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第三節 競艇存続決定後
一 施設改善
 競艇事業存続決定当時の競艇場施設は相当老朽化しており危険性を伴うため運輸省から改修の必要を再三勧告されていた。若し施設改修を行わぬ限り開催させぬとの強硬な通告を受けたものでこの改修勧告内容は競艇場内殆ど全般にわたる広範囲なものでこれには相当巨額の経費を必要とするものであったが競艇場施設と併せ水面と緑に包まれた広く利用される憩の場所にすべく場内外の環境整備も含め設計を進め改修工事は競艇開催時をさけ実質月間半分の作業可能時に工事を実施するので長期に亘ると予想され一応第一期工事費として一億七千万円をもって三十九年十月より着手することになった。先ず第一期工事として昭和三十九年七月よりモーターボート競走場敷地と外部をしゃ断するための塀、メインスタンドは一階は投票所、二階は執行本部、競走会、警備本部、会議室としこれを併せ指定席に投票所、払戻所、記者席、委員長室を設け更に環境整備の一環としてゴミ焼却場の設置を行ない艇庫関係については選手の控室、選手食堂、医務室を一棟にまとめ新設し旧施設は撤去し競技指揮所は二階建とし一階はピット係員詰所、検査員詰所、二階は競技関係事務所として新設を計りその他油庫の拡張、ボート置場、出走用ピットに屋根を設けるなどの工事を進め、更に手荷物預り所、消防署員詰所、入場券売場等の改築を含め逐次改善を計り昭和四十年五月に第一期工事の完成をみるに至ったもので開設当時からのスタンドと比較すれば目を見張る近代施設として偉容を誇り、見やすい買いやすい尼崎ボートとして好評を拍したのも記憶に新しいところである。こうした施設の改善がなされたなかで本競艇場の北部には東西に走る阪神国道、南部には第二阪神国道と大都市を結ぶ動脈として産業面、レジャー面に活用されている重要路に位置し又これとほぼ平行に北部は東海道線、南部は阪神電鉄と交通の好条件に恵まれた中にあって日一日と隆盛の一途をたどり入場者にして昭和三十九年度は延八一五、〇〇〇人売上四十七億、昭和四十年度に至り入場者九十九万人売上六十六億と入場者にして二十二パーセント売上にして四十パーセントと急激な増加を示しこの異常な延び率に本市関係者はうれしい悲鳴をあげたものである。このように本競艇場が急激な売上上昇を示した原因は、前述の恵まれた立地条件もさることながら何といっても、競艇実施面におけるレースの絶対公正を期する心構えと大衆娯楽として、常になごやかな親しまれる雰囲気をもたらすための場内環境とが、ファンにムードと信頼感を博している賜ものと申してあえて過言でないと思う。
 しかしこうした中にあって、事業の性質上より以上の施設そして近代化にマッチした設備として失格板、払戻掲示板、着順決定板と逐次電化時代にふさわしい設備に着手したもののこれが万全の施設とはいえない状態で昭和四十一年八月より第二期工事として東スタンドの新設と併せ投票所払戻所を工費約一億四〇〇〇万円をもって施行に取りかかったのである。この工事の施工に当っては、特に非常事態に備えるべく地下通路を設備しこれにより投票所、払戻所を結ぶ施設内の動脈として何よりの自慢のひとつとして今も効果的に使用している。又この間に全国で初使用のTIC制正副二コ入り大時計を設置し考案者は連合会より表彰を受けるなどこれも本競技場の一つの自慢といえるであろう。このようにして数々の施設の整備を図り昭和四十二年九月に完成をみたもので投票所発売窓数四七二窓、払戻所窓数一四〇窓計六一二窓として周辺競技場にみられないマンモス施設として十五周年記念を迎えたのである。これが施設の充実したことにより今までにない好売上げを示し六日間を通じ一一九、四〇〇万円と盛況裡に終了したものであった。施設の改修と相まって場内環境整備の一環として場内舗装及び既設の補修を行ない四十三年三月に施設改善レースを開催しこの間において主審台の移設計画を進め更に場外にあっては急増する車の駐車場対策に又四十三年度において、一層のファン対策の一つとして施設を考案中で駒を進めている現状である。この大改築工事を進めながら売上金総額は、三十九年度より四十二年まで三三六億九、〇〇〇万円、収益金五十九億六、〇〇〇万円として、この財源をもって本市として急激な産業の発展と共に工業都市に人口の集中する傾向が強く、従って学校、住宅、社会福祉施設、河川公園交通網など都市整備並びに開発事業に投入している中で競艇収益が財源に益々重要視されている。
二 ファン実態調査
 昭和三十九年十一月二十二日競艇事業運営の資料とするためファンの実態調査を実施した。午前十一時より入場口において先着順入場者三千人に調査表を配布調査表記載所において随意記入させ回収した。調査表回収枚数二、二二三枚回収率は七四・一パーセントであったが、その結果は次の掲げる表のとおり。
 
