日本財団 図書館


3. マラッカ海洋博物館(訪問日:6月29日)
応接者名:Tourist Guide S.RAGUNATHAN P.B.M
(1)見学概要
 マラッカ川の河口から500mほど遡った河岸に建ち(写真下)、ポルトガルの復元帆船「フローラ・デ・ラ・マール」が陸上展示してあり、目立つ存在である。その脇には近海で使われていたと思われる木造船も陸上展示されている。海洋博物館はこの帆船内と隣接する建物内部(1、2階)になる。見学時はちょうど南国特有のスコールに遭った。
 
 
 博物館の1階は18世紀〜現代まで、近海を航海していた船の模型や魚村風景などを再現。2階は航海・通信計器、ランタンなどのほか、18世紀のオランダ沈没船「ダイアナ」の海底沈没状況の再現及び引き揚げ品を展示してある。引き揚げ品の一部はクアラルンプールの国立博物館水中考古展示館にも展示してある。
 1階にはWWF(世界自然保護基金)のコーナーも広くとってあり、絶滅の危機にある動植物や、子どもたちを対象にした海洋環境保全にかかわる解説展示もある。1950年代の1年間には約1,800匹のウミガメが近郊の海岸で産卵したが、99年には2匹しか来なかったとのこと。海洋環境汚染によるウミガメの減少、さらにはダイバーなどによるサンゴ礁の破壊が増えている現状を訴えている。
 帆船内部は3層からなり、上甲板の下の階は14、5世紀のマラッカの交易の様子やマラッカの町並みが人形模型や絵画で解説されている。また、マラッカに交易のために寄港したり、近海で活躍したマレー船、中国船などの模型も展示してある。
 最下層はマラッカの歴史、とくにポルトガル、オランダ、英国などによる進攻の歴史順に当時の様子を描いた絵画や船舶模型を用いて紹介している。また、16〜17世紀のオランダ船から発掘された東インド会社のマーク(VOC)が入った鉄製の箱(写真下)も展示されている。
 
 
 復元された「フローラ・デ・ラ・マール」は、1511年にマラッカを攻めたポルトガル船で、1512年にインドのゴアヘ向かう途中にスマトラ沖で沈没した。復元されたものは全長110フィートだが、実際の帆船は170フィート。ただし、同船は見世物的な存在のようで、造りもあまりよくなく、折からのスコールにより、船内のいたるところで雨漏りがしていた。
 マレーシアには海洋博物館が他に2つある。一つはトレガンヌ(東海岸)、もう一つはサバ州コタキナバルにあり、トレガンヌの海洋博物館はトレガンヌ州立博物館の一施設として開館しており、同施設には漁業博物館もあり、それぞれ展示物も充実しているとのこと。
 見学後の昼食時には、MALAKKA MUSEUMS CORPORATIONの事務局長及びスタッフの方も同席していただき、情報交換をした。
(2)運営等について(この項2月事前調査時より)
 マラッカの中でも一番人気のある博物館で、来館者は平均月に8000人、学校が休みの時は月15000人にもなるとのこと。博物館脇のマラッカ川岸壁からは遡航して市内を見学できるリバークルーズ船や対岸のインドネシアスマトラ島とを90分で結ぶフェリーの発着場がある。
 マラッカ州には18の博物館があり、運営はMALAKKA MUSEUMS CORPORATIONがあたっている。今回応対していただいたDR BADRIYAH SALLEもここの職員である。当日は同氏のほか、カメラマンも同行してわれわれの見学の様子をカメラに収めていた。したがって館長職をこうした職員が兼務していて、実際の現場は学芸員が取り仕切っていると思われる。マラッカ海洋博物館には学芸員1名とアシスタント学芸員、博物館ツアーガイドが数名いる。
(3)その他(この項2月事前調査時より)
 ここでは日本の博物館の設立別や文化財の管理についての情報交換や展示資料の貸し借り(たとえば伝統衣装)などができないか、などの具体的な内容の話も出た。とくに企画展を開催する場合に、内容がよければ州政府から予算がもらえるので協調してできるとのこと。
 マラッカ(マレーシア)の最近の子供たちは海への関心が薄れているとのこと。子供たちの目を海に向けるために、マラッカ州では沈没船をテーマに興味をわかせるようにしている。ダイバーや考古学者を招いての講演会なども企画中とのこと。
 沈没船を引き揚げるには多額の費用がかかるのではないかとの質問に、「サルベージには確かに費用がかかる。しかし、財宝の引き揚げということよりも、引き揚げた歴史的に貴重な遺物をとおして外国と自国との関連や歴史を知ることは大切なこと」と語った。
 
