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(5)漁船
 漁船は、漁業に用いられた船の総称です。今回の、企画展「描かれた海辺の風景」に展示されている絵にもさまざまな漁船を見ることが出来ます。
 我が国では、和船と呼ばれる木造船が長い間漁船として用いられてきました。和船は、主に杉の板を接ぎ合わせて船体を造る我が国独特の船です。房総半島で使われた漁船は、シキ(敷)と呼ぶ船底板に、タナ(棚)と呼ぶ舷側板、及び船首のミオシ(水押)と船尾のトダテ(戸立)の各部材を接ぎ合わせたサンマイハギ(三枚接ぎ)と呼ばれる三枚板構造の船と、棚板が上下二枚に分かれた、シキに接続する板をカジキ(加敷)と上部のタナ(棚)と呼ぶ構造でできたゴマイハギ(五枚接ぎ)と呼ばれる五枚板構造の船があります。
 
三枚接ぎの漁船
 
五枚接ぎの漁船
 
 船の構造は、漁場の沿岸から沖合への進出により大型化していき、揚げ板式の和船からヤンノウ型の漁船さらに洋式の造船技術を取り入れた漁船へと変化していきました。しかし、小型漁船は、昭和40年代前半に船外機が導入され、後半にF.R.P(強化プラスチック)製の船が出現するまでは大きな変化はありませんでした。その後、大企業による全国的に同型の船が流通するようになり船大工の数も減少していきました。
 これらの事を踏まえて今回の展覧会の絵を見ていくと様々なことが考えられると思います。資料番号33「房州白浜」(浅井忠)、資料番号34「房州波太村」(浅井忠)はまだ港が整備されていないため、船を砂浜に揚げるのに絵には描かれていないがカグラサンと呼ぶ大型のろくろやキイカリなどが浜に数多く点在していたといえます。同様のことが、資料番号29「白い砂」(不破章)にもいえます。また、「白い砂」では砂浜に揚げてある船の艦にスクリューを見ることが出来ます。小型漁船でも比較的大きい船には昭和30年代からエンジンがつけられるようになりました。本館蔵の昭和37年頃製作のウタセブネにもエンジンが据え付けられていました。
 
カグラサン
 
キイカリ
 
波上海女図
 
 若木山の昭和28年製作の資料番号29「波上海女図」では、左隻の船の艫の部分(写真矢印部分)にカジを通す穴が見えることから航行には、櫓漕ぎのみでなく帆走も兼用されていたことが窺えます。帆を使用した漁船は、昭和24、5年頃まで製作されていたので、この船は絵の制作年によらなくとも昭和20年代前半に造られたことになります。本館蔵の漁船にも、昭和24年に館山市館山で製作され安房郡千倉町で使用されていたものがあります。右隻の船では、海女さんが脇櫓(矢印の櫓)を使用して船を漕いでいます。脇櫓を使用した船は肩幅4、5尺(船体の幅が1.2〜1.5m)、長さ15尺(4.5m)程度の一般的な漁船よりやや大きめな船になります。これは、海女さんが船に座っている様子を左隻と右隻の船を比べることによっても分かります。
 また、下の資料番号3「不二三十六景上総木更津海上」の図は漁船の絵ではありませんが、五大力船が描かれています。五大力船は江戸橋西詰の木更津河岸と木更津を結んだ木更津船に用いられ貨客輸送に重宝されていました。この図の舷側の棹走り(矢印の部分)は、五大力船の特徴であり、船が五大力船であると特定できます。このように絵の中に描かれているものは、図鑑の挿絵と違いそのものを正確に描写しているとはいえませんが、その特徴を探すことによりそのものを特定することができ、使用されていた様子を窺い知ることができます。現在のように映像を記録する手段が豊富でなかった時代を考えるとき、絵画等描かれたものは、鑑賞の対象としてだけでなく歴史資料としても重要な意味を持っております。今回の展示の主旨はそこにあります。
 
不二三十六景 上総木更津海上
 
(6)万祝
 万祝は、大漁の祝いの席で船主や網主から配られハレの日に集団で着る着物です。七宝や梅竹などの縁起の良い絵柄が描かれ、神社仏閣に参拝するとき、一同が揃って着たものでした。万祝の「万」は、数量としての万ということではなく、千漁・万漁といった膨大な水揚げ量をもたらす大漁、大数としての万という意味が込められています。万祝には「万祝」、「間祝」、「前祝」、「真祝」、「舞祝」、「摩祝」などの表記もあります。漁師たちの様々な想いや願いが文字に込められているといえます。
 この万祝は、房総半島が発祥の地といわれています。房総半島では、当時の漁業の先進地域関西から網漁をはじめ優れた漁法が伝えられました。そして、九十九里のイワシの地曳網に代表されるように、魚の漁獲量が高められました。江戸という日本最大の消費地が近くにあったことも漁業を後押ししたことでしょう。このような背景のもとに、万祝が房総で発生したと思われます。万祝を着る風習は房総地方にとどまらず、太平洋沿岸の静岡県から青森県まで広がります。
 資料番号25「凪」(山谷一)には、万祝をはおり磯に立つ漁師が描かれています。背中に描かれているのは、背紋(背型)といわれ万祝を発注した家の家紋、屋号、船名などが分かります。また、腰から下の部分は、腰型といわれ、海や漁にかかわる縁起のよい図柄が選ばれます。ここではイワシの大群が描かれています。文字や絵で語呂合わせの図柄もよく見られます。資料番号14「銚子口大漁満祝ひの図」(五雲亭貞秀)では、勢揃いした和船に揃いの万祝を着た漁師が描かれ、当時の銚子の繁栄を想像することができます。
 万祝に描かれた絵柄は描かれた当時の漁法や魚種などの情報を伝えてくれるとともに、図柄や技術に高い芸術性を見ることができます。
 
マイワイ(鶴亀、いわし)
 
マイワイ(地引網)


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