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1-3 土 くっつく水
 地面に降った雨は土の中へと浸み込んでいきます。土は,小さな土の粒からできています。土の粒の間にはたくさんの隙間があります。その隙間には,水や空気,さまざまな微生物,動植物の遺体やその腐ったものが入り込んでいます。土の中の水の量は1万6500km3,地球の水の0.0012%を占めると計算されています。土の中の水の一部は,土の中を下って地下水になり,部はのぼって地表面から蒸発し,一部は植物の根に吸収されます。土の中でも常に水は動いています。
 
土の中をのぼる水
 土は,スポンジや雑巾のように水を吸います。乾いた土を管に入れて管の端を水に浸けると水はゆっくりと土の中をのぼっていきます。乾いた雑巾や紙の端を水につけると水が浸み上がっていくのと同じことです。浸み上った水は落ちずにそこに留まります。
 
Q 水は上から下に流れるのが普通なのに,なぜ土の中や雑巾の中をのぼっていったり,落ちずに留まっていたりすることができるのですか?
A 水は,狭い隙間があると,そこに入り込んでしまう性質があります。これを毛細血管現象といいます。土の粒と粒の間には小さな隙間があります。雑巾も糸と糸の間に狭い隙間があります。その狭い隙間に水は重力に逆らってでもどんどん入り込んでしまいます。
 
毛細管現象
 水は細いガラス管を勝手にのぼっていく性質があります。ガラス管が細ければ細いほど高くのぼります。一度入った水は,吸い出したり,振り回したり,乾かしたりしない限りなかなか出てきません。管でなくても狭い隙間にも水は入っていきます。土にも,とても狭い隙問がたくさんあります。その狭い隙間に水が毛細管現象で入り込んでいきます。ただし,水が入っていくのは狭い隙間をつくっている物が,濡れやすいもの(親水性の物質)の時に限ります。水をはじくようなもの(疎水性の物質)でできた狭い隙間からは水は出ていこうとしますが,入っていこうとはしません。
 
テンシオメーター
 乾いた土や雑巾は,たくさんの水を吸おうとしますが,水を吸って湿ってくるとその力は弱まり,さらにたくさん吸って飽和してしまうとそれ以上はもう吸わなくなります。土が乾いているときほど土は力強く水を吸おうとします。テンシオメーターは,土が水を吸い込む力(圧力)を測定する装置です(図3.1)。テンシオメーターは,中に水を入れて栓をし,先端の白い素焼きのカップを土に埋めて使います。素焼きのカップには,水を通すことのできる微細な穴があいています。土は,テンシオメーター内の水を吸い込もうとします。水を吸い込もうとする圧力が高いということは,それだけ土が乾燥していることになります。圧力が低い場合は,土は十分湿っていることになります。テンシオメーターを使うと土の質に関わらず土の湿り具合がわかります。
 
図3.1 テンシオメーター
 
土の吸水力
 乾いている土にテンシオメーターを挿すと,テンシオメーター内の水を土が吸おうとして内部が陰圧になります。テンシオメーターと,逆さまにした注射器を図3.2のようにつなぐと,注射器の中の水が引っ張られて,重いおもりを持ち上げることができます。
 
図3.2 土の吸水力
 
Q 大雨の時のように,たくさんの水が土に浸み込んだとき,水はどこへ行くのですか?
A 雨がたくさん降って,土が降ってくる水を持ちきれなくなると,水は土の中を降りていくか,土の上を流れていきます。植木鉢に水をたっぷり入れると,底の穴から水が出たり,あふれたりするのと同じです。土の中を降りていく水は最後には地下水になります。
 