4. マラッカ歴史博物館(訪問日:6月29日)
応接者名:責任者 KHAMIS ABAS
(1)見学概要
 博物館は1650年代にオランダ総督府公邸として建てられたもので、マラッカ観光の中心ポイントであるダッチスクエアの一画にセントポールの丘を背にして建っている。
 1階は海外からの陶磁器や進攻の際に使われた武具など、マラッカにかかわる歴史的な実物展示と民俗関連では農業や漁業の様子、小型の木造船の展示のほか、水上家屋、マレーの人々の日常の生活や結婚式などの様子を再現している。
 2階は進攻してきたポルトガル、オランダ、英国と関連した時代ごとの資料を展示してある。また、マラッカの中心街の様子が各時代によって変化していく様をジオラマ(写真下)で紹介している。
 
 
 鄭和文物記念館も併設してあり、鄭和の航海に使用された船の模型や関連資料とマラッカとのかかわり、そして各国の鄭和研究についての取り組みなどが解説してある。
 各展示については5年を目処に内容などを変えていくとのことである。
(2)その他
 マラッカ州は観光客に頼っている面が多く、博物館の役割は大きいとのこと。海洋博物館及び歴史博物館はマラッカ州では人気のある博物館で、2005年1〜5月までの入場者数は海洋博物館が約79,000人、歴史博物館は約34,000人ちなみにマラッカ州18館の合計は約156,000人である。今後2010年までに博物館数を18館から22館にする予定とのこと。
・質疑応答
日本側から
(1)Q: 館内にいる職員の役割について?
A: おもに警備だが、ミュージアムガイドを兼ねたものもいる。歴史博物館にはプロフェショナルガイドがいて、英語、中国語、日本語の対応ができる。また、VIPについては学芸員が案内をする。スタッフ数は海洋博物館、歴史博物館合わせて25名、マラッカ州の博物館全部で約100名である。
(2)Q: マラッカ王国時代の出土品で展示されていないものはほかにあるか?
A: ここでは展示していないものでも、文化博物館などには展示している。2001年までは1箇所で保管していたが、その後関連博物館などへの貸し出しを行い、来館者が飽きないようにしている。また、現在マラッカ川で発掘作業を行っており、コインが3000個ほど発見されているが、それらを展示するための施設も検討中である。
(3)Q: マラッカ王国時代に琉球から船が向かっている記録があるが、マラッカではそうした記録はあるか?
A: 文献にわずかだが琉球との交流について記録が残っているが、あまり分かっていない。むしろ、琉球からどのような船が何を積んでマラッカヘ向かったのかを教えてほしい。マラッカ王国時代に日本とどうかかわりがあったのか興味がある。
 
5. マラッカの史跡について(見学日:6月29日)
 マラッカ観光の中心となるのがマラッカ川の河岸にあるダッチスクエア(オランダ広場)である。海洋博物館もここから5分。観光用トライショー(人力の三輪自転車)が盛んに声を掛けてくる。スクエアにある歴史博物館の裏からつづくセントポールの丘に登ればマラッカ海峡が一望できる。
 丘の上にはフランシスコ・ザビエルの死後、一時遺体が安置されたセントポール教会があり、屋根(一部)と外壁だけが残る内部にはオランダ人やポルトガル人の墓碑が並んでいる。教会の前にはザビエルの像が建てられている。反対側を下りるとサンチャゴ砦(1511年にポルトガルが築いた要塞の一部)、スルタン・パレス(文化博物館)、独立宣言記念館などがある。
 こうした町並みが西洋風なのに対して、ダッチスクエア前のマラッカ川に架かる橋を渡ると、100年前のペラナカン(マレー生まれの中国人)の家並みが残るチャイナタウンヘと変わり、かつてのマラッカの人々の暮らしを垣間見ることができる。中国料理とマレー料理の味が一緒になったニョニャ料理店や骨董品店が建ち並び、こうした店はいずれも古い建物で、ペラナカンの豪邸をそのまま利用している。また、19世紀後半のペラナカンの豪邸を、当時の家具や調度品、生活用品をそのまま一般公開しているババ・ニョニャ・ヘリテイジもある。
 
 
 2月の事前調査時は、ちょうど旧正月最後の日でお祝いパレード(写真上/05年2月撮影)に出合い、華やいだ雰囲気にひたることができた。
 
6. PSAコンテナターミナル(PSA CORPORATION LTD)
  (訪問日:6月30日)
応接者名:Dy Manager(Corporate Public Relations) Valerie Mok
(1)見学概要
 コンテナ取扱量世界第2位のシンガポール。そのシンガポールのコンテナターミナルの運営と管理を行っているPSAを訪ねた。まずPSAビル1階のロビーにあるコンテナヤードのジオラマで解説を受けたあと、36階の小会議室で説明を受けた。訪問挨拶の際「コンテナ取扱量世界第2位の・・・」と述べると、Mok氏からはすかさず「現時点で世界第一位」という訂正の言葉が入った。事前にPSAの業務概要についての日本語ビデオ(約10分)を見せていただいた。窓からはシンガポール海峡やインドネシア領の島や手前には大小の船舶が停泊しているのが見える。
 同ターミナル(写真下)は1972年に東南アジアで最初にコンテナ化されたTanjong Pager Terminalが稼動し、1980年以降3つのコンテナターミナルが順次稼動した。24時間365日操業、無人ゲート、ペーパレス、ダブルスタックトラック(40フィートコンテナ2段積み)など、PSA独自のノウハウを駆使して世界のトップに踊り出た。隣接して一般貨物を扱うための2バースも稼動している。
 