(1)性別
性別 人数 %
男 2,151 97
女 72 3
計 2,223 100
 
(2)年令別
年令 人数 %
18〜20 36 1
21〜30 777 35
31〜40 660 30
41〜50 350 16
51〜60 270 12
61以上 130 6
計 2,223 100
 
(3)職業別
職業別 人数 %
会社員 367 16
工員 740 33
建設従業員 437 20
運輸従業員 180 8
商店員 63 3
公務員銀行員 62 3
商業 161 7
工業 43 2
建設業 62 3
飲食業 42 2
無職 66 3
計 2,223 100
 
(4)利用交通機関
区別 人数 %
阪神電車 1,230 55
自転車 オートバイ 266 12
自動車 218 10
国鉄 210 9
バス 89 5
徒歩その他 210 9
計 2,223 100
 
(5)尼崎ボートにいつ頃から来ているか
種別 人数 %
はじめて 224 10
1年前 535 24
2〜3年前 439 20
4〜5年前 289 13
6年以上 736 33
計 2,223 100
 
(6)居住地別
居住地 人数 %
(兵庫県)
尼崎市 738 33
西宮市 112 5
芦屋市 18 1
伊丹市 34 2
神戸市 101 5
明石市
姫路市
加古川市
11 0
川西市
猪名川町
14 1
その他 11 0
(大阪府)
大阪市 964 43
堺市 34 2
岸和田市 6 0
豊中市
池田市
箕面市
30 1
その他の都市 132 6
その他の府県 18 1
計 2,223 100
 
(7)1日どの位舟券を買うか
種別 人数 %
1,000円迄 341 15
5,000円位 1,450 66
10,000円位 226 10
30,000円位 115 5
50,000円位 85 4
100,000円位 6 0
計 2,223 100
 
三 騒擾事件
(一)昭和四十二年四月十日(月)(昭和四十二年度第一回第一節第五日大阪兵庫選抜対抗競走)第十レース発走時において発走信号用時計が故障し第十レース以降の競走を中止したことから一部ファンが騒ぎ競艇場内の施設が破壊されるという事件が発生した。
(二)第十レースは十五時四十五分発走の予定であったが大時計が故障のため動かず発走できなくなった。大時計担当の係員が点検したが故障の原因が容易に判明せず、十六時二分この故障は電気関係ではなく機械関係であると究明したが短時間では修理できないことがわかった。そこで開催執行本部は第十レース以降を中止することに決定、ファンに対して中止の決定、舟券の払戻、おわびの放送を繰り返して行なった。約一二、〇〇〇名のファンは「やれやれ」「何をしているんだ」等野次をとばしていたが大半は払戻所へ行き換金していた。しかし数十名は管理事務所へ押しかけ喚声をあげ「入場料を返せ」等口々にののしり不穏な空気となり又別グループ数十名は新館一階千円券窓口附近に集まり数枚の窓ガラスをたたきわった。これを見て執行本部は警察へ機動隊の派遣を依頼し派遣警察隊五名、ガードマン十五名、自衛警備員二十八名でファンの説得鎮圧に努め場内予想業者三十数名もファンに対して個々に説得に当ったが残った約五〇〇名のファンは一部ファンの扇動もあり騒ぎは容易におさまらず、執行本部へ乱入した。
 そこで執行本部はファン代表五名と話合うことを決定し委員長席で話合いに入りその結果残ったファンに入場券を渡すことを約束しファン代表はこの結果を残っているファンに説明したが納得させるまでにはいかず狂ったファンは特別席の机、椅子をこわし特別席投票所、番組編成室、記者室のガラスを目茶目茶に破った。この状況を見て警察は器物損壊現行犯で七名、公務執行妨害罪で二名を逮捕し未だ不穏な空気が消えないので十八時三十分執行本部と協議の上退去命令を出すことを決定し「五分以内に競艇場より退去して下さい」旨放送、間もなくファンは全員競艇場より退去した。
(三)警察官は尼崎西署、尼崎北署、甲子園署、県警察本部、須磨機動隊より逐次増員され制服私服合わせて三三六名が動員されその内三名が負傷した。施設の損害は硝子一〇五枚、椅子一一四個、机二個、鏡三面、蛍光灯一個、腰板六枚で損害額は約二十万円であった。
(四)売上日本新記録
 昭和四十三年五月十九日(日)昭和四十三年度尼崎市営第二回第二節第四日最終日において我が尼崎競艇は全国最初の三億円を越す売上新記録を出した。
売上額 三一〇、五五四、六〇〇円
入場人員 三〇、八六〇人である。


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