日本財団 図書館


 英男は父親にチャムスのことを訊こうと思ったのだが、夕餉の時間になっても帰ってこない。祝い事があって、招ばれた(よばれた)という。また酔って帰ってくるのかと思うと、気が滅入った。大酒のみで、しかも酒乱の気味があるのだが、村人には尊敬されている。なんでも先任の巡査がひどく評判の悪い人で、その反動らしかった。
 英男はしかたなく、母親に訊ねてみた。
 「チャムスの人らに会うた(おうた)んかな?」
 とがめるような調子で、逆に質問された。あわてて否定すると、
 「悪い人らではないけどな・・・」
 親しくしてはいけない、といいたいらしい。
 質問なんかするのではなかったと後悔しながら、飯碗をさしだした。黙々と飯をかきこみながら、段々畑での光景を反芻する。顔をはっきりと憶い出せない。年齢も、中学生以上成人以下、と推量されるばかりだ。隣家の中学二年生の千代子とほぼ同年齢に見える、というのが根拠だった。千代子は評判の縹緻(きりょう)よしだが、あの少女には及ばない。
 「おい、いま戻んた(もんた)ぞ!」
 玄関に大声がした。
 父親は真っ赤な顔をし、千鳥足である。両手で一升瓶を抱いている。頸から下げているのは、小西六のセミパールという、蛇腹式のカメラだ。
 「きょうはな、浜田さんの新造船のお披露目でな、浜勝丸というんやが、双海下灘の若松造船で造った立派な船じゃ。乗せてもろうたが、風のように走る。その英姿をな、わしが撮ったがよ」
 「命の次みたいに大事にしとるカメラを持ち出して、失さし(うさし)でもしたらどうするんぞな」
 「失さすわけがない。・・・うぐっ」
 口を押さえて便所へ走る。月に二、三度ある憂鬱な時間の始まりだった。
 翌日の放課後、英男は社会科の堀内先生に声をかけた。チャムスと岬の関係について質問したのである。英男は日頃から堀内先生を尊敬していた。黒板の字が上手い。博覧強記、どんな質問にも的確に答えてくれる。田中君、と君付けでよんでくれる。
 授業中、脱線が多く、朝鮮、中支、満州での戦争体験なども、英男は聞くのを楽しみにしていた。嘘のような話だが、朝鮮の家には便所がなく、庭に大きな穴が掘ってあり、豚を飼っている。穴の上に渡した二枚の板にまたがって用を足すと、落ちてきた糞を豚が食うのだという。
 先月、ときならぬデラ台風の来襲があり、宇和島沖の日振島の網子が遭難し、塩成の浜に数え切れないほどの死体が漂着した。英男の父も多忙をきわめ、何日も家に帰らなかった。堀内は神妙な顔で台風被害の話をはじめたが、富田信濃守という大名が塩成と三机の間の山を切り崩して運河を築こうとしたとか、三机湾は地形が真珠湾に似ているので、海軍が特殊潜航艇の秘密訓練をしていた、などと例によって大脱線だった。
 「潜嫂(チャムス)か・・・」
 堀内は少し考え込んでいたが、すぐに滔々と答えた。日本へのチャムスの出稼ぎは明治の頃からで、千葉県以南の太平洋沿岸にやってくるようになった。寒さに強く、体力・気力ともにすぐれ、日本人海女より効率がよい。
 「それにあの連中は何より労賃が安い」
 煙草に火をつけながら、堀内はいった。この佐田岬半島沿岸には、昭和十年から毎年やってくるようになった。磯買い商人の金(キム)親方が二十人ばかりの済州島海女を引き連れ、六月から十月の漁期、串に家を借りて集団生活するのである。
 また、岬の漁師も明治時代から朝鮮半島南岸に出漁していたという。島々の地先に漁業権を買って、丸一組に率いられた櫓漕ぎの船団が春に出航し、秋まで操業した。延縄や建網も入れたが、二十尋も三十尋も潜れる海士はとりわけ活躍し、最盛期には二百人もの海士が出かけたらしい。
 「戦争がはじまると朝鮮への出漁は終わったが」堀内は煙を吐きながら続ける、「済州島の海女は戦時中も岬でアラメを採っていた。アラメはヨードチンキ、いわゆるヨーチンの原料になるし、カリを多量に含んでいるので火薬の原料にもなる。それで、軍に徴用されてアラメ採りをしていた」