 
 同社はシンガポールのほか、日本の北九州港を含め11カ国で18のプロジェクトを実施しており、現在も拡大中である。
 会議室での説明のあと専用バスでコンテナターミナル内を見学した。セキュリティと安全上の問題からバス内からの見学だった。深水バースはすべてコンテナ船が接岸されていて、岸壁はコンテナ積み下ろしのためのガントリークレーンが稼動し、コンテナを載せたトラックが絶え間なく行き交っていた。
 シンガポールが港湾物流拠点として発展をとげた理由は、安定した政府、天然の良港で一定の深度があったこと、道路網の整備と24時間操業、そしてなによりも東西を結ぶ要衝にあったこととのこと。
 海外からの視察も多く、視察マニュアルがあり、ビデオの解説やコンテナターミナルの見学で約90分コースになっている。
(2)海洋博物館について(廃館)
 コンテナターミナルを主眼において訪問したが、かつて同社が経営し、現在は廃館になった海洋博物館(セントーサ島)についてもいろいろと話をうかがうことができた。今回応対して下さったValerie Mok氏は当時学芸員として博物館の運営に携わっていたとのこと。
 博物館はセントーサ島に1970年代初めにオープンした。当初、近海で使われた木造船(写真下/1989年6月撮影)やジャンク、漁撈具、PSAの活動内容やシンガポールにかかわりのあった船の模型、世界の海や船に関する切手が展示されているほか、屋外には年代ものの蒸気動力によるクレーンが展示されていた。
 
 
 もともと同博物館は当時港湾局がセントーサ島をツーリスト用の島にするため、政府の一機関だったPSAが博物館建設を提案し、実現したもの。しかし、入館者の伸び悩みもあり、展示物を増やしたり、単に見て回るというそれまでの「静」の展示から、体験コーナーや子供対象の絵画コンテスト、クイズ、宝さがし、そしてテーマトークなど「動」の活動に切り替え、さらに公民館、学校との連携プログラムも取り入れたが、運営は厳しくなる一方だった。
 その後、PSAは法人化され、コスト優先となり、港湾庁へ運営を委託する話や国立博物館局への予算措置なども検討されたが、どれも実現にはいたらず、4、5年前に廃館となった。廃館となった跡地には当時の白いマストだけが立っており、対岸の市内からも見ることができる。
 廃館になった理由としていろいろ上げられるが、セントーサ入島料が比較的高かったこと、博物館の位置がセントーサ島の中でもはずれにあり、しかもモノレールの駅がなかったこと、セントーサ島よりオーチャードなどの繁華街のほうが地元民や観光客に人気があったこと、などが上げられた。しかし、一番の理由は「人々の博物館への関心が低かった」ことのようである。
 Mok氏は博物館の運営には莫大な費用がかかるため、関連企業にスポンサーになってもらうなどが必要と述べた。
 
7. アジア文明博物館(訪問日:6月30日)
応接者名:学芸員 Tan Szan
(1)見学概要
 おもに中国、東南アジアや西アジア、イスラム圏などの文化や歴史などについての実物資料を展示。民俗衣装、装飾品、祭事、信仰など多種にわたり、とくにイスラム、ヒンズー、仏教関連の経典や関連資料は充実。また、各展示を国ごとのコーナーに分けて展示している。
 
 
 見学導入部にはシンガポール川に関するギャラリーやスマトラ沖で沈んだアラブのダウ船の航海経路のほか(写真上)、唐船から引き揚げられた白磁、青磁、金・銀製品そして窯碗などを展示している。
 展示手法に関してはカナダの展示業者が担当したそうで、高さ9mの天井からのピンスポットによる照明やショーケース内には熱を発しないピンスポット照明、コーナーごとにバーチャル案内などが見られ、日本ではあまり見られない手法に参加者からの質問も多かった。
 訪問時はローマ時代を中心としたバチカン展が開催されており、約150点の資料が展示されているとのこと。
 ミュージアムショップ(写真下)はスペースが広く販売品種も充実している。展示にかかわる土産品が多く、安価なメモ帳などの文房具から、銀製品や漆器、織物、彫刻品のほか装飾品やインテリア小物まで広範囲にわたっている。
 ショップは博物館の直営ではなく、バニャンツリー・ギャラリー(BANYAN TREE GALLEREE)が営業しており、同社はミュージアムショップの商品開発や運営を専門に担当している。文明博物館のほか、美術館、歴史博物館などでもショップを運営しており、博物館見学者以外も利用できる。
 


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