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Where there is a will, there is away.
関谷 悠以(順天堂大学医学部医学科5年)
 最近の私は日々の忙しさを言い訳にして、物事を深くつきつめて考えることが少なくなったように思う。フェローシップに参加するにあたって、私は自分の原点を見つめ直し、時間をかけてじっくりと自分の将来を考えようと思った。そして、実際に参加してみて、改めて“考える”ということの大切さに気づかされたように思う。
 
 ある途上国で、記者が現地の子どもに将来の夢を訊ねた。すると、彼女の答えは「大人になりたい」だった。この新聞記事を読んだのは小学生の時だったが、私は大きな衝撃を受けた。ただ年を重ねるのでさえ困難な子どもたちが世界にはまだたくさんいるということを知り、人の役に立つ、人を助ける仕事に就きたい、と子ども心に思ったのを覚えている。私がはじめて医師という職業に興味を持ったのは、こんな出来事からだった。
 
 しかし、今回のフェローシップで学んだこと、それは誰かのために働くのではなく、あくまでも自分のために好きなことを選ぶことである。国際保健協力に従事したいと考えるのは途上国の人のため、と思ってはならない。“好きこそものの上手なれ”という言葉にもあるように、好きなればこそ、飽きずに努力をし、ついにはその道を極めることができる。好きなことを選べば心から情熱を持って打ち込めるし、いざ失敗したとしても、いさぎよく自分で責任をとれるだろう。
 
 医学部に入学した時、自分は将来、病院で働く医師になるものだと漠然と考えていた。だが、深く心を突いたのは公衆衛生学の授業を聞いた時だった。はじめての授業で順天堂の教授は医学を栗まんじゅうに例えた。栗は核となる基礎医学、あんこは対処の仕方を学ぶ臨床医学、そして、皮は対象が「ひとびと」である社会医学であると。社会医学では「ひと」ではなく、「ひとびと」が対象であり、「木を見て森も見る」、つまり個と集団、両者へのアプローチが重要になってくることを学んだ。臨床医学は不健康問題を扱い、治療を目的とするが、公衆衛生学は「ひとびとの健康問題」に視点を置き、予防を目指す学問である。「大人になりたい」と言った彼女に必要なのは、高度な医療技術や精密な医療機器ではなく、avoidableあるいはunnecessaryな死を防ぎ、健康保持のための適切な生活水準を保証する社会である。状況を改善するには、社会の在り方をも考えるマクロ的な視点が欠かせない。
 
 高校生の時に外交官にも憧れていた私は、公衆衛生学の中でも国際保健の分野に携わりたいと自然に考えるようになった。しかし、国際保健協力という言葉の響きは良くても、きれいごとでは済まされない現実もあることを知った。援助といえば、援助供与国と被援助国の間に上下関係が成立するし、援助には必ず利権や国益に関する議論が付随するからだ。だからこそ忘れてはならないのは、私達が“縁の下の力持ち”に徹することであろう。あくまでも主役は途上国の人々であり、その国の主体性を損なわないことが重要だ。援助に依存することがないよう、相手国がオーナーシップを持つことは大切であり、しいてはそれが継続性につながる。
 
 今回のフェローシップでは、フィリピンの貧富の差を目の当たりにした。線路沿いのスラム街、150万人にも及ぶというストリートチルドレン、そして幼い女の子が目の前に手を差し出し、つぶらな瞳で訴えかけてくるその姿は見るに絶えなかった。一方で、フィリピンの医師の中にはお金を稼ぐため、自国で医師として働くよりもアメリカで看護師資格をとってまで働くことを選ぶ人もいるという。貧しい環境にある国内で必要とされるはずの医療従事者が、日本などの海外へ流出するフィリピンの現実はとても悲しい。
 
 私達はminorityである。国連加盟国191ヶ国のうち、先進国は22ヶ国しかない。世界の人々の10%しかHospital Careを受けられず、残りの90%はPrimary Health Careで医療サービスを受ける。このように大半の人が病院で治療を受けられない状況下で生活しているにも関わらず、資金の85%はHospital Careに使われ、たった15%しかPrimary Health Careにあてがわれない。実際にフィリピンを訪れて強く感じたのは、病院中心の医療ではなく、住民が主体的に地域の保健活動に参加するPrimary Health Careの重要性だった。
 