 復員してから地元の人に聞かされたのだと、堀内は紫煙を見るともなくいった。岬には砲台や弾薬庫、軍用桟橋の跡があるが、箝口令が敷かれていたから、地元の人間でも知らないことが多くあるのだという。荒布(あらめ)はときどき味噌汁の具として食べることがあるが、あの死ぬほど傷口にしみるヨーチンや火薬になるとな初耳だった。
 「朝鮮人は日本語を話せるのですか?」
 「朝鮮は三十六年間にわたって日本が支配していた。だから、日本語教育を受けた者はりっぱに読み書きができるはずだが・・・」
 その後、いっこうにチャムスたちを見かけなかった。で、進吉にそれとなくチャムスのことを訊ねてみた。
 「チャムスは、まあここらでいう、ひょうたん海士(あまし)やな」
 得意気に進吉は答える。浮樽をひょうたんとよぶことから、岬では樽海士のことをひょうたん海士ともいうのである。
 「あんまり沖には出ず、浅いところでテングサを採るがよ。わしらも、下級生にはテングサ採りをやらすけん、磯場がいっしょになることもある」
 ひょっとして進吉はあの少女と一緒だったことがあるのではないか? 英男は胸をどきどきさせながらも、ケンカになることはないのかと、少女への興味を悟られないように質問した。
 「ならん。お互い邪魔せんように潜むけに」
 「チャムスには若いのもおるがか?」
 「おらんおらん。みんな、わしらの母ちゃん(かあちゃん)くらいの齢(とし)で、顔も手も足も真っ黒のおばやんばっかりじゃ」
 「母ちゃんくらいの年頃ばっかりなんか?」
 英男は重ねて質問した。
 「ああ、今年は若い子が一人おる。この娘(こ)はよう潜むがよ、人魚みたいに。おっ母(おっかあ)と組んでアワビやサザエを専門に採りよらい」
 少女がなぜ一人だけ段々畑をおりてきたのか、これでわかった。仲間の誰かが海底深く水中眼鏡を落とすか、あるいはガラスを割るかした。で、いちばん年少の少女が、替わりの眼鏡を海女小屋に取りに行かされた・・・。英男はひそかに進吉に感謝した。なによりも、進吉があの少女に特別の興味をいだいていないことが、英男を上機嫌にした。
 夏休み前のある日、英男は耳よりの情報を得た。下組の区長がチャムスのことを報告にやってきたのだ。事務所の隣の部屋で、英男は二人の会話を聴いた。盗み聞きというより、家が狭いのでつつぬけなのである。
 チャムスたちは、童女碆のテングサを採り尽くしたあと、松に移動していたという。松は串から二里以上離れているから、見かけないのも道理である。松から与侈(よぼこり)、与侈から半田へと漁場を移動し、串にまた戻り、いまは黄金碆で潜んでいるという。区長はどうやら父親からチャムスの動勢を伝えるよう指示されているらしかった。
 「今年やって来たチャムスは十八人。万一のことがあってはいけんからな、名前も生年月日もこの綴りに控えとる」
 英男はなんとなく父親に敵意を覚えた。
 「連中は戦前から来とります(きとります)が、岬で問題を起こしたことはないがです」
 「区長、本官が懸念しとるのは風紀のことや。国民の一人として新憲法は尊重するが、こんな田舎にもアメリカ式の自由の気風が蔓延せんとも限らん。今年は若い娘も来とることやしのう」
 「若衆(わかいし)らにはよう言い聞かせときます。ところで先生、下山総裁は自殺やのうて殺されたそうやが、なんと物騒なことですな」
 夏休みの最初の一日、英男は一人で黄金碆にでかけた。幸太は蚕の給桑作業が朝、昼、晩と三回に増え、その合間にも畑の手入れや粗朶集めがある。進吉たちも海の仕事が本格化する。遊び仲間がいなくなるのが英男の夏休みだった。
 岩に含まれる硫化銅が黄金色に輝くことから、そう名づけられた黄金碆は、岬突端の灯台の下、海底露岩のある一帯である。沖合は速吸瀬戸(はやすいのせと)で、潮の流れが速く、碆のあたりは複雑に潮流がぶつかり合っている。そのため、大型海藻が群生し、海藻が多いから小魚が棲みつき、小魚は鰤(ぶり)などの大型魚を呼び込む。岬のなかでも最大の漁場であった。
 松や柏、椎の樹林の中、兎道を降りる途中、下の磯場にチャムスたちが見えたので、英男はしばし歩みを止めた。磯周りの海の色は、荒布の海中林によってほとんど黒褐色に近い。そこに浮樽が揺れ、海女たちがいる。人数が少なく、数えてみると六人。ということは三組に分かれているのであろう。