 水が土の表面を流れていく速度に比べて,土の中を水が降りていく速度はとてもゆっくりです。あまりに遅いので,地下水にたどり着く前に次の雨水が上から浸み込んでくることがあります。山では,浸み込んで地下水となった水が,麓で泉となって湧き出てくることがあります。湧き出た水は川となって平野に流れていきます。きまぐれに降る雨が土のおかげで,絶え間ない川の流れにかわります。山の土は,降った雨を貯めて少しずつ川に流すダムのような働きをします。人間の造ったダムとちがうところは,地下から湧き出る水がダムの水とちがってとてもきれいなことです。土の中を水が浸み込んでいく間に,水がきれいになるからです。
 
物をくっつける水の性質
 水にはもともと物と物とをくっつける性質があります。たとえば,本のページをめくるときに指にツバをつけるとめくりやすくなります。水をつけてもページの紙は指にくっついて,めくりやすくなります。ただ水が物をくっつける力はボンドのように強くはありません。本のぺージもすぐに離すことができます。しかも,水でくっついたものはくっついたまま自由に動かすことができます。ただ面白いことに,水の持っている「物をくっつける性質」は,水の中ではなくなります。ごみのついた指を水にひたすと,何もしないのにごみははずれます。この性質をうまく使っているのが雑巾です。雑巾をぬらすと,ほこりがつくようになります。ほこりのついた雑巾を水の中ですすぐと,ほこりが水の中に落ちて,雑巾がまた使えるようになります。水が持つ物をくっつけるとういう性質は,空気中でしか現れません。
 
粘土と水のビミョーな関係
 粘土はもともと小麦粉や白玉粉のように非常に微細な粒子からできています。その粒子同士が水の力でくっつくと,くっついているけど自由に動かせるような状態になります(図3.3)。粘土が適度に湿っているときに限り,ダンゴのようにまるめたり,伸ばしてひもにすることができます。先に述べたように,水の持つ物をくっつける性質は水の中ではなくなります。したがって,あまりに粘土が湿りすぎると,粘土の粒子がくっつかなくなり,まるめたりすることができなくなります。土に限らず,小麦粉でうどんをつくるときにも,そば粉でそばをつくるときも,白玉粉で白玉をつくるときでも水が多過ぎても少な過ぎてもうまくできません。
 
図3.3 白由に動く粘土の粒
 
Q 大雨が降るとどうして土砂崩れが起こるのですか?
A 土の中の水が多過ぎると,水に浸した粘土のように,水の力でお互いにくっついていた土の粒がばらばらになってしまいます。土も水を吸って重くなります。そうなると,崖のようなところでは,土砂崩れが起こります。
 
 川や池の岸も,水に浸っているところはドロドロで,踏み込むと足を取られます。岸の上のほどよく湿っている土だと硬くて歩きやすくなっています。砂浜でも,砂が乾き過ぎている場所も歩きにくいし,水に浸かっているところも足をとられて歩きにくくなっています。粘土と水の関係のように,砂がほどよく湿っているときに,砂粒同士が比較的固くくっついているので,そういう場所は歩きやすくなっています。
 
Q 晴れた日が続くと土の中の水はどうなるのですか?
A 土の表面に日が当ると,表面の土は乾きます。乾いた土は水を吸収しようとします。そこで,土の中の水は,湿っている深いところから乾いている表面の方に動き始めます。
 
 晴れの日が続くと,土の中の水はどんどん上に向かって動いて,地表面から水蒸気となって空気中に消えていってしまいます。そうなると,土が日に日に乾いていきます。雨が降ると土の中の水は下に動き,晴れた日には,水は上に動きます。植物の根が土の中の水を吸うと,根の方に向かって水が移動します。土の中の水は目では見えませんが,他の多くの水と同じように絶えず動いています。
(由良 浩)
 
活動 やってみよう!
くっつく水
物をくっつける水の性質
 
 アルミホイルの切れ端を,乾いた指につけようと思ってもつきません((1))。でも,指をぬらすと簡単に指にくっつきます。しかもついている切れ端を動かすと,くっついたまま動きます((2))。こんどは,切れ端をくっつけたまま指を水につけると,簡単にはずれます((3))。水には物と物とをくっつける性質がありますが,その力は強くなく,また水の中ではその性質はなくなります。
 
