「あんた、くるみだろう?」
みやげ物屋の女の子が、とつぜんたずねた。
「えっ」
「涼にいわれるまで、くるみだって気がつかなかったよ。覚えてるかい、夏希(なつき)だよ」
わたしは、口をぽかんとあけた。
「くるみは小さいころも、夏になったら涼の民宿に泊まってただろう。涼は、いとこなんだ。わたしと涼と、くるみの三人で泳いだり、うちの裏庭で、ママごとして遊んでたんだぞ」
わたしは、何回も夏希という名前をつぶやいた。小さいころの、ぼんやりとした海の思い出。年上の男の子と女の子がいて、一人は涼くんだった。女の子は、髪が長かったと思うけど、顔は、はっきり覚えていない・・・。
わたしは、首をかしげた。
「・・・長い三つ編みしてた子だったら、おぼえてる。腰までたらして、リボンつけてたの」
「小学生のときは、その髪形だったよ」
「ほんとう?」
おもわず身をのりだした。
「髪は長かったんだ。一年ぐらい前に病気になって、治療のせいで髪がぬけたんだよ。だから、ばっさり丸坊主にしちゃった。もう小さいころみたいに、三つ編みあんでくれる人もいないし・・・。母さんは交通事故にあって、死んでしまったから・・・。髪は、これでも伸びたほうなんだ」
夏希さんは、ショートカットの頭を、くるっとなでてみせた。
「でも・・・」
わたしは、口ごもった。
「なんだ、はっきりいいな」
「その子いじ悪で、かわいい人形、かしてくれなかったし、金色の色紙もいっぱいもってるのに、ぜんぜんくれなかったの」
夏希さんは、わらった。
「そんなこと、よくおぼえてるなあ」
「だって、金色の折り紙ほしかったもん」
わたしは肩をすくめた。
「いじ悪な子どもは、きっと、わたしだよ」
わらいながら、夏希さんは砂浜に腰をおろした。わたしも横にすわった。
「くるみには、妹がいたんだな。てっきりわたしと同じで、一人っ子だと思ってた」
うなずきながら、すぐ首をふった。
「本当の母さんはね、わたしと父さんを残して、どこかに行っちゃった。父さんは、小さな女の子のいる、今の母さんと四年生のときに再婚したから、きゅうに妹ができたの」
わたしは、遠くの水平線に目をやった。
「へえー、よかったじゃん。ほしくっても、デパートに行ったって妹や母さんは売ってないもんな」
夏希さんは、まじめな顔でいう。わたしはくふって、わらった。父さんが再婚してすぐに転勤があったから、今の学校じゃあ、だれもそのことを知らない。わたしも、自分から話すこともなかった。
「くるみは、何年生?」
「五年生。夏希さんは中学二年でしょう。おばあちゃんが、いってた」
「長いこと学校行ってないから、何年生か忘れてたな」
雲が、あかね色にゆっくりと染まりだした。日の出だ。ふりかえると、山のむこうの東の空が明るい。犬が、堤防の方でほえている。
「うるさいぞ、今いくから待ってろ。犬と散歩にきてたんだよ。ウミガメがいたらいけないから、堤防の柵にくくりつけといたんだ」
すっと夏希さんは、立ちあがった。
「明日は、ふ化場で産まれた子ガメを放流してあげる放流会なんだ。くるみもこの浜辺においで、わたしも行くから」
「えっ、ふ化場って?」
「海岸沿いに小さな公園が見えるだろう、そこに子ガメの人工ふ化場があるんだ」
夏希さんは、道路の向こう側を指さした。
「今から行ってみようか?」
「うん、行きたい」
夏希さんのあとにくっついて、海沿いの道路をわたった。赤い花がさいてる小さな公園には、飼育小屋のようにまわりを金網でかこんだ、きれいな砂場があった。小さなふだが、いくつも砂場に立ててある。
「波をかぶったり、砂が流れ出るような場所に卵を産むと、子ガメは産まれにくいから、ここに卵を移してあげてる。涼の父さんが、保護監視員だからよくやってるんだ。涼や、わたしも手伝ったりするよ。明日の放流会のは、近くの小学校のふ化場で育った子ガメなんだ。みんな子ガメが好きさ」
夏希さんは、やさしい目でほほえんだ。
「わたしも、この浜にきてから大好きになったよ」
夏希さんと別れて、宿の近くまでくると、朝食のおいしそうなにおいがしてきた。
「おねえちゃんだけ、ずるい。絵里も行きたかったのに」
「仕方ないでしょ、起こしてあげたのに寝てるんだもん。三回も起こしたんだからね」
わたしはそう言いながら、朝食の目玉焼きにケチャップをかけると、妹もかけだした。
「ずっと目玉焼きには、お醤油をかけてたのにね、くるみちゃんたちと住むようになってから、きゅうにかわったのよ」
母さんが、冷たいお茶を、にこにこしながらみんなのコップについでくれた。
「ケチャップのほうが、おいしいかい」
お味噌汁をすすって、父さんがたずねた。
