二 相模湖モーターボート競走組合の結成
競走施行指定に就いては昭和二十九年二月十六日告示をもって自治庁より下の如く指定された。
―写―
自治庁告示第九号
モーターボート競走法(昭和二十六年法律第二百四十二号)第二条第一項の規定により、モーターボート競走を行うことのできる町村を次のように指定する。
昭和二十九年二月十六日
自治庁長官 塚田十一郎
神奈川県津久井郡川尻村、同湘南村、同三沢村、同中野町、同串川村、同鳥屋村、同青野原村、同青根村、同内郷村、同与瀬町外二ヶ町村組合、同吉野町、同小渕村、同沢井村、同日連村、同名倉村、同牧野村、同佐野川村
(註)以上の町村は昭和二十九年以降町村合併促進法により左の如く合併した。
城山町(三〇・四・一 合併)
川尻村、湘南村、三沢村の一部
津久井町(三〇・四・一 合併)
中野町、串川村、鳥屋村、青根村、青野原村、三沢村の残部
相模湖町(二九・一二・一 合併)
内郷村、与瀬町外二ケ町村組合
藤野町(三〇・九・一 合併)
吉野町、小渕村、沢井村、日連村
名倉村、牧野村、佐野川村
津久井郡内の前記各町村は告示に依り相模湖モーターボート競走組合を結成下の通り神奈川県知事の認可を受け発足することとなった。
―写―
神奈川県指令地第二三〇号
申請各町村名
昭和二十九年三月二十二日付を以て申請のあった相模湖モーターボート競走組合の設立並びに規約はこれを許可する。
昭和二十九年三月三十日
神奈川県知事 内山岩太郎[印]
昭和二十九年四月九日各町村より一名宛選出された十四名の組合議会議員の構成する組合議会は下の通り組合長以下の選任を決議したが、この日は当組合の結成迄痩躯良く熱情を傾けて盡瘁された前津久井郡町村会会長中野町長曽根敬蔵氏の病没された日でもあった。
相模湖モーターボート競走組合
職名 |
氏名 |
備考 |
組合長 |
宮崎太郎 |
津久井郡町村長会長
内郷村長 |
副組合長 |
小磯武二 |
同副会長・川尻村長 |
同 |
倉田覚弥 |
日連村長 |
収入役 |
落合一朝 |
吉野町収入役 |
副収入役 |
石井元一 |
与瀬町収入役 |
組合議会議長 |
山口松雄 |
津久井郡町村議会議長
会長・青根村議長 |
副議長 |
佐藤賢次 |
牧野村議長 |
同 |
森久保 一 |
日連村議長 |
事務局長 |
島村一郎 |
|
|
組合町村長・組合議会議員
町村名 |
町村長 |
組合議会議員 |
湘南村 |
中里 登 |
上原佳一 |
川尻村 |
小磯武二 |
吉沢義友 |
三沢村 |
岸野松次郎 |
安西俊治 |
中野町 |
宮崎春吉 |
佐藤稲松 |
串川村 |
荒井芳彦 |
佐藤米蔵 |
鳥屋村 |
小林仙苗 |
井上一兵 |
青野原村 |
井上鎮男 |
山口福喜 |
青根村 |
井上盛雄 |
山口松雄 |
内郷村 |
宮崎太郎 |
畑 進一 |
与瀬町外 |
諸星一三 |
杉本晴二 |
二ケ村組合 |
吉野町 |
山田尊徳 |
船橋常吉 |
沢井村 |
石井喜代次 |
小渕村 |
諸角愛国 |
日連村 |
倉田覚弥 |
森久保 一 |
名倉村 |
山口義章 |
牧野村 |
宮崎源治 |
佐藤賢次 |
佐野川村 |
船橋忠治 |
島 廣 |
|
組合事務所は中野町に設置して、事務局職員三名を採用各町村より分担金を徴収して開催に関する諸般の準備を進めることとなった。
三 施設工事の中止と施設会社瓦解に伴う収拾経過
神奈川県競艇株式会社は前記の承認書により施設工事を東京都港区新橋の中松建設株式会社(代表取締役篠部好雄氏)と契約六月三十日に工事完成の予定で三月に着工し敷地の地均しに続いて排水工事及び建造物の基礎工事が終り投票所一棟の上棟迄進行したが六月三日頃契約請負金の未払を理由に中松建設が工事を中止してしまった。事態を憂慮した相模湖モーターボート競走組合、神奈川県モーターボート競走会は関東海運局の御配慮により同局内で数度の関係者合同会議を開き工事の継続並びに進捗の方法を検討した。特に神奈川県モーターボート競走会副会長大隅憲二、専務理事渡辺儀重氏の御努力により六月二十二日に至り当時の連合会副会長笹川良一氏の御斡旋に依り現状打開のため下の方針で進むことになった。
即ち同氏の調停案である(一)中松建設篠部社長が神奈川県競艇株式会社の代表取締役となり工事費は立替えをする。(二)現社長山本宏之氏は副社長として新社長を補佐する。(三)神奈川県競走会並びに津久井郡の施行組合も協力一体の証として役員を出し事業の完遂に努力する。との基本方策が決定され、七月五日付を以って契約は締結され工事は再開されることとなった。
然し代表取締役篠部新社長並びに新役員名により新株の募集をした結果、津久井郡内では各町村長、議会議長の積極的な呼びかけで百数十万円の応募が有ったが、他は極めて尠く加えて篠部社長の最後の手段として約束されていた資本導入の見透しが全然立たない状況に陥ったため、会社内部新旧役員の協調が困難となり、中松建設は山本宏之氏に従来の未払金を請求する等最悪の事態に迄逆転し、挙句の果て一部の建設資材を東京に搬出する様な状態となり施設工事は全く空の様相を呈した。
