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二施行者による開催
 昭和三五年度は前年度に引続き、三大特別競走の一つである第六回全日本モーターボート記念競走の連続招致に成功し、これが出場選手のP・Rをファンの人気投票によって選出し、事前宣伝の効果を盛上げて、五月三日より開催し、年度当初より好成績を収めた。
 これを契機として平和島競艇の人気も上昇し、以後ファン層が急激に増加し、また、これにともなう売上げも急上昇を示し、年度収益は、この年、はじめて億円台に到達し競艇事業に踏切った理事者の英断が、ようやく実を結びかけてきた。
 この年の三月、先きに当レース場の利用申請があった相模湖モーターボート競走組合の施行が認められ、新たに、二施行者により開催することとなり、競走の実施については、両施行者間で、一ヵ年毎に協定を締結し、以来、今日に至っているが、現在基本的な問題として、次の六項目にわたる協定が結ばれている。
 一、競走開催日数は一回につき甲が一二日、乙は二日とし、甲が一二日を確保出来ないときは、乙は如何なる事由があっても甲の既得権を侵害することは出来ないものとする。
 一、乙は開催日程の決定については、甲の方針に協力するものとする。
 一、乙は競走運営の方針、ならびに施設会社との契約に関しては、甲の意見を尊重するものとする。
 一、情勢の変化等により協定事項の更改を必要とする場合、甲は自発的意志によるの外、乙よりの要求に応ずる義務はないものとする。
 一、前各号以外の必要な事項は、その都度甲、乙協議して処理するものとする。
 一、協定の趣旨に疑義を生じたときは、モーターボート競走法の立法精神に基づき、甲、乙合議の上、解決するものとする。
甲 東京都府中市長 矢部隆治
乙 相模湖モーターボート競走組合組合長 小磯武二
 以上、東京都三競走場のうち、当レース場のみ、二施行者であったが、時代の進展と共に競艇の発展は目覚しく、その収益水準が上がるにともない、過去において振向きもされなかった本事業が、現在では江戸川、多摩川共に、二施行者の開催となり、その収益は公営事業として自治体財政に欠くことのできない、高価な財源となっているのである。
公営競技調査会委員の視察
 昭和三六年度の開催については、五月中旬に第七回全国地区対抗競走を実施し(当市施行二回目)毎年特別競走が施行できる程の実力を備えてきた。
 また、この月に二年前に発足した公営競技審議会が、各施行者に対して公営競技の実情について、アンケートが実施されたとき、当市はこれについて、国家財源及び地方財政の主要部門であり「カケ」行為は、いずれの場合でも一部の理性を失うものにより弊害もあるが、良識の向上により逐次改良されるもので、人間本能に射幸性がある以上これを法律で遮断しても、必要悪として闇に氾濫(はんらん)することは必然であり、公営事業として行なえることは明朗で弊害は少なく、しかもこれが収益金は公共事業に使途されているので、大衆娯楽として健全な発展をさせたいという意見を提出したが、今日(五月一日)この存廃問題の審判である公営競技調査会のメンバーが、競艇についての実態調査をするということで、全国競艇場を代表して当レース場が視察されたのである。
 この競艇場の雰囲気の良し悪しが、競艇の運命を決する存廃に、大きく左右される答申書となることであり、その重大さを身に感じながら当時の責任者は(施行者小林市長、競走会藤原常務、施設会社高尾専務、選手会原崎副会長)それぞれの立場から、各自の視察資料を提出し、競艇事業の実態について一つ一つ心をこめた現状説明が行なわれた。
 次いで開催中の競技模様を観戦され、全モ連青木局長よりの、競技運営の実態について説明を聴取、委員の中には実際に舟券を購入して、その実感を味わっておられた方もあった。その間、施設の状況、観客の動向等をつぶさに視察され、更に競技部において、ボート、モーターの整備、ピットにおける選手の状況等、綿密な実地調査が行なわれ約三時間にわたる視察であったが、競走の運営が厳格な統制のもと、秩序整然と執行されており、水上を走るモーターボート競走は見た目に殺伐さを感じさせず、折柄花壇に咲きみだれる“つつじ”の花が場内をやわらげ、レジャーブームで観客層も良く、委員にあたえた心証は満足すべきもので、視察は終始好感をもって行なわれた。
 この際の資料として、ファンの実態調査を行なったが、平和島競艇のファン層は、年令別でみると二六〜三〇歳、四六〜五〇歳、三六〜四〇歳が、この順に多く次が二一〜二五歳、三一〜三五歳、四一〜四五歳、五六〜六〇歳、五一〜五五歳の順となっていて、男女別では男九一・六%に対し、女八・四%で女性ファン層は他種競技に比べ高率であり、職業別では会社員四〇・三%、工業一四・五%、商業一三・三%、無職一〇・二%、自由業七・〇%、農業一・一%、その他一三・六%ということでサラリーマンが全体の四割強を示している。競艇に来る目的については娯楽八一・四%、金もうけ八・四%、その他一〇・二%で、ファンの大半はレジャーとして楽しんでいる。
 この年度の収益は昨年度の約倍額と、年毎に安定した伸率を示し、施設会社も、この頃では施設の改善に、またモーター、ボートの購入についても積極的となり、掃海対策も設備の改善に資金を惜しみなく投じ、発展的運営ができるようになってきた。
法律の恒久化に伴う施設改善の推進
 昭和三七年度は、第八回関東地区選手権競走(当市施行二回目)を五月に開催し、同年一一月には業界の最高行事である第九回全日本モーターボート・ダービーを招致して従来の売上げを大幅に更新し、競艇の固定ファン確保に成功した。
 この年、公営競技調査会の答申に基づく最終的な法改正が行なわれ、モーターボート競走法の一部を改正する法律が公布された。
 これによって時限立法は解消され、恒久立法化されたため、全国各レース場共これを契機として、健全娯楽場としての施設の改善に積極的な対策がたてられることとなり、当平和島競艇においても、施行者は施設の投資について、特別観覧席の必要性を強く要望してきたが、その頃、存廃問題に当面し逡巡していた施設会社も、法改正と同時に施設改善の計画を起し、新スタンド建設に踏切った。
 昭和三八年度当初において従来の土盛スタンドを解体し約六ヵ月間を要して、全国競艇場に先駈けて初の冷暖房付特別観覧席を設置し、新設スタンド完成を期して、新たに制定された施設改善特別競走を実施し、ファンの要望に答えた。
 
