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初開催とファン誘致の運営
 昭和三〇年、府中市営第一回モーターボート競走は、東京都営より引継いだ大森競艇場において、九月二〇日より二五日までを第一節、同月二七日より一〇月二日までを第二節として一二日間を開催し、この回の入場者は二五、七四九人(一日平均二、一四六人)で売上高は六三、五一二、二〇〇円(一日平均五、二九二、六八三円)という成績であった。
 初開催の運営については大森競艇の施行で、なぜ欠損を生じたかについて充分な検討を行なった結果、その主なる原因はもちろん、競走の実態(他種競技にないフライングスタートは関東のファンに馴染めず)にあったが、先ずファンを誘致して売上げを伸ばすことが先決問題であったので、当市の施行方針として、開催日程については単独で競艇本位に組むことを前提に、地元大井の競馬、オートとの同時開催を極力さける、無料バスを出して、サービス宣伝等には枠を設けず、最大の経費を当ててファンの吸収に努める等の大綱を決定し、開催について慎重な配慮が行なわれた。
 また宣伝等について一例を挙げれば、スベリ券サービスとして、今日においては幼稚なことであったが、当時としてはファンを誘致することに手段を選ぶ、ゆとりがなかった。その目的は早期入場者の増加を計ると共に、入場者を一〇レース終了まで、レース場に足止めし売上増加を計った。方法は一レースから三レースまでのスベリ券一五枚と引換えに投票券一枚を贈呈する。投票引換券は、当日限り第一〇レースのみ投票有効とし、窓口にて各自好みの投票券(舟券)に投票可能とする。窓口は投票引換券一枚を一〇〇円の金券とみなして発売し、当日終了後、直ちに事務所に集計枚数を呈示して現金と引換えることとする。スベリ券と投票引換券との交換は、第九レース発売終了までに限定し、以降の交換は原則として行なわない。
 以上のほか入場料の還元サービスとして、有料入場者に抽せん券引換券を交付し、毎日一〇レース終了後、抽せんにより当日の入場料相当額の賞品をもって、ファンに還元した。また節間をとおして最終日に抽せんを行ない一等賞品として、テレビ、カメラ等の高級品を提供したこともあった。
 
左:土盛スタンドの近景
右:土盛スタンドの全景
 
 このようにファン誘致については積極的に宣伝費を投入したが、肝心かなめのレース内容は、モーター不調による興味半減のレースが続出し、折角高価な宣伝費を投じて、固定ファンの獲得に努力しても、地についた運営ができなかった。その原因は監督庁より指摘されたが、最近の大森競艇の現状は、モーター老朽のため一ヵ月中にエンジン故障が一〇四回もあり、その事故回数は大体江戸川の三倍、多摩川の二倍となっており、折角順調な成績を辿りつつある大森競艇のため、甚だ遺憾であり、このままで推移すれば、競艇ファンの人気を失墜する原因の要素を含んでいるので、予算のともなうものであるから強制はできないが、早急にモーター老朽の対策を講ぜられたいと示達があり、業界からも全国各地の競艇場の記録からみても、新モーターを購入した場合には、必ず売上げが増加している、戸田競艇も近々モーター補強による安定感あるレースを行なう準備ありと聞くが、バテたモーターを使用してレースを行なっている現状では、いかにファンを集めても、結果においては信頼性なく、面白くないと言う声と共に、逆効果となるのではないかと批判があり、施行者としてファン獲得の最大の要素は、興味ある充実したレースを行なうことが実質的な宣伝であるということで、強硬な申し入れを再三にわたり行なった。
 今日では夢のような話であったが、当時、台所の苦しいオーナー(施設会社)は、モーター新調は大変なことであったようである。
 また初開催より競技面において、レースコースの単調さを、おぎなうため、関東においては当競走場のみ七隻立(但し都営当時は八隻立も実施した)レースを実施してきたが、同枠、本目、返還等で、トラブルの原因になる要素が多くなったので、その後、昭和三三年三月開催まで続けて実施してきたが、この年度に七隻立レースを廃止し、以後は今日まで六隻立で実施している。
 東京都より施行を引継いだ新しい府中市としては、難問題が次から次と山積したが、昭和三〇年度を無事終了し、その年の競艇事業収益は七ヵ月間開催し(八四日)三、三〇〇、〇〇〇円の収益をあげたが、同時に、この年の競輪事業収益が二ヵ月(一二日)開催し、収益総額三三、五〇〇、〇〇〇円をあげ、うち当市の配分額一一、七五〇、〇〇〇円が入ったが、両事業を比較した場合、競艇事業の前途は多難であった。
 引続き行なわれた昭和三一年度の競艇事業は、総括して大局的に大した伸展もなく、その間モーターの不調と合わせ、競走水面へのゴミの流入による、エンスト事故の多発に対する掃海対策問題、レース場対岸の住民に対するモーターボートの騒音防止対策等、当レース場独自の問題について研究対策が講じられた。
 この年度の収益は、わずかに前年度を上回ったが、競輪の収益がなくなったことは当市としてはマイナスであり、将来に大きな希望を継いでたゆまぬ努力が続けられた。


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