妹の口のまわりには、赤いケチャップがたくさんついている。わたしは、くすくすわらった。父さんの目もわらってる。
今日は、さっきから涼くんが食堂の手伝いをしていた。
「父さんも浜辺の見回りで忙しいし、たまには手伝わないとね、母さんの雷が、ドカーンとおちるんだよなあ」
慣れた手つきで、どんどん食器を片づけていってる。少したってから、涼くんのおじさんが船をだしてくれた。トビウオと競走しながら白い波しぶきをあげて、無人島をめざす。
「こうやって見るときれいな海やけど、少しずつ悪いほうにかわっていっとる。それを教えてくれるのが、ウミガメや魚たちや。えらそうにしてる人間様はにぶいから、なかなか気づかんなあっていうとるわ」
おじさんは、舵をとりながらいとおしそうに海をみつめた。
宿に帰ってきて、みやげ物屋にラムネを買いにいこうとしたら、救急車が赤いランプを光らせて止まっていた。担架をもった白衣の男の人たちが、店の中にかけこんでいく。涼くんの後ろ姿もみえた。わたしは、おどろいてかけだした。
「だいじょうぶか、しっかりしろ!」
涼くんが、担架で運ばれてきた人に、大きな声でいった。
「夏希さん!」
わたしは、ごくりとつばをのみこんだ。目をとじたまま、細い腕が死んだみたいに、だらりとなげだされていた。
わたしがかけよると、夏希さんの口が、苦しそうにゆがんだ。救急車に運びこまれ、後からおばあちゃんがのりこんだ。
「涼や、店番をたのんだよ。和男は漁にでとるから、明日にならんと帰ってこん」
「こっちのほうは心配せんでいい、夏希の父さんにはちゃんと伝えとく」
トビラがバタンとしめられた。救急車はサイレンをならして、遠ざかっていった。
「夏希ちゃん、再発せんといいけどねえ」
「ばあさんもたいへんだ。涼、しっかり店番しろよ」
救急車のまわりにいた、近所の人らしいおばさんとおじさんが、話しながら立ち去っていった。
「再発ってなに。夏希さん、病気なの?」
わたしは、おそるおそるたずねた。
「骨髄っていうところが悪くて、いい血液がつくれない難しい病気なんだ。中学に入学したころ教室で倒れて、あのときも救急車で運ばれた。でも夏希は、苦しい治療にもたえて元気になった。だからもう病気には、ならない、ならないよ」
涼くんは、自分にもいいきかせるようにいった。わたしは、こっくりうなずいた。
「夏希さんは、強いもん」
潮風で、風鈴が小さく鳴った。あたりは夕闇につつまれ、水平線はもう見えなかった。
次の日。ウミガメの砂浜には、たくさんの人が集まって、係の人も準備をしている。
「早く、早く、始まっちゃう」
妹はかけだした。わたしも、あわてて追いかけていく。妹は、朝から子ガメのことばっかりいってた。列にならぶと、妹は子ガメをてのひらにのせてもらった。
係のお兄さんの合図で、砂浜に集まったみんなが、いっせいに放流した。百ぴきぐらいが、小さな前足と後ろ足をぱたぱたさせて、光る海をめざす。
「がんばれ!」
あっちからも、こっちからも声援がとぶ。
とちゅうで立ち止まって、動かなくなった子ガメもいたけど、やがて全員が、自分の力で海にかえっていった。
「ふたりが大人になったころ、あの子ガメも産卵のために、この浜にもどってこれるといいね。鳥や大きな魚に食べられて、大人になれるのは、五千匹のうちの一匹ぐらいらしい」
父さんは、目を細めて海を見た。母さんも、じっと海をみつめてる。
「・・・また会えるよね。お父さんとお母さんとおねえちゃんで、お帰りっていってあげようね」
わたしを見上げて、妹はいった。
「うん。いっしょにお帰りって、いってあげよう」
わたしは、小さな絵里の手をきゅっとにぎった。夏の空はどこまでも輝いて、水平線の上には、入道雲がうかんでいた。
やがて長い夏休みも、おわった。秋が少しずつやってきて、あったかいミルクをいれてもらった土曜日の午後。夏希さんから手紙がとどいた。
「くるみへ
死なずに元気にやってる。今度は、もうだめかなって思ったけど、死にたくないし、強い浜の子だからがんばった。長いこと休んでた中学校も、涼がさそいにくるから行ってる。海を見てると、いやなことも忘れる。来年もおいで、待ってるから
夏希」
民宿に泊まる最後の日に、わたしは入院している夏希さんに手紙を書いて、涼くんに渡していた。手紙に重なるように、四角にたたまれた紙が封筒に入っていた。
「あっ、金色の折り紙。覚えてくれてたんだ」
ひろげると、それはまっさらな海の光みたいに、わたしの手の中で輝いていた。
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