してくれた。
さきに申請した事前審査に関しては、一月末に全モ連矢次委員長が来福され、笹川副会長(当時)、滝山理事長、矢次運営委員長、平野部長の諸氏が、直接、運輸省、自治省に対し強力な折衝を続けてくれた。昭和二十八年二月三日、運輸省、全モ連、海運局による現地審査が行なわれ、意見や指示に基づいて計画に修正を加え、三月二日、細目にわたる検討を終了、ここに実質審査は完了した。
三月二十一日、県の副申書の関係で遅れたが、今度は運輸省に対し、正式に事前審査申請書を提出。同二十五日、阿部経済委員長ほか市議員が内閣官房長官官邸に緒方副総理を訪問、運輸、自治両省への連絡方をお願いし(緒方副総理は福岡市出身である)、運輸省事務次官、船舶局長に繰り返し陳情。運輸省からは「昨日、正式に申請書を受理したばかりだが、市議会(丁度、会期中であった)で建設予算を議決することは差支えないばかりか、熱意の現われと見受けるので、積極的にやってもよい」旨の含み多い返事を受けた。
自治省に対しては、七月頃には竣工させたいから、工事を始めたいので黙認してくれるようにお願いしたが、当然のこと「口ではいえない」という返答、ただ、運輸省の方針が先決だから運輸省を急がせてくれとの事。
前途はなお しいものの、はるかに曙光が見えたという感じである。ついで五月十一日、運輸省の最終協議が終了、十九日、ついに運輸省のOKが出た。
二十一日、自治省に、運輸省の稟議書が回された。
昭和二十八年五月二十一日
運輸省船舶局長
自治庁財政部長殿
福岡県福岡市のモーターボート競走場建設の決定について(照会)
右について、今般標記の市に対して、モーターボート競走場を建設する事を承認したいと思うが、本件に関して、貴庁の意見を承知したく、照会する。
(原文のまま)
施行指定申請
ところが、それから五週間ほど、この書類が眠っていたのである。調べてみると、担当係長の長期病欠が原因であったというハプニングまでくっついて、いよいよ六月二十五日、自治省(当時庁)にモーターボート競走施行指定申請を行なった。
これに対しては、塚田自治大臣から自治省財政部長に対し「福岡市の申請を受理せよ」と指示が出されていたようで、即時受理していただき、理財課の審査が二十九日ごろ終わったが、最後まで引っ掛かったのが、やはり一県二レース場の通牒である。
一県三レース場
福岡県だけ三レース場認めるのか、それとも全国三レース場認めるようにするか、正に難題である。運輸、自治両省において慎重に協議の結果、通牒の第四項
「この通牒に示す条件を十分に満足し得ない場合でも、観光地、避暑地等としての自然条件が特に優れている等の特殊事情のある場合並びに(一)に拘わらず、その特殊事情並びに収益予想等を慎重に検討の上、適否を決定する」
(一)競走場の数は当分の間、一都道府県につき次に示す数以内とする。
(イ)東京都、神奈川県、愛知県、大阪府、兵庫県及び福岡県については二個所
(ロ)北海道及び右以外の府県については一個所
を適用して処理する事に決定され、財政委員会に報告し了承を求める事になった。
フライング第一号
こうなれば、もう一刻も早くやりたい。恐る恐る、また運輸省にお伺いを立てて見た。
「ぼつぼつ工事に取り掛かってもよいでしょうか」
「・・・」
良いとも悪いともいえないのが運輸省の立場であるが、市長からは命令が出た。
「工事を始めよ。予算も競走条例も、市会に提案せよ」
フライングである。しかし、いまだに福岡でフライング事故の多い事とは何も関係はない。
遂に認可
八月十日、運輸省舶工一五二号で正式承認。全モ連からも、事前審査に対する決定の文書が届いた。
八月十三日、自治庁告示二一号を以て認可、官報七六八号に掲載された。
前年十一月以来十ヵ月、ついに、福岡競艇は誕生する事になった。
一県三レース場という難題と取組み、ここに至るまでの市長以下担当者及び議会の努力と、関係された方々のご協力、ご支援に、深甚なる感謝の言葉を贈りたい。
ご助力を賜わった方々の申に、緒方副総理と石井運輸大臣、それに塚田自治大臣がある。前二方は共に福岡県出身特に副総理は福岡市出身であり、又、塚田自治大臣と小西福岡市長とは旧知の間柄という誠に得難い関係で結ばれていた。
更に、笹川全連会長の実力、長谷川代議士(当時官房長官秘書)のご尽力は忘れられない。
突貫・・・落成
こうして関係者の絶大なご支援を背景に、競走場は夜を日についでの突貫工事で着々と姿を整え、昭和二十八年九月二十四日に落成。
その規模は
木造スタンド 一八三坪
発売所 一八九坪
支払所 一〇一坪
艇庫 一四四坪
選手控室 八八坪
と、いまでは目を疑いたくなるような数字であるが、とに角取りあえず出来たのである。
ここで誕生の記録を終わり、これからその成長の過程を辿ってみよう。
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