 日本に帰ってきて、フェローシップを振り返るにあたり、自分の応募した動機を読み直した。私は参加を通じ、国際保健協力活動の知識を増やし、視野を広げ、憧れに終わらない明確なビジョンが持てるようになりたいこと、そして、異なるバックグラウンドを持った学外の友人を増やし、お互いに意見を交換し合いながら、人間性と社会性を磨きたい、と書いていた。
 
 今回のフェローシップでは自分の未熟さを痛感させられた。社会人経験を経てきた人に比べると、自分の考えがいかに甘いかを思い知らされる。やはり一度社会経験があると、多角的な視点から物事を考えることができ、また自分の意見もはっきり述べることができる。私は、Barua先生がおっしゃつていたself identityを形成するような“ぶつかり”を感じることもほとんどなく、今に至った気がする。恵まれた環境で育ってきた私が国際協力なんて言葉を口にするのは偽善かもしれない、と悩むこともある。深い人生とは必ずしも幸せな人生ではない、“ぶつかり”があるからこそ、本当の喜びや死ぬ時の満足感が得られるのだ、という尾身先生の言葉が忘れられない。
 
 私は、ゆくゆくはフィールドに出て、地域の保健水準向上のためのプロジェクトを立案運営する仕事に携わりたいと考えている。今回参加して、この思いは変わらず、むしろ背中を押してもらえたようで、国際保健に従事したいという思いはより強くなった。以前よりもビジョンは明確になり、今なら自信を持って国際保健協力の現場で働きたいと言える。しかし、私には医学に関することも、社会に関することもまだまだ知識が足りない。自分の考えに自信を持つためにも知識は必要である。Public Healthを構成するものは「疫学」+「人類学・社会学」+「政治経済学」といわれており、国際保健に従事するには医学に限らず、幅広い知識が問われる。将来の夢と好奇心を忘れずに、謙虚さと真摯な態度を兼ね備えた国際人になるべく、日々勉学に励んでいこうと思う。
 
 最後に、このような貴重な機会を与えてくださったすべての方々に心より感謝申し上げます。素晴らしい経験、そして素敵な出会いをありがとうございました。
 
I want to do ・・・. I should do・・・.
筒井 りな(和歌山県立医科大学医学部5年)
 “It is important for you to think about「What do I want to do? What should I do?」”と研修最後の夜に、ある先生がおっしゃってくれた。私がもし、今回の研修で何を得ることが出来ましたか?と尋ねられたら、間違いなくこう答えるであろう。「―自分はいったいどういう人間で、何をしたくて、どんなことが好きなのか、そして、そのためには今何をしなければならないのか―を常に考えていく重要性に気がつかせてもらえた。」と。
 私は、水泳が大好きである。大学4年までは、来る日も来る日もプールに通い、夢中になって泳いでいた。他のことには全くといってよいほど興味を示さず、泳げない日は逆に不安になるほどであった。一流選手を目指しているわけでもないのに・・・と笑われたこともあったが、それでもやっぱり好きだったのである。理由は何?と聞かれても答えられない。今になって思うとこれだけ胸を張って好きといえること、馬鹿になってやれるものを見つけられた自分は、幸せであったと思う。さて、大学5年になって臨床実習が始まり、いよいよ医学の世界を身近に感じ始めたとき、私はあせりを感じた。水泳以外に、医学の分野で自分の馬鹿になってやれるものを探さなければいけないな・・・と思ったのである。どうしたらよいだろうと考え、まずは情報収集に奔走した。今までほとんど見たこともない大学の掲示板を何回も眺めてみたり、新聞を読んでみたり、下宿先にインターネットをひいてみたり・・・と。しかし、あまりの情報量の多さに逆に混乱し、空回りをしている状態であった。そんな時に、大学の掲示板で今回のフェローの募集要項を見つけたのである。直感で、これだっ!と思った。以前から、国際協力に関しては興味があり、特に東南アジアはその土地の雰囲気、人々、食事(パクチー最高っ!)等々全てが大好きであった。
 もうお気付きかもしれないが、私が大好きというものに関しては、ほとんどの場合その理由がない。今回のフェローのテーマでもある国際保健協力に関しても、その分野に興味を持つ理由というものが、正直なところ私自身明確には説明できなかった。フェローの仲間達が、各々それなりの理由を持ってフェローに臨んでいる姿を見て圧倒され、フェローの始めの数日間は戸惑いと不安を感じていた。しかし、会話を重ねていくうちに私と同じ思いを持っ仲間もいることが分かり、内心ほっとしたことを覚えている。
 理由は後からついてくるものではないのか・・・、と今は思っている。己の直感で好き!と思ったことに、例えその理由なくとも思いっきり飛び込んでゆくことが大切なのであろう。これは、今回のフェローを通じ、多くの素晴らしい方々との出会いを通して思ったことである。
 禅語の一つに「春は花 夏はほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しかりけり」という道元禅師のお言葉がある。春は花であるように、夏はほととぎすであるように、自分のことに関して自然な本来の姿というものを知っていてこそ、人生の次のステップに進むことができるという意味である。今回のフェロー全体を通し、私は、いろいろな方達と出会い、いろいろな話をし、いろいろなことを肌で感じるという、この上ないほどのチャンスに恵まれた。このチャンスを十分に生かし、自分のものにすることができたかどうかは分からない。しかし、このような素晴らしい環境の中に身をおくこと12日間、自分がいったいどういう人間であるのかを少しではあるが客観視することができたのではないだろうか。今回の経験で感じたこと、思ったことを、次は行動に移していこうと強く思っている。
 最後に、このような、人生の財産となる貴重な経験とチャンスを与えてくださった全ての方々に心より感謝の気持ちを申し上げます。本当に有難うございました。そして、13名の仲間達とはこれからもずっと共に励ましあい、共に生きていきたいと強く願っております。
 
