五 相模湖競走場を断念し他競走場での開催を決意する
相次ぐ陳情に運輸省当局も組合の実状には同情されたものの省の方針は堅持されたままであった。ただこの間「競走場の施設建設は認められないが施行者として競走の開催は出来る。従って他の競走場を借りて競走を実施出来る」との御示唆を受けた。然し、当初は相模湖競走場の初一念が強く決断出来兼ねる状態であったが、数度の組合議会において従来よりの経過を検討して、神奈川県競走会とも協議の結果、現在の情勢下においては相模湖の競走場実現は許可の見通し立たずとの結論に達し、遂に東京都内の競走場を借りて競走実施の方針へ転換したのが昭和三十三年の六月であった。
六 江戸川、平和島施行者へ陳情要請の経過
この年四月、衆議院は解散後の総選挙を実施し、指定を受けた時の地元代議士岩本信行先生も当選され爾後の運動の中心となられることとなった。この時期より組合構成四ヵ町は各町議会の承認を得て運動資金を出資し各町長(城山町小磯武二、津久井町宮崎春吉、相模湖町大神田亨、藤野町山崎喜美治氏)組合議会議長(山口松雄)打ち揃って陳情に参加することとなった。
先ず施行の認許申請書を作成して七月七日付を以て運輸大臣、自治庁長官に提出、この写を添え、江戸川競艇場施設会社関東興業社長が渡辺儀重氏で有る関係上、東京都知事に江戸川競艇場の借用申請をしたが、時あたかも六月末の岸内閣の閣議で世論に対応して昭和二十九年鳩山内閣時の公営競技自粛の再確認が行なわれ、関係各閣僚も之を諒承したとの新聞報道のなされた直後でもあったため、数度の陳情要請も効無く東京都より江戸川競艇場の借用は拒絶された。
ここで組合は神奈川県モーターボート競走会幹部と協議なお岩本代議士の御意見等もあり、府中市営の平和島に切換え先年或る程度の話し合いも進んだ経過もあるので施設会社平和嶋の御協力の下に府中市長及び同議会に陳情を開始し、従来、府中市主催の十二日開催に影響のないこととかくなる迄の組合結成町村の窮状を卒直に訴えて数度の陳情を重ね、運輸省当局の御高配もあり御承諾の得られることとなったが、この間にも地元大田区長の苦情、あるいは東京都地方課の御不満等もあったが、それぞれの関係者の方々の深甚な御理解と絶大な御協力に依り解決して岩本代議士を中心にした諸先生方の御尽力が実を結び、運輸省当局の決裁が得られる運びに至った。
七 平和島競艇場にて初開催実施する迄の推移
いよいよ初開催が昭和三十四年十月と決定したので、府中市側との細部協定も行なわれ九月十九日平和嶋において組合関係四町長、組合議会議長、東京都モーターボート競走会、神奈川県モーターボート競走会役員及び施設会社代表者が出席、開催準備の打合会が開催されたところ、遅れて出席された運輸省の担当事務官より省の御都合により開催は暫くの間延期するよう申し渡されて事態は明から暗にと転じた。
然し、明くる昭和三十五年を迎えて関係者の御熱意と御協力により諸般の不安も漸く解消して運輸省船舶局長より関東海運局長宛に開催許可の通達があり、三月三十一日、四月一日の両日に待望の第一回の開催が関係者の喜びのうちに下の成績を挙げて実施された。
初開催勝舟投票券売上高表
初開催年月日 |
入場人員 |
売上高 |
返還金 |
純売上高 |
35. 3.31 |
名
786 |
円
6,462,400 |
円
680,200 |
円
5,782,200 |
35. 4. 1 |
1,816 |
10,237,600 |
429,800 |
9,807,800 |
計 |
2,602 |
16,700,000 |
1,110,000 |
15,590,000 |
|
初開催参加者
所属 |
職 |
氏名 |
職 |
氏名 |
相模湖
モーターボート競走組合 |
組合長 |
小磯武二 |
組合議会議長 |
山口松雄 |
神奈川県
モーターボート競走会 |
会長
副会長
専務理事 |
大隅憲二
渡辺儀重
山野保三 |
事務局長
総務課長 |
大谷夫左二
山本智士
外職員 |
|
八 初開催以降現在迄の経過
