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笹川フェローが第一歩
2期生 高野 綾
 皆さんこんにちは。2期参加の高野綾です。現在は助産師として助産院で働いています。
 私が国際保健協力フィールドワークフェローシップ(以下、笹川フェロー)に参加したのは、約10年前。「高野さん、フィリピンに行ってみない?」と大学の先生から声をかけていただいたのが、笹川フェローとの出逢いでした。
 「行きたいです」と返事をした後にこのプログラムの詳細を知り、加えてコ・メディカルの学生の参加は、今回(2期)の私が初めてと聞き、当惑していた私に、大谷藤郎先生は「他の参加者は皆、医学生だけれど、あなたのペースで見ていらっしゃい」とおっしゃって下さいました。私が大学1年生の時のことです。
 国内外の研修は文字通り、あっという間で、私は国内研修の初めから、その雰囲気に圧倒されてしまいました。そして、フィリピンでの視察や講義は内容が濃く、目にする一つ一つの現実はあまりにも強烈で、ただただその事実や現状を受け入れることで精一杯でした。きっとその時の私は、焦りの混ざった、切羽詰った顔をしていたに違いありません。帰国後、私にできたことは、自分が見聞きしてきたことを、報告会の席で学生や一般の方々に、お伝えすることだけでした。
 しかし、笹川フェローでの経験や学びは、10年の時を経て徐々に形となり、私の助けになってくれているように感じています。「私、フィリピンに行ったことがあるんですよ」という一言がきっかけで、心の距離がぐっと近くなり、フィリピン人の産婦さんが出産後も時折、病院へ顔を見せに来てくださったこともありました。また、「1つの問題に対して、どこに焦点をあてていくのか?個から全体を見るのか、全体から個をみるのか?」「見方によってアプローチの方法も異なり、期待する結果を得るために、どのような方法が最も効果的であるかを考えること」という尾身先生から教えて頂いた、多角的な物事の見方や問題解決方法は、大学病院や僻地勤務において、様々な問題に直面した際、解決の糸口となったのは、一度や二度のことではありません。
 笹川フェローヘの参加以来、そこで得られた経験や学びを、どう活かしていけばよいのだろうかと、頭のどこかで自問自答を繰り返してきました。笹川フェローで得た宝物、今の私が言えるのは「聡明で向上心が強く、それでいてユーモアたっぷりの2期の仲間」と「多角的で広い視野と高いアンテナを持つことが、いかに大切で楽しさに満ちているかという気づき」。数年後には、「あの笹川フェローが源だったのだ」と、また新たな自己発見があるかもしれません。そうなったら素敵だなぁと思うこの頃です。
 最後になりましたが、この文章を書くにあたり、推薦して下さった八谷寛先生、細かな御配慮いただきました、大渕雪栄様に感謝申し上げます。ありがとうございました。
 
歳月不待人 ―笹川フェロー参加後の10年を振り返って―
2期生 永井 周子
 2004年、世界では11,000,000人の5歳未満の子供が予防可能な疾患(肺炎、下痢、マラリア、麻疹・・・)で死亡した。うち、4,000,000人の赤ちゃんは生後1ヶ月未満での死亡だという。1)
 生まれる国、生まれる時代、生まれる親を子供は選ぶことができない。医療技術に限界があるのは明らかだとしても、では、社会的・文化的・経済的な違いはどのようにとらえるべきなのだろうか。そして、現在の、世界の富の不公正な分配は何なのか。保健医療指標の信じられないほどの格差は到底受け入れがたいものではないか。医療者としてこれらの現実にどのように対処すべきであるのか・・・
 これらの点を明らかにする学問こそが、「公衆衛生学Public Health」であり、国という枠にとらわれずに幅広く世界各地を対象とするのが「国際保健学International Health」であると、私は考えている。
 
 国際保健協力フィールドワークフェローシップ(以下、笹川フェロー)は、このような現実の世界と私自身との間の実際的な橋渡しをしてくれた最初の出来事と言っても過言ではない。大学4年から5年にかけての春休みの2週間は、その後の私の生きる方向性に大きな影響を与えた、と、今でも思う。そこで出会った仲間たちとの濃厚な体験は、エネルギーの塊のような貴重な時間であった。
 
 笹川フェローとの2回目の出会いは、その4年後。小児科研修医としての慌しい日常から笹川フェローの先輩としての引率役という展開は、かつての自身の感性を取り戻すための時間でもあったと思う。常識や先例からではなく、自分の五感で得たものを信頼のおける手段で追及するという姿勢の大切さを改めて感じた日々であった。
 
 この時のメンバーも、振り返ってみるとなかなか個性豊かな集団であった。その後5年あまりが経過した。この場を借りて笹川フェロー6回のメンバー数人の近況を簡単に紹介してみたいと思う。
 