Cebuのフルーツマーケットにて
彩り鮮やかな果物を目の前に、みんなテンション上昇中です。
 
WHOにて
これから始まる講義へ向けて、緊張と不安と眠気さ(?)いっぱいで、泣きそうな顔をしています(笑)。
 
感謝
船橋 浩一(弘前大学医学部医学科4年)
 参加前、期待と不安が入り混じっていた。手にする日程表には非常に魅力的な‘メニュー’が満載されている。WHO、JICA、保健省、NGO、地方公衆衛生プロジェクト、フィリピン大学・・・。これら組織を訪れ、そこで働く人々に会う事で自分は何を吸収出来るのであろうか。
 
 いざプログラムが始まると、想像をはるかに超える濃厚な時間が待っていた。日本発の国際保健医療協力を担当されている厚生労働省の方々などのお話に始まり、日比両国のハンセン病療養所、多国間・国・州・市・そして村落のそれぞれを担当する保健担当組織、JICA、NGO、大学と目白押しのスケジュールであった。忙しいスケジュールではあったが、自分自身が興味を持っている事の話を聞く事がこれほど充実感を与えてくれるものかと久しぶりに実感する毎日であった。
 尾身先生は、「自分の好きな事をしろ」と何度も強調されていた。今回のフェローでの大きな収穫の一つは、私が「好きな事」と感じている仕事を実際に行っている方々に会い、その仕事に対する関心を更に高める事が出来た事だ。実際にそのような業務に関わる事が出来るのは何年も先の事になるだろうが、これから可能なだけの準備をし、その場その場で柔軟かつ頑固に進む道を決めていきたいと思う。
 
 また、フェローを通じて個性の大切さ、それぞれの個性が発揮される事の大切さを改めて痛感した。常に笑顔を忘れない男、アイアンウーマン、周囲を和ませる人・・・、今回のフェローの仲間達はそれぞれが非常に個性的であり、その個性が良く発揮され、また、互いの個性が尊重されていた。この様な多様性に富んだ仲間に出会い、互いに良い影響を及ぼしあう事が出来た事がフェローでの最大の収穫であった。
 
 最後に、この様な素晴らしい機会を与えてくださった関係者の皆様やお世話になった方々、現地に同行下さった泉さん、そして、私達に多くの刺激を与えて下さった西村先生に厚く御礼申し上げます。
 
バランガイにて


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