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昭和四十二年
美祢市ほか一市二町競艇組合開催 二月二十七日
 下関競艇場において美祢市ほか一市二町競艇組合の競走を開催することとなる。
第三十八回臨時総会 十一月二十二日
役員補欠選任
 十月二十五日、競走会創立当初より陰に陽に御活躍された専務理事河野良雄氏は、健康上会の激務に徹しえないので競走会発展のため後進に途をと勇退され、その後欠員となっていた専務理事及び去る四十年十月十八日急逝された常務理事立野静夫氏の補欠選任を行ない
専務理事 吉田 進
常務理事 崩田槌雄
 〃 古冨琢造
 の三氏が各々選任された。因に崩田、古冨両常務理事は職員からの四人五人目の昇格者であり、奇しくも専務理事以下常務理事は職員出身者で占めることとなり、職員間に将来への希望と励みを与えることとなったが、同時に全国関係者の注目する処となりモデルケースとしての重責を負うことになり、役職員一同心を合わせその重責の全うに努力を続けている。
内規改訂研究委員会発足 十二月一日
 法の恒久化に即応した諸内規の改訂整備により、内部統制の一層の確立と受託業務の円滑な完遂を期するため委員会を設け研究することとなり、委員構成は競走会指名委員三名職員互選委員三名で構成
委員長 林 勇
委員 揖斐良夫 高田 進 大森凡彦 河原善次郎 山崎軍一
 の六名で研究の結果を答申し、四十三年九月十九日第五十八回理事会において、審議され、現在の改訂内規が誕生した。
昭和四十三年
選手宿泊所用地選定委員会発足 二月八日
 選手宿泊所に関しては徳山、下関共に比較的全国に先がけて建設したが、木造のため老朽はなはだしく建替えの必要を生じ、その建設用地選定のため委員会を設けることとなった。
委員長 渡辺貞剛
委員 吉田 進 近間義輔 友広 環 浜本新介 山本 清
第四十回通常総会 五月十五日
役員改選
会長 村田四郎 専務理事 吉田 進
常務理事 崩田槌雄 亀井時男 古冨琢造
理事 篠崎久治 林 定治 村上 実 近間義輔 山本 清 義永峰治郎 渡辺貞剛
監事 内田茂夫 河上屋千代槌
徳山選手宿泊所建設用地地鎮祭 六月十四日
 宿泊所用地選定委員会の答申に基き、徳山市大字大原に用地を買収造成工事に先立ち地鎮祭を行なう。
敷地 二、二二二・二九平方米
造成工事費 二、四七三、〇〇〇円
工事概要
構造 鉄筋コンクリート造一部三階
建築面積 一、三三九・四五平方米
工事費 六五、七〇〇、〇〇〇円
竣工予定 昭和四十四年一月二十五日
施行業者 徳山市 和泉建設株式会社
 
開設当時の主審判台
 
新装の主審判台
 
あとがき
 想えば昭和四十二年春未だ浅き三月、全国モーターボート競走施行者協議会の御企画により、競艇沿革史が編さんされることとなり、当時山口県競走会においては不肖筆者にその執筆編集を命ぜられたものの、競走会創設当時の詳細な経緯を知らざるため、なす術を知らず途方にくれたものであります。
 顧みれば一年有余の日時を費したにもかかわらず本日ここにでき上ったものは、誠にもって簡単、平凡な拙文にして筆者がその任でなかった非才を慙(は)じると共に、期待に応じ得なかったことをここに深くお詫び申し上げる次第であります。当初執筆にあたっては、競走会創設当時の複雑な紆余曲折や苦難の途を拓いた経緯を史実に則り記述致したいと考えたものの、再三にわたる事務所の移転、或は台風災害による資料の紛失により思うに任せられなかったが、多くの人々から思い出による貴重な資料の提供等数数の御援助を戴きましたことに関し、深甚なる感謝の意を表するものであります。
 しかしながら折角御援助を賜わりながら、筆者の浅学非才浅慮により本沿革史においては重要な事項の脱落或は記述等不備な点が、多々あるかと思いますが、これらの誤りについては、関係者各位の筆により直して戴き、山口県モーターボート競走会沿革史として整備され、将来の歴史の資料として残せるならば、執筆者の望外の喜びとするところでありますので御協力、御指導の程よろしく御願い申し上げます。
 終わりに臨み今回の執筆に当っては文中は勿論のこと資料の蒐集等において、各方面に敬意を失し或は非礼に渉ったことを重ねてお詫び申し上げ、稿を終わることと致します。


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