○笹川フェローに参加して視野の広い他の方々と接する機会を持ち、臨床もよいけれど、やはり自分は公衆衛生に携わりたいということを強く認識し、卒業後厚生労働省の医系技官になりました。(渡 三佳)
○卒業後、大阪で小児科を4年した後、東京の国立成育医療センターこころの診療部で働いています。イギリスに児童精神の勉強をしに行きたいと思っているので(まだ数年先だと思います)ただいま英語を勉強中です。(清水 誠)
○熊本赤十字病院で2年間の臨床研修終了後、国際救援部に移って後期研修をしていく事になりました。まずは、整形外科を数年間することになりそうです。研修でバングラデシュにコレラと赤痢の勉強に10日ほど行きました。(岡村 直樹)
○現在皮膚科の大学院2年目。青森県立中央病院でハンセン病患者さんを診察する機会があり笹川フェローでの経験が役に立ちました。今はまず、私の育った青森県の人々が日本の標準的な医療を受けることができるよう、少しでも役に立ちたいです。(皆川 智子)
○卒業後は国際協力のフィールドで働くことを目指して、救命救急を2年、小児科を2年研修しました。来年は英語の勉強を兼ね公衆衛生と熱帯医学を学ぶため短期留学し、その後は医療系NGOから派遣されフィールドに出て働く予定です。(目原 久美)
○2年間の麻酔科での研修を終え、山形大学公衆衛生学講座の助手をしています。現在は途上国のHIV対策に関する研究にかかわっており、しばらくはその勉強とリサーチになりそうです。息子ももうだいぶ大きくなりました。(土屋 菜歩)
 
 普段笹川フェロー全体のメーリングリストや同窓会などに登場する機会のあまり多くない6回のメンバーではあるが、一人ひとりが笹川フェローでの経験を糧に、その後の人生を築いている様子がうかがえるかと思う。今後とも笹川フェロー同窓生として、折に触れゆるやかな交流を続けたいものである。
 
 さて、ひるがえって私自身。京都に来てはや4年が過ぎた。この間、何度か仕事として海外に赴くこともあったが、基本は研究者の卵である。
 近年世界的に急速に普及したEBM(Evidence Based Medicine: 根拠に基づく医療)という概念は、これまで経験や実績が重視され絶対的な「根拠」とされてきた医療分野において、臨床試験等の再現性・妥当性の高い科学的手法で検証したものこそが「根拠」であり、判断の基準として重視されるべきであるという、一種のパラダイムシフトを生じた。
 この、evidence based(根拠に基づく)という概念を、実践的な形で国際保健の現場でも、というのがここ数年の私の課題である。目下のところ、マダガスカルの新生児を対象に疫学的手法を用いた調査に取り組んでいる。現地で一緒に働いた仲間の言葉を思い返しながら、「なぜこんなにも子供が死んでしまうのか」という問を解くための鍵を探したいと模索している。・・・といえば聞こえはよいが、実際には、バイアスや欠測、といったものに頭を悩ませている毎日である。
 
 最近注目を集めているMDG(Millennium Development Goals: ミレニアム開発目標)には、「2015年までに5歳未満児の死亡率を3分の2減少させる」という項目がある。2)この数値目標に振り回されはじめている様々な報告を見聞きするにつれ、資源(人材・資金、等)の限られている途上国にこそ、質の高い「根拠」が必要だと、以前にも増して、強く感じている。
 今後、現場での実践と研究的視点を軸に、本当に意義のある「根拠」をつくる作業に加わることができればと思う。
 
引用:
1) World Health Report 2005-Make Every Mother and Child Count
2) The Millennium Development Goals Report 2005
 
