発刊のことば
全国モーターボート競走施行者協議会
会長 津市長 角永 清
モーターボート競走法が制定されてからすでに十九年、競艇が他の公営競技にもまして、好成績を挙げながら発展の一途を辿っておりますことは、まことにご同慶に堪えません。初開催の当時、今日の発展を予想した人が果して幾人あったことでしょう。
開拓者に辛苦艱難はつきものでありますが、モーターボート競走もまた、その例に洩れません。他の公営競技に最も遅れて発足し、世界の何処にも例のない賭の対象としてのモーターボートレースを始めたのであります。
地方公共団体が施行者となり、地方財政寄与を目的といたしながらも、競走場の諸施設を始め諸器材を調えるために巨額の起債をやむなくさせられるところもありまして、果して、収益があるものかどうか、施行者としては一大決断を要したところであります。
今日でこそ開催すれば必ず巨額の収益があると考えられますが、初期にあっては、果して収益があるものかどうか、開催ごとに売上に対する不安が先に立つ状況でありまして、事実赤字を示したところもあったことを思うと感慨無量であります。
この沿革史は全国二十四競艇場の歴史でありまして、それぞれの生立ちから成長の過程について関係者の努力の跡が印されています。競艇の歴史を知る上にも、今後の発展を期する上にも極めて貴重な資料であることを確信いたします。
競艇沿革史の刊行に寄せて
運輸省船舶局
局長 佐藤 美津雄
モーターボート競走は、昭和二十六年にモーターボート競走法が制定され、翌年大村競走場において競走が初開催されて以来本年は十八年になりますが、その間競艇関係者のたゆまない努力により今日の隆盛をもたらし競走による収益は、造船関係事業、海難防止事業等の振興に多大の貢献をするとともに地方財政の改善に果した役割りも誠に大きいものがあります。
昨今の諸情勢は、国の内外を問わず極めて厳しいものがあり、競艇業界においても今後の競走運営に大きな困難を伴うことが予想され、モーターボート競走が健全な公営競技として発展して行くためには関係者の一層の奮起が望まれる次第であります。
このたび、全国モーターボート競走施行者協議会が、競走法の制定十五周年の記念事業として「競艇沿革史」を刊行されることになりましたが、誠に意義のある企画であります。
この沿革史は、モーターボート競走の草創期における施行者、競走会関係及び競走場設置者の沿革を重点としてまとめられたもので草創期の競艇関係者の労苦がしのばれ、当時の競艇事業の実体が具さに把握できる貴重な文献であると確信いたします。
この沿革史を通じて、競艇事業に従事する人々に多大の示唆を与え競走の健全な発展のために役立つことを念願するものであります。
宿願ついに成る
(社)全国モーターボート競走会連合会
(財)日本船舶振興会
会長 笹川良一
光陰矢の如しと言うが、時の経過は本当に速い。顧みれば私が大阪府ただ一人のA級戦犯容疑者に指名され、米占領軍の巣鴨拘置所に拘禁されていたのは二十年余も前のことである。
自分の口から言うのもオカシイが、当時の私は巣鴨の虎とアダ名され、トルーマン大統領、マッカーサー元帥、スターリン首相らに対し、戦勝国の復讐裁判断固反対の書簡を続発するかたわら、拘置所内の待遇改善要求に、それこそ命を堵して戦った。
しかし、そのような激しい抵抗の明け暮れの中にあって、暮夜は静かに祖国の将来にも、心を砕いていたのであった。
焦土の日本を如何にして復興するか、そして四つの島に閉じこめられた弱貧の日本を如何にして維持経営するか。あれこれと思いめぐらす内に、天の啓示の如く私の脳裡にひらめいたものは『海運立国』であった。
もし、生きて出獄できるなれば、全生涯をこれに捧げようと決意した。
資源に乏しい日本は、資源を輸入して加工輸出する以外に道はない、それを運ぶのは船である。しかも戦前の日本は、世界有数の造船国であった。夢よ再び、造船王国を復活して外貨を稼ぐことを国是とすべきである。
幸い私は三年間の拘禁から釈放せられた。爾来私は獄中の決意実現のために驀進した、モーターボート競走の創設がそれである。国会内の旧同志や知己の同意協力を得て、これを議員立法として提案、衆議院は無事通過したが参議院では極少差で否決せられた。
これを生かす方法は、もはや憲法第五十九条第二項の適用しかないのである。未だ前例のないことであったが私はこの活用に八面六臂の奮闘を試みた。藤吉男・吉松正勝(現東京都競走会正・副会長)、板倉弥三郎(故人、競艇新聞創始者)の三君が献身的に協援してくれた。
斯くて参議院で沈没したボートは、奇跡的にも浮上したのであった。
その後のことは多言を要しない。現に各地競走会で活躍する私の友人諸君や、全施行者、全施設会社、全選手、その他関係方面の好運営の賜として、遂に今日の隆盛を招来するに至ったのである。
財団法人日本船舶振興会が、造船関係事業や、海難防止等に対する昭和四十五年度一年間の支出金だけでも、七四億九、〇〇〇万円に達し、社会福祉事業助成金を加えると、実に一二五億六、七〇〇万円の巨額に達し、戦前の造船王国は完全に復活した。
加えて瓦礫の各都市は、近代的偉容を呈するにいたり、アジアで始めての万国博も開催されるようになった。まことに御同慶にたえない。
ここに関係各位に深謝して、発刊の祝辞とする。
競艇沿革史の発行に際して
(社)日本モーターボート選手会
会長 友永照茂
ここに「競艇沿革史」が施行者協議会並びに関係者のご努力によって発行されるに際して、日本モーターボート選手会を代表し、心からのお喜びを申し上げる次第であります。
ご承知のとおり、モーターボート競走も昭和二十七年四月大村競走初開催以来、幾多の紆余曲折を経ながら、健全なるレジャーとして広く国民の間に定着し、今日年間三千万人に及ぶ入場人員をみるに至り、売上高も昭和四十四年には、三二五八億一七三一万七五〇〇円と大幅に上昇しております。これが収益は戦後の荒廃した国土を復興すると共に、地方財政の安定のために大きく貢献しております。大村競艇場にて初開催した往時においては誰しもが予想しなかった驚異的な発展であります。これは偏えに全国モーターボート施行者を始め、関係者各位のご努力の賜ものと存じます。
ここに編集、発行された「競艇沿革史」は全施行者の創業時における困難な状態や建設途上における恒久立法化の問題や施設改善の飛躍的発展の姿を如実に示し、一つの歴史的な文献として貴重な役割を果して行くものと信じます。
全国各地から収集された膨大な資料をもとに、長年の歳月をかけ、ここに「競艇沿革史」を完結された担当者の方々のご苦労に敬意を表するとともに、全国モーターボート競走施行者協議会の益々発展されんことを祈念いたしご挨拶といたします。
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