海の子ども文学賞部門佳作受賞作品
ちいさなうみ
中崎 千枝(なかざき・ちえ)
本名=同じ。一九六三年、福島県生まれ。郡山女子短期大学文化学科卒業。主婦。東京都世田谷区在住。
夏休みの午後、公園で兄ちゃんと自転車にのって遊んでいたら、兄ちゃんの友だちが話しかけてきた。
「サッカーのメンバーたりないんだけど、いっしょにやらない?」
兄ちゃんは、よろこんで答えた。
「うん。・・・あっ、でも弟のナミもはいっていいかな?」
「一年生だろ、あぶないからだめだな」
そういうかんたんな話しあいのけっか、
「じゃあ、ナミはうちに帰ってな」
ということになった。
チェッ、と思って、ぼくは、公園のすみをふらふら自転車ではしっていた。そしたら、しげみの下に青いものが見えたんだ。・・・それが、ちいさなうみだった。
たて二十センチ、よこ二十センチくらいのもので、色は、真夏の空をハサミでジョキジョキ切ったような青。そしくまわりには白いレースがふちどりされていたから、
「なんだハンカチか」
と思って、そうつぶやいた。
そしたらそれは、
「ぼ、ぼ、ぼく、ハンカチじゃないです。ちいさなうみです」
っていうんだよ。白いレースをふわふわゆらして。
「うみ?どう見たってハンカチじゃん。白いレースまでついてて。一年生だとおもって、ぼくのことバカにしてんの?」
ぼくがいうと、そいつは、
「レースのように見えるのは、波なんです」とこたえた。
「ほんとか? じゃあさわってみるぞ」
ぼくは自転車からおりて、しゃがんで、まずはそれをじっくり見た。そしたら、青いところはゆらゆらゆれはじめ、白いレースに見えたところは、波しぶきのようによせたりかえしたりしている。手をのばしてさわってみると、ひんやりした。水だった。しかも、指をいれるとどんどん青のなかに入っていく。さいごには、手くびまでぜんぶ入ってしまった。手をゆらすと、チャプチャプ波だってくる。
ほんとにほんとに、うみだった。
「ウヘッ!」
おもわずそういったら、そいつは、
「ウヘッてなんですか、ウヘッて」
と、きいてくる。
「ウワッとヘエが、まざっちゃったんだよ。なんだよ、いちいちつっこむなよ」
ぼくはうみから手をぬいて、ブラブラふって水気をきった。
するとうみくんは、もうしわけなさそうにいった。
「すいません。ぼく、人間とあまり話したことなくて」
「まあ、いいよ。でも、どうして、うみなのに公園なんかにいるの?」
ぼくがそう聞いたら、ワンワンワンと近くで犬がほえた。
「あら、ごめんなさい。こらシバちゃん、ほえないのよ」
赤いリードをひきよせて、おばさんが、散歩中の柴犬をひっぱっていった。
すると、うみくんはまた、ハンカチみたいにかたまっていた。
さっきまで波だっていたのに、アイロンをかけたみたいに、キーンとかたくなっている。それに、うすっぺらで、ヒラヒラで、どうみてもハンカチだった。
「どうなってんだ。ぼく、熱でもあるのかな」
そうつぶやいたら、きゅうにのどがかわいてきたので、ぼくはうみくんを丸めてポケットに入れて、うちに帰ることにした。
うちに帰ると、さっそく、台所で麦茶を二はいのんだ。すると、やっとおちついてきたので、ポケットからうみくんを出して、テーブルの上にひろげてみた。
お母さんもでかけていて、だれもいない。柱時計の音だけが、カタカタなっている。
しばらくすると、うみくんもほっとしたんだろうか。また青いところが波だちはじめ、白いレースは波しぶきになっていった。
そして、うみくんはいった。
「こ、こ、ここ、どこ?」
「ぼくんちだよ、今は、ぼくしかいないけどね」
「い、い、いぬは?」
「いないよ」
するとうみくんは、ほんとにほっとしたようすで、からだをゆるめ、ゆらゆらさせた。
「もしかして、きみ、犬がきらいなの?」
ぼくがきくと、うみくんは話はじめた。
「うん、ぼく、いろいろこわいものが多いんだ。犬にほえられただけでも、たちまちキンチョーして、からだがかたくなっちゃうんだ。それで、さっきも海岸で犬がほえたから、ぼくかたくなってたら、その犬、ぼくをくわえて走ったんだよ」
「ワンワン、ワンワン」
ぼくが犬のまねをしたら、うみくんはまたかたまっちゃった。
「ククク・・・ごめんごめん。だいじょうぶだよ、ぼくだよ、ナミだよ」
そういうと、うみくんはからだをほぐしてしゃべった。
「もう、おどかさないでよ」
「へへへ」