エッセイ 水展における博物館の役割
博物館の表現箱としての機能―アーティストの立場から
 そもそも展示会という以上何かカテゴリーなり,コンセプトというものがあるはずだ。今回は,『水展』という名のとおり,『水』がテーマだから,少々厄介である。大概の箱,つまり博物館は,「水」の「美しいところ」「きれいなところ」だけ取り扱うものだ。しかしこの箱,千葉県立中央博物館は,どうやら違うらしい。
 一般に,『水』の三態(気体,液体,固体)というが,これは,水の状態変化のことで容易に想像がつく。しかし,これはきれいな水が前提になっているような気がする。水が何色であるかという議論は置いといて,とにかく,汚れていない水が素材になっている。でも水はいつもそんなにきれいではない。泥水。黄色,あるいは茶色,土の混じった水だ。見た目も,においもひどい。しかし,この水を,飲まざるを得ない人々がいる。飲まされている子どもたちがいる。たとえば,カンボジアの子どもたち。何の屈託もなく,ゴクゴクと飲み干してしまう。それでは,と飲もうとすると,『だめ!』という。私たちが飲むと,下痢を起こし,病気にすらなりかねないからだ。「こんな水は飲んではいけない」と,この水を子どもたちに飲ませている大人が私たちにいった。気遣いはうれしいが思わず考えさせられてしまう。とにかくこの水を飲まないと生きていけない状況があり,子どもたちは何の疑問もなく,実においしそうにこの水を飲んでいる。彼らにとっては『おいしい水』なのだろうか。
 さて,『おいしい水』って何だろう?博・学連携の一環で,小学校で授業をやったときに,聞いてみた。だがこれが本当に難しい。いろいろな答えが出た。「レモン水」「砂糖水」「蜂蜜の入ってるやつ」「でもそれらは全部水に何かが混じってるんだろう?」というと,みんな沈黙。もう一度聞いてみた。「おいしい水ってどんな水?」お互い顔を見合せてしまった。
 結論として出たのは,(1)臭いがない(2)色がない(3)味がない―であった。
 なんと,おいしい水には味がないのだ。このコペルニクス的パラダイムシフトは何だ。
 無味乾燥,無色透明,臭いがないのがおいしい水なのだ。
 しかし,「水臭い」という表現もある。もともと「におい」のないものをたとえて「くさい」とは何事なんだろう。この表現は主に関西方面で出没する表現らしい。
 たぶん,酒を造るときに,大阪人らしく,けちって,水で薄めたのだと思う。アルコール分が薄まることを指して,「水臭い」と表現しているのだ。標準語では,「水っぽい」に当たると思う。
 「水に流してくれ」なんていい方もある。人間,忘れられることとそうでないことがあるが。「みずみずしい」なんてさわやかな若々しさを表わした表現もある。さらに「水もしたたるいい男」。・・・なにやら国語学の講座のようになってきた。表現者としての「みず」は善玉にも悪玉にもなれる変わり身の早さがあるようである。それを扱う博物館はたいへんである。
 私はギタリスト(アーティスト)としての表現者。博物館は人の入れる器としての表現箱。表現者の私を刺激してやまない「みず」。「行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」に代表される無常観。滝の音から想起されるリズム。波の音の中にある,えもいわれぬグルーブ。私の右脳が常に刺激される。
 表現箱の博物館を刺激してやまない「みず」。たくさんのオーディエンスを魅了してやまないだろう。
 私は博物館の共同研究員として,博物館に敬意を表すると同時に新しい博物館を創造していきたい。音楽家と博物館。一見何のつながりもないようだが,奥のところで密接な関係がある。
 
高谷秀司(たかたに・ひでし 大阪府生まれ。ギブソン専属契約ギタリスト,千葉県立中央博物館共同研究員)


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