昭和38年、土盛スタンドを解体して、競艇界初の冷暖房付、特別観覧席を新設
 
 また、この年度の当初、事故防止対策として、全国的にハイドロプレン一本化の傾向が強くなり、関東のレース場も従って一時はハイドロプレン一式となり、当時平和島競艇では折角競走用ボートとして登録されているハイドロプレン、軽ランナーボート、ランナーボートがあるにもかかわらず、ハイドロ一本化は業界発展のため好ましくないということで全艇を使ったが、その後全国的に軽ラン、ランナーを使用するところが少なくなり、連合会の選手養成訓練もハイドロのみを使用のため、若い選手はもとより技倆のある選手でも、乗りこなすものが少なくなり、ために事故が多いという理由で、ボート更新時期には毎年問題となっていたが、三種類のボートの持味を生かした競走が必要であるということで、現在、全国で競走用ボート全艇を使用しているところは平和島のみとなったが、ファンの絶対の支持を得て今日に至っている。
 昭和三九年度において、平和島競艇は再び第一一回全日本モーターボート選手権競走を招致し、七月の盂蘭盆を中心に六日間を開催し、売上の新記録を樹立すると共に、全国の代表レース場としての基礎を固めた。
 この年、平和島競艇従業員で組織していた平和会(昭和三七年四月一〇日設立)が競走事業の実施に協力し、事務の研究改善を図り、会員相互の親睦と福祉増進をはかることを目的として、監督級が会の運営を計り、施行者に協力してきたが、これを不満とする会員の一部が、全競労の支援のもとに、平和島労働組合(昭和二九年五月六日設立)を結成し、当日支援団体の強力なピケラインのもと約二〇〇名が参加して結成大会を行ない、以後平和会は解散し、代って労働組合が誕生したが、それ以来今日まで団体交渉決裂等で、ストライキ寸前の事態を再度繰返しているが、この種事業の騒擾とストライキは事業根本をくつがえすものとして、現在においても杞憂すべき課題となっている。
 
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