このために組合長宮崎太郎、副組合長小磯武二、倉田覚弥氏等は責任上辞意を表明、慰留も効なく短期間の就任で遂に辞職されたので、新たにこの年の十月事態収拾のため組合長小磯武二、副組合長井上鎮男(青野原村長)、山田尊徳(吉野町長)氏が選任された。
かくて新役員と組合議会は協議の結果、神奈川県競艇株式会社に山本宏之氏が在職する限り中松建設を始め協力する者なしとの結論に達し、爾後小磯武二組合長を中心に、先ず山本宏之氏に施設会社より退陣する事を迫り、接衝に接衝を重ねこれが了承を得、遂に三十年一月三十一日の株主総会において、中松建設の篠部社長を代表取締役に外同社役員三名を取締役並びに監査役として登記させる運びとなった。然しながら組合も予想以上の施設工事の遅延による赤字累増と今後の進捗状況の目処もつきかねる状態なので、一応組合事務局を縮小し二十九年末を以て事務局長島村一郎氏のみを残し他を解雇することとなった。
一方山本宏之氏が完全に離脱して一応形を改めた神奈川県競艇株式会社もその後の資金関係から行詰まり同年六月に至り中松建設関係より参加の篠部社長以下役員四名は小磯組合長宛に辞職を通知し、今後競走施設に対する主導的立場を全面的に辞退することを申し出て来た。
四 福島世根女史が施設会社の新代表者となり協力さる
この頃町村合併促進法による適正規模町村への統合機運は高まり津久井郡各町村はそれぞれ合併に関する多忙な協議会の日程に追われながらも、小磯組合長を陣頭に鋭意施設の完成への協力者の発掘に努力を積み重ね、七月に至り小磯組合長、山口組合議会議長及び島村事務局長の根気良い説得要請に福島世根女史の御協力が得られることとなり十一月三十一日の株主総会において新に福島世根女史が神奈川県競艇株式会社の代表取締役に就任することとなった。
かくて福島世根女史の御骨折により著名な建設会社を始め有力な方々の現地視察が次々と実施されたものの、施設の完成を引受けられる有力者は仲々現われず、翌年の三十一年春三月三日、悲嘆のどん底での日連村長倉田覚弥氏の突然の死去は痛ましい限りであった。
女史の努力と関係者の焦燥の裡に約二ヵ年近い月日が経過し、最後に黒崎貞次郎氏が登場し初めて施設の実現を確約されたのは三十二年の十月で、既に組合運営も赤字の累増で困難のため、島本一郎事務局長も辞任した後で、神奈川県競艇株式会社初代社長の山本宏之氏もこの間に故人になられてしまった。
とにかく競走場工事継続の見通しもついたので小磯組合長、山口組合議会議長は敷地の関係地主を歴訪し、経過の説明をして今後の協力を乞い了承を得た。よってこの経過の報告と施工打合わせのため勇躍、関東海運局に出頭したところ、不破船舶部長、石引監理課長より法改正に基づく指示により三十二年九月三十日迄に登録されていない競走場は爾後認めないと言渡され、然も今後はこの件は一切本省船舶局監理課で取扱われることとなったと付言される状態で、組合側の工事継続中で完成の延期であるから承認されたいとの要請も空しく立戻らなければならなかった。
一難去って又一難、施設会社の瓦解に伴いこれが再建のために二年有余の歳月を精魂を傾けて奔走した組合長以下組合幹部は全く落胆したものの、競走場の誘致一筋に私財を傾け、その目処も立たぬまま死亡した故倉田覚弥日連村長の霊に対しても、又津久井郡の各町村長が税外収入導入のためとはいえ、これまで行財政面に多大のマイナスを及ぼして来た結果が町村民の批判となり今後各町村の行政運営に甚大な影響を与える可能性のある事等を思い合わせると、何としてもこの窮状を打開しなければならないと意を決しこの状況を黒崎貞次郎氏にも御報告して共々運輸省当局へ陳情することを確約した。
然しながら組合も結成以来累増する経費は相当の赤字負債となり、状況は更に困難が持続する見込を以て陳情運動も組合長、議長が諸費用自弁でこれに当ることとして以前より組合の会議に於て検討されていた平和嶋競艇場で相模湖に施設の出来るまで月二日の開催の方針を進めたところ平和嶋側も当組合の実情を御理解下され殊の外進捗して関係方面への提出書類も準備したものの、施設完成を約束させられた黒崎氏の「若し平和嶋で二日間でも開催の運びが出来るとその儘で、かえって相模湖競走場が承認されなくなる不安があるので、いま暫く見合わせて貰いたい」との切なる御要望に一応保留をして鋭意運輸省への陳情に努力を重ねた。
この時点より神奈川県モーターボート競走会の大隅憲二会長、渡辺儀重副会長、山野保三専務理事の各氏とも連絡し密接な協力態勢の下に共々陳情を重ねた結果、新しい決意をする段階に入った。
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