初開催以後三十五年度よりの舟券売上の記録は前表の如く格別の事故等の発生も無く順調に進展、この間組合は昭和三十五年七月に相模湖町の県立電気科学館において、関係功労者で故人となられた曽根敬蔵、倉田覚弥、井上鎮男、守屋十郎氏各霊の合同慰霊祭を、岩本信行代議士及び歴代津久井地方事務所長外関係者多数の出席を得て厳粛裡に執行して、霊前において組合長小磯武二及び組合議会議長山口松雄より初開催までの波瀾の経過報告を行なった。
翌三十六年には組合議会を中心に債務調査委員会を結成し公認会計士、弁護士の資格ある篠原好雄氏を顧問に委嘱して、本格的な債務調査を実施したが中心人物であった倉田覚弥、山本宏之氏がそれぞれ故人となられたため債権申出者の立証等に若干の困難も有った。然し一応この調査結果に添って、漸次赤字補償を実施した。先ず公共的なものを優先し、次いで直接組合の負担を妥当とするものを全額補填したがある程度の線で打切る等の止むを得ないものも有った。
翌三十七年二月十日組合長を代理して山口組合議会議長が運輸省に出頭して、赤字解消の状況を報告すると共に関係四ヵ町の財政実情を説明し継続開催の陳情をしたところ改めて申請書類を提出する様にとの御指示を受けた。
これにより組合は初開催迄の経過概要と継続開催を必要とする陳情書に構成四ヵ町の多年の懸案である水源地帯環境浄化のためのし尿処理場、じん芥焼却炉建設計画等の付帯書類を添付して三月二十二日付で運輸大臣、自治大臣宛に提出し、更に四月、五月にわたり運輸省及び自治省に陳情説明を重ねた結果、五月中旬下記の継続開催の御承認が得られることとなった旨の通知を受領した。
―写―(原文は横書き)
三七地第二八七号
昭和三十七年五月九日
相模湖モーターボート競走組合長殿
神奈川県地方課長[印]
モーターボート競走の継続開催に就て
昭和三十七年三月二十二日付相庶第六号を以て陳情のあった標記の件について自治省より継続開催を承認する旨の連絡があったのでお知らせする。
第二号
昭和三十七年五月十一日
神奈川県津久井地方事務所長経由 印
この通知の日付五月九日は、奇しくも関東興業株式会社社長であり神奈川県モーターボート競走会の副会長として終始尽力された渡辺儀重氏が関係者一同の平癒の祈願も空しく逗子の自宅に於て永眠された悲しみの日であった。昭和三十七年四月二十日競走法の恒久立法化に伴い四十年十一月十日組合の規約も一部改正が行なわれ、事業所を平和嶋競艇場内に設置し、組合結成当時より組合議会議長であった山口松雄氏が周囲の要請により、十二月二十日津久井町議会の承認を得て議会議員を辞任し翌日付を以て事務局長の辞令を受け一月一日より赴任し必要な職員も漸次配置されて開催業務を処理することとなった。
昭和四十二年五月神奈川県モーターボート競走会長として当組合と共に努力されて来られた大隅憲二氏は健康上の理由により永年にわたる会長の職を辞任され以後会長欠員のまま山野保三副会長が会務を管掌されていたが、四十三年四月一日前東京都競走会副会長の田辺英之輔氏が新たに会長に就任されることとなった。
組合役職員
(43・6・1現在)
小磯武二 組合長
組合長 |
小磯武二 |
(城山町長) |
副組合長 |
坂本是成 |
(相模湖町長) |
〃 |
武内奥三郎 |
(津久井町長) |
〃 |
山下茂市 |
(藤野町長) |
収入役 |
稲葉健二 |
(城山町収入役) |
副収入役 |
清水三十 |
(藤野町収入役) |
事務局長 |
山口松雄 |
|
総務部長 |
中島秀夫 |
|
総務課長 |
中里富郎 |
(城山町総務課長) |
|
組合議会
(43・6・1現在)
議長 |
大塚勝啓 |
(津久井町議会) |
副議長 |
杢代 武 |
(城山町議会) |
議員 |
田之倉盛介 |
( 〃 ) |
〃 |
安西 実 |
( 〃 ) |
〃 |
佐藤謙次 |
(津久井町議会) |
〃 |
小野沢信治 |
( 〃 ) |
〃 |
前田敏雄 |
(相模湖町議会) |
〃 |
橋本郁二郎 |
( 〃 ) |
〃 |
井草幸治 |
( 〃 ) |
〃 |
佐々木義則 |
(藤野町議会) |
〃 |
大房好一 |
( 〃 ) |
〃 |
山崎孝治 |
( 〃 ) |
監査委員 |
宮崎源治 |
(元牧野村長) |
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