笹川フェローが与えてくれたこと
2期生 難波江 功二
 国際保健協力フィールドワークフェローシップ(以下、笹川フェロー)が12期を越え、この度記念冊子の刊行に至られたことを、心からお慶び申し上げます。
 私が笹川フェローに参加したのは今からちょうど10年前、大学4年生の春休みに2期生として参加しました。今振り返るに、笹川フェローはその後の私の人生に2つの点で大きな影響を与えてくれたと考えています。
 1つは、同じような志と価値観を持つ多くの仲間に知り合い、自らが進む道に示唆と励みを与えてくれる終生の友を得ることができたことです。その後私は厚生労働省に入省することとなりましたが、当時引率下さった小野さんは厚生労働省の先輩であり、また笹川フェロー同期にはすでに入省していた先輩がいたため、入省に際して貴重なご助言を頂くことができましたし、また、その後も折に触れ的確なご指導を頂いております。また笹川フェローの同期や先輩後輩の中には、臨床、研究、国際機関など、それぞれのフィールドの第一線で活躍する仲間が大勢おり、日々私に刺激と誇りを与えて下さっています。
 もう1つは、WPROへ訪問し、尾身事務局長(当時は感染症対策部長)をはじめとするWHOの職員の皆さんから直接お話を伺う機会を得、自分の将来の夢についての具体的なイメージと、その実現のために具体的にすべきことを知ることができたことです。当時WPROで伺ったお話の中で、今でも自分の記憶に鮮明に残っていることに、尾身先生からのお話があります。笹川フェローではその後毎年恒例になっているようですが、その年も尾身先生はご自身が歩まれてきた道、成功・失敗談等、私たちの為に3時間もお話くださりました。その中でもとりわけ記憶に残り、その後私が実践したものとして、英語の勉強方法があります。尾身先生のお話は、ご自身は高校時代に米国に留学していたため、WHOに来ても英語では苦労しないであろうと考えていたが、現実はとてもそんな甘いものではなかった。ただ確信して言えることは、1日1時間の英語の勉強を10年間続ければ、WHOでも通用する英語力になる、という趣旨のものでありました。その話を聞き私は帰国後早速1日1時間の勉強を始め、MPH取得のために米国へ留学するまで7年間実践しました。現在は多忙にかまけて勉強を怠っておりますが、小生意気だった私が当時机に向かってこつこつ勉強を始めることができたのも、世界の第一線でご活躍されている尾身先生から自らの体験に基づいたお話を直接伺うことができたからこそだと考えております。
 現在私は厚生労働省大臣官房国際課に国際機関専門官として勤務し、毎月WHOでの会議のためにジュネーブ等に出張し、日本政府代表団の一員として我が国の立場を伝える業務に携わっております。笹川フェローに参加するまでは、10年後に自分がこのような仕事をすることなど、想像すらしておりませんでした。
 たった10日間でしたが、短期間にこれほど自分の人生に影響を与えてくれた経験は他に思い当たらず、主催いただいた笹川記念保健協力財団の皆様、生意気だった学生一同を暖かく見守り、ご指導いただいた引率の小野先生、バルア先生、多忙な中笹川フェローを受け入れていただいたWPRO、JICAの皆様、その他多くの関係者の皆様に深く感謝申し上げる次第であります。また、次代を担う後輩たちにも、ぜひこのような経験をしていただきたいと考えており、引き続き事業が継続されることを切に願っております。
 
笹川フェローによせて
2期生 當山 紀子
 私が笹川記念保健協力財団・国際保健協力フィールドワークフェローシップ(以下、笹川フェロー)の国内研修に参加させて頂いたのは、東京大学医学部健康科学・看護学科の3年生の終わりでした。
 国際保健協力で自分にできることは何かと悩みながら、NGOの活動に参加したり、国際保健協力で活躍されている先生方のお話を聞いたりと、道を模索していました。
 「このまま大学で勉強していても、現場で起きていることを知ることはできない」という思いに駆られ、春からの休学を決めたある日、この笹川フェロープログラムがあることを大学の先生から伺いました。医学生だけを募集していたのを知っていましたが、国内研修だけでも受けさせて頂きたいと事務局に電話をしたら、担当の方はとても快く受け入れてくれました。
 研修では、国立国際医療センターで活躍されている先生方のお話を伺いました。特に喜多先生が司会をされたディスカッションでは、「国際協力には何が必要なのか。」というテーマについて、話し合いました。そこで、皆の意見を聞きながら、「何が必要かを、机の上で考えるのではなく、現場で考えたい!」と強く思ったのを、今でもよく覚えています。
 残念ながら、フィリピンに行く機会はなかったものの、バルア先生をはじめ笹川フェローの友人たちとは、時々同窓会やメールを通じて連絡を取り合っています。海外の保健医療について話合える友達がいることは、その後の私の10年間になくてはならないものだったと感じています。
 
 
 その後、大学院で国際保健について勉強した後、インドネシアで2年間母子保健プロジェクトの専門家として働かせて頂き、現在は保健所の保健師として働いています。海外で働き、日本の保健行政と地域保健活動について、もっと知りたいと思ったこと、そして日本の保健師の活動が途上国で応用されると、とても役に立つと思ったからです。
 一般的に、日本では1つの職場で、長年働き続ける人が多いようですが、海外では自分のスキルを磨きつつ、職場を変えていくことも多いようです。数年で職場を変わることは、環境の変化に対するストレスもありますが、目的を持っていれば、多くのことを学ぶことができると思います。今は、夢やチャレンジしてみたいことがあれば、環境の変化を恐れることもないように思っています。
 「・・・(前略)。道は与えられるものではなく、自らが切り開くものである。どうか皆さん方自らの手で、努力を惜しまないで新しい我が国の進路を開いて行ってほしい。」という国際医療福祉大学総長の大谷藤郎先生のお言葉は、大変私を勇気付けてくれました。おそらく、今も昔も用意された進路などはないのではないでしょうか。遠い目標に向かって、少しずつ努力しているうちに、道が切り開かれているのかなと思います。
 1人の力は小さくて、世界には途方もなく問題があるように感じる毎日ですが、皆さんと共に、私も歩いていきたいと思っています。
 最後になりましたが、このような機会を与えてくださった笹川記念保健協力財団の皆様とご準備くださいました先生方に深く感謝し、今後もこのような機会が続きますことを心から願っています。ありがとうございました。


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