「えっと、それでね、ぼく、その犬にくわえられたまま、犬の飼い主の車にのせられて・・・気づいたらこの町にいたってわけなんだ。で、犬は家につくとよろこんで、ワンワンいったから、その時ぼくはやっと犬の口から出られたんだけど、すぐ風にとばされちゃって・・・」
「それで、公園まできちゃったんだね」
「うん。でも、きっと海岸では、家族や親せきがぼくをさがしてると思うんだ」
「へえ、海って、そういうのいっぱいあつまってできてんの?」
「そうだよ、おじいちゃんくらいになると、すごく大きくなって沖のほうにいるけどね」
「へえ、そうなんだ」
「うん。それに、ぼくみたいに気が小さくてすぐにかたまっちゃううみなんて、そういないからね・・・ウウウ・・・母さん」
うみくんの声は、だんだん泣いてるみたいになってきた。
それでぼくは、つい、いっちゃった。
「じゃあぼくが、きみを海までもどしてあげるよ」
海へは、ときどき家族で行く。バスにのって三十分ぐらいだ。
ぼくは自分の部屋へいって、つくえにしまっておいたお年玉ぶくろから、お金をだしてポケットに入れた。
でも・・・ひとりで海までいけるかな。それに、うみくんをどうやってつれていこう。
考えていたら、台所からお母さんの大きな声がした。
「こらっ、テーブルの上に水こぼしたの、だれなの?ちゃんとふきなさい」
お母さんが買い物から帰ってきて、テーブルの上のうみくんを見たらしい。
ぼくは、いそいで台所にもどっていった。みるとうみくんは、お母さんの大きな声をきき、キンチョーしてまたハンカチになっていた。
お母さんはそれに気づかず、買ってきた野菜を冷蔵庫につめている。
「ごめんなさーい。ふいときまーす」
ぼくは、テーブルをふいたふりをして、うみくんをポケットに入れ、
「また遊んでくるねー」
と、いそいで外にでていった。
外は、もえるようなあつさだった。
でも、うみくんはハンカチになってるから、今がチャンスなんだと思った。
とりあえず駅まで歩いていって、そこから海岸行きのバスにのることにした。
バス停には、なん人も人がならんでいた。ぼくも列の一番後ろにならんで、ポケットのうみくんにきいてみた。
「ねえ、ちひろ海岸でいいの?」
と、小声で。
すると、ぼくの前にならんでいた太ったおじさんが、
「わしゃ、そのひとつ手前」
なんてこたえた。
「ああ・・・はい、すいません」
おじさんに話かけたんじゃないのになあ。とおもっていると、うみくんは、うんとうなずくみたいに、ポケットの中でうごいた。
そうしているうちに、「ちひろ海岸行き」とかかれたバスがきた。
のると、冷房がきいてて気持ちいい。ぼくは、一番うしろの長いいすにすわった。となりにあの太ったおじさんもすわった。
バスにゆられて、しばらくはしる。
ぼくは、ひとりでバスにのるのははじめてだったから、キンチョーして、あたりをきょろきょろ見たりしてた。
ポケットのなかでは、うみくんも、あいかわらずキンチョーしてるようだ。よし、かたくなってる。安心、安心。・・・とおもいきや、しばらくすると、小さくうみくんの声がきこえてきた。
「こんなふうに、波みたいにゆられると、気持ちいいね」
バスにゆられて気持ちよくなり、キンチョーがほぐれたらしい。
となりのおじさんにもその声はきこえたらしく、おじさんは、そうだね、とぼくにいった。
ちがうってば、ぼくの声じゃないよ、とおもったけどだまっていると、おじさんは視線をおろしていって、ぼくのズボンを見た。
「ところで・・・きみ、おもらしした?」
見ると、ズボンのポケットがぬれていた。水色のズボンだったから、まるく青いシミができている。ちょっとつめたい。となりのおじさんにも、かんじたのかもしれない。
「ハハハハ・・・」
ぼくは、まずわらった。それから、とっさにこんなことをいってた。
「これ、オーストラリアの地図だよ。お父さんが買ってきてくれたんだ。でも、おしっこもらしたみたいに見える?まったく、へんなもようだよね」
ぼくはそういって、ポケットをたたいた。
するとうみくんはハッとして、またかたまった。
となりのおじさんは、
「ハハハ・・・そりゃ失礼。なるほど。オーストラリアの地図ね」
と、なんとかわかってくれたようだった。
そして、ちひろ海岸のひとつ手前でおりていった。
「やれやれ」
おじさんがおりていくようすを見て、ぼくはほっとした。
それから、ぼくも、次のちひろ海岸でおりた。
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