 行く手が密林になって、しばらく磯が見えなくなった。樹林をぬけると潮騒が高まり、潮の香が強くなる。
 少女は、一人で焚火にあたりながら、海を眺めていた。磯馴(そなれ)松の脇をぬけて、英男は背後から近づいた。声をかけることができたのは、父の黒表紙の綴りを盗み見し、相手の名前と年齢を知っていたことで、何か自分が優位に立っていたように感じられていたからだ。少女はふりむくと、驚いて立ちあがった。見開いた目が吸い込まれるように大きい。
 日本語が話せるかどうかを訊くと、
 「少し、話すことてきます。あなたと会うのは二度目てすね」
 いくぶん親しみをこめて答え、英男の名を訊ねる。名乗ると、
 「タナカ、イテオ?」
 英男はあたりを見まわして、棒っきれを見つけると、砂地に名前を書いた。少女はその四文字をしばらく眺めていたが、英男の手から棒を受け取ると、隣に文字を書いた。
 「わたしの名前てす。イヨンヒ、といいます」
 英男がけげんな顔をすると、
 「これは朝鮮の文字。漢字てはこう書きます」
 楷書で書かれた名前は美しく、華やかに思われた。
 「同じ英(ヨン)の字あります。なかよくしましょう。あなた、年齢(とし)はいくちゅてすか?」
 「十二歳」
 「小学生てすね。わたしは十五歳てす」
 英男は砂の上の自分の名前を指さし、どう読むのか訊いた。
 「チョンヂュンヨンナン、と読みます」
 英男は何度も訊き返し、口の裡で復唱したが、雀の囀りを連想して思わず笑いがもれた。相手もつられて笑った。そこへ、中年のチャムスが海水を滴らせながらやってきた。
 「わたし、この子の母親、梁京生(ヤンギョンセン)といいます」
 お辞儀され、英男もつられるように頭をさげた。
 進吉のいうとおり、英姫(ヨンヒ)と京生(ギョンセン)は浮樽を両手で押し出すようにして沖に泳ぎ出ると、深みに潜って鮑や栄螺を採る海女だった。
 英男は岸辺から見ていたが、潮が干いて(ひいて)飛び石状に岩礁が浮かんできたので、岩づたいに沖へ歩み出た。凪の日が続いているので、潮が底のほうまで澄んでいる。英姫は立ち泳ぎしながら、海水に顔をつけ、獲物を見つけると、両足を胸に引きつけ、頭から海中に突っ込む。足で宙を蹴り、両手で水をかき、すばらしい勢いで深みへと潜る。人魚みたいだ、と英男は思った。
 英姫は優に一分以上潜ることができた。浮上すると、胸の奥からひゅーと磯笛を鳴らす。網籠に獲物を入れ、樽につかまって肩から息を入れる。呼吸が整うと、眼鏡を額に上げ、英男に笑いかけた。笑うと、英姫の目がなくなるのを、英男は一つの発見のように思った。
 最初に海からあがったのは英姫である。夏とはいえ、深いところは水温も低い。唇を紫色にし、がたがた震えている。焚火の前に行くと、暖を採るのではなく、鍋を火にかけたり、畚(もっこ)の中から弁当箱を取り出すなど、食事の準備を始めた。海女たちが一人また一人と焚火のところへ集まってくる。
 京生に、家に帰らなくてよいのかと訊かれた。帰らなくてよいと答えると、昼餉を勧められた。アルマイトの大鍋で湯気をたてているのは、このあたりで煮まぜとよぶものである。潮溜まりにいる貝類のごった煮で、海藻や菜っ葉も入れ、味噌で味を調える。英姫の入れる味噌は赤い色をしていた。そして、味噌の入れ加減一つに、年長のチャムスたちはあれこれ指図するのだった。
 はたして、汁は飛び上がるほど辛かった。英男がおおげさに口を歪めるのを、チャムスたちは指さして笑った。我慢しながら食べていると、全身に汗が噴いてくる。辛い汁のせいか、英姫の唇が血の気を取り戻したので、英男はほっとした。
 夏の陽がようやく西に傾く頃、浜は天草で赤い絨毯を敷いたようになった。海女たちは収穫を取り込み、松の下枝(しずえ)に掛けていた上着を着込むと、ようやく帰途についた。寄せては返す波の、ひとりごとのような潮騒のなかに、女たちが騒々しく語り交わす声がまじる。初めは耳ざわりだった異国の言葉も、耳馴れると、なにかもの悲しい響きにも聞こえるのだった。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION