フェローシップに参加して
赤木 奈々(広島大学医学部医学科4年)
11日間の研修は今思い返してみてもとても長く感じられるものだった。私は基本的に、充実した日々を送ろうと心がけている。しかし、その忙しさには比べものにならないほどこのフェローシップはレクチャーやフィールドワークのシャワーであった。研修の一瞬一瞬が私にとって、学びの瞬間であり、このような充実した時間を過ごせたのは、生まれて初めてかもしれない。
私はこの研修を通して、さまざまな知識と教訓を得た。まず、初めの2日間の国内研修では、ハンセン病回復者の方の話を聴くという貴重な経験をさせて頂いた。肉体的にも社会的にも「人が人でなくなる」ハンセン病。近親者からでさえ突き放されるという社会ぐるみの差別により、どれだけの患者さんが精神的な苦痛を負ったか、考えるだけでも胸が痛い。この差別と隔離政策は、治療法が見つかってからもなお続いていた。無知と偏見がもたらす罪の重さは計り知れない。一人一人が周りの世界への無関心を捨て、問題意識を積極的に持つことが、虐げられている人々の地位回復への第一歩の踏み出しにつながるのではないかと思う。
また、私は、今までヨーロッパやオーストラリアにバックパッカーのような旅をしたことは何度もあったが、東南アジアヘの訪問は初めてで、想像していたのよりも貧富の差が激しく、大きなショックを受けた。スラムやスモーキーマウンテンの周りに住む人々。衛生状態は悪く、感染症がはびこる。また、車で程なくの所に、それとは対照的に、裕福層のためのマンションが建ち並び、生活習慣病の増加も国の抱える問題の一つとなっている。このギャップに目が眩みつつ、向かった先のカンルーガン・センターでのNGOの活動に触れた。草の根のソーシャルワーカーの活動は、子供達の一人一人と向かい合い、育てていく尊いものだと思ったが、その後JICAやWHOでレクチャーを受けていくに従って、中枢でシステム改革に関わったり、大規模なプロジェクトを立ち上げることが、とてつもなく大多数の人々を助けるのだということ、また、この両方がうまく連携を取ってこそ全体の保健医療が成り立つのだということを痛感した。この2つは舞台が異なる。だからこそ、お互いの視点に立って考え、対話する努力を怠ってはならないし、広い視野を持つことが大事であると思った。
また、今回のフェローシップでのかけがえのない経験の一つは人との出会いである。WHOの尾身先生は、自分が何を好きなのか、自分のアイデンティティは何かについて問うことの大事さを教えて下さった。それは、自分の活動の大きな内面からの推進力となる。将来には、今では考えられないような困難にぶつかることもしばしばだろうと思う。しかし、自分を見つめることを忘れなければ、前に進んでいうことができるだろう。そして、Barua先生の「人の中に入って学ぶ」という姿勢は、私の求める資質となった。対話が理解を生み、仲間を作る。力を合わせれば夢が現実に近づく。このお二人のお言葉は、私の将来の糧となることだろう。
そして、共に研修をした12期の仲間達。同じ目標、高い意識を持った人々と同じ体験をし、共に語れたこと、また、彼らの突出した個性と経験から得たインスピレーションは何物にも代え難い。
最後に、このような貴重な体現が出来る機会を与えて下さった大谷藤郎先生、紀伊國献三先生、笹川記念保健協力財団の方々、ご講演下さった先生方、指導専門家の西村秋生先生、泉洋子さんに心よりお礼申し上げます。
参加報告
城下 卓也(群馬大学医学部医学科4年)
青年海外協力隊として2年間生活していた国では、常に農民に代表される貧しい人々が虐げられ、役人たちは汚職を繰り返し自らの富を蓄えていた。そして、その社会構造の中では、道路封鎖などいかなる抵抗をもってしても貧富の差を縮めるには無力であるように見えた。そういった状況の中でも、日本的価値観から見て物質的に満たされていないと思われる同僚たちは、たくましく生きていた。余暇を楽しみ、家族、友人を中心に置き、我々日本人よりもよっぽど人生の楽しみ方を知っていた。彼らと生活を共にする中で、先進国的価値に基づいた国際協力という名の援助で彼らの生活を変化させることに疑問を感じるようになる一方、国際協力を仕事として選んだ自分はどう彼らと関わっていくかというジレンマの中で悩まずにはいられなかった。
そこで出した一つの答えが国際保健だった。彼らの充実した生活を保障するものは最低限の健康ではないかと考えた。そういった目でその国を見たとき、多くの問題を抱えていると感じた。保健サービスへのアクセスの改善とその質の向上は必要だろう。日本よりも数倍家族を大切にする彼らにとって、妊婦、乳児が死ぬことは耐えがたいことであろう。日々避けることのできない蚊との接触の中では、マラリア、デング、黄熱の対策も必要だろう。シャーガスから身を守るには住環境から変える必要もあるだろう。出発点はそこにあった。
出発点はそこであり、目的地もそこにある。しかしながら、漠然とした不安感を常に抱えていた。その過程には明確なルートは見えずに、とりあえずできることから始めようと、感染症の勉強をしたり、在日外国人と交流したりしながら準備をしているような状況だった。多忙な大学生活の中で、今自分のしていることが正しい方向を向いているのか、夢をどのように現実的に実現させていくのかなど、手探りの状態であったことは否めない。今回のフィールドワークの目的は、さまざまな見解、立場から国際保健というものに関わっている人に会うことで、具体的な絡み方を自分なりに理解することであった。
尾身先生、佐藤先生、Barua先生、穴田さん、Dr. Ramos、Dr. Galeaその他多くの先生との出会いの中で、それぞれの方がそれぞれの立場で仕事をされている姿を見て、具体的な将来のイメージが沸いた。また、同じ悩みを持つ13人の学生との話し合う中で、普段の大学生活では得られない連帯感のようなものを感じた。そして、実際に様々なフィールドで様々な空気に触れ国際保健がカバーする範囲の広さを知った。その広さを知ることで自ずから、今からしておかなければならないことも明確になった。各先生が言っていたように専門性を磨くことは当然のことであるが、それ以上に公衆衛生ではなくより広範囲な意味でのPublic Healthを意識することになった。技術的な医学に執着しがちな自分を見直すことになり、今何をしておかなくてはならないかも明確になった。
この研修の目的であった出発点と目的地をつなぐ過程を理解するということはある程度達成されたと思う。その過程にはさまざまな形が存在することを認識し、自分の中でうまく消化されたと思っている。夢に迷いなく自信を持って進んでいけようになったことは大きい。このことが今回の研修での大きな収穫である。
最後にこのようなバランスの取れたプログラムをコーディネートしてくださった方々にお礼申し上げます。また、同行していただいた西村先生、泉さん、そして13人の仲間達に感謝したいと思います。ありがとうございました。
研修を振り返って
平野 靖弘(獨協医科大学4年)
今回の研修は、自分自身の進路を見つめ、また、自分に足りないものを自覚する上でとてもよいものであった。医学部に入る前に、横浜国立大学工学部での学生時代、ブラジルの貧困地域に住む子ども達の教育や、母子保健などを支援するNGO活動をしており、自分もそのような貧しい土地で、医療活動をしたいと漠然と考え、その思いから会社を2年勤務したのち医学部に入りなおしたが、最近は国際医療よりも、日本国内の子どもに関わる問題に関心が移ってきた。小児精神科に進もうかと考えはじめていた。そんな時期に自分の気持ちをはっきりとさせる意味でも、この研修は自分にとって価値の高いものであった。
自分の仕事をしっかりと行いながら、ストリートチルドレンの支援をボランティアというかたちでしっかりと携わっている穴田さん、WHOで、自分の好きなことに誇りをもって仕事をしている尾身先生、また、都市から離れた田舎の貧しいところで、給料が少なくても地元のためにがんばっている医療関係者の方々。そのような方々と接することができたのは、これから、自分が将来医師として、国内で仕事をするにも海外で仕事をするにも、大いにプラスになると思う。
研修では、多くのプログラムが用意されており、どれもそれぞれ勉強になったが、尾身先生の話と、カンルーガンの子どものための施設への訪問は、自分にとってとても印象に残っている。
尾身先生は、「自分の好きなことをやっていきなさい」と繰り返し、私達に語り続けていた。自分の本心からやりたいことで、自分を賭けられるものをこれから仕事として選択していこうと思った。4時間以上も本音でいろいろと語ってくださり、こんな機会をいただいた私達は本当に幸せ者なのだと思う。これから時々折に触れ、この日のことを思い出すと思う。同じようにBarua先生も、私達に、生き方について語ってくださった。道は自分で切り開いていくもの、決してあきらめないこと。最近の自分は、なにかうまくいかないことがあったりすると人のせいにしたり、人を信用しなくなったりと、自分に甘えていたということを実感し、反省した。もっと苦労を惜しまず、自分で考えて、乗り越えていく人生を送っていこうと思った。
カンルーガンの身寄りをなくした子どもを支援する施設の訪問は、自分が最近、児童養護施設に学習ボランティアという形で関わっていることもあり、興味を持った。日本でも、そのような施設で生活する子どもたちの医療面でのケアがまだしっかりと行われていないのに、ましてこのような国では、その施設に生活できるだけでも幸運という状況だろう。このような施設に生活する子ども達、そして、保護されることもない子どもたちが今も路上で生活しているということは、自分自身、忘れないで、自分たちがやれることを考えていこうと思う。
今回の研修で課題点も見つかった。自分自身、積極性、コミュニケーション能力が足りないことがよくわかった。英語力も含めてコミュニケーション能力を高めていくよう努力していこうと思う。
最後に、このような、すばらしい内容の研修を企画していただいた笹川記念協力財団の方々、海外研修に同行していただいた泉さん、西村先生、お世話になった現地の方々、そして、13人の仲間にお礼を申し上げます。
“学び”を育む人との絆
鈴木 章子(国際医療福祉大学保健学部看護学科2年)
11日間私は“学びの道場”にどっぷりと身を置くことができました。その“学び”とは、もちろんフェローのプログラムの内容でもあり、また人生を見直す事でもあり、そして、人間を学ぶ場でもあったと思います。こんなにも刺激的に毎日1分1秒に全力を投じた事は何年ぶりだったろうか、と思うほど、エネルギッシュに前向きに、14人が心を一つにして研修に励み、時間を共有できた事は、何ものにも変え難い貴重な経験であったと思います。今まで疑問に思っていた事や、何かをしたい、と燻ぶっていた願いの種が、彼らによって刺激を受け、芽を出し始めました。これから先、さらに自分が目標を掲げ、それを達成するために困難があったとしても、将来また同じ気持ちをもった仲間を作り活動していく事で夢を叶えることができると思います。仲間に交わり意見を聞き、外から自分を客観的に見ることで視野が広がったと共に、今自分がするべき事、できる事など、足元の課題も見え始めました。“学ぶ”という事は、受身で与えられるものではなく、自ら疑問を持ち追求したいという気持ちを行動に移していく事である事も、この学びの道場で見出せた貴重な一つです。
マニラでの2日目、Barua先生に「なぜこの職種を選んだのですか?」と聞かれ「人を好きでたまらないからです。」と迷わずに答えました。この気持ちは研修によりさらに大きくなり、そして、何よりも大切に感じた事は、その学んだ多くの事が人と人との交わりから生まれたものであるという事です。
人から学び 人に伝え 人を育てる
人との絆、そして、そこから生まれる心の健康と豊かさが大切なものを育み、次々に続く世代へと引き継いでいってくれるのだと思います。
このような機会を与えてくださった笹川記念保健協力財団の皆様、そして、刺激満載の13名の仲間達と、落ちこぼれに近い私を最後まで引き上げて下さった泉さん、西村先生に心から感謝しております。自分の意見がなく、はっきりと発言せずに少々静かになってしまったのですが、この道場で学んだ事を礎に、これから学ぶ一つでも多くの事を自分のものとして、次回皆さんと楽しい意見交換できることを楽しみしています。
次の世代へつながる世界を
今、私にできる始まりの一歩がここで生まれました。それは小さな一歩かもしれません。だけど確実な一歩です。長い長い道を仲間達と一緒に歩いて行こうと思います。いつもあの笑顔とユーモアを忘れずに!
指導専門家より
西村 秋生(指導専門家)
Dr.Baruaのご講義はいつも新鮮な刺激に満ちている。今回私の心に深く響いたのは、講義中に紹介された詩の一節であった。「本当に立派な指導者がその仕事を成し遂げたとき、人々はこう言うだろう『我々がこれをやったのだ』と」。なんと謙虚な姿勢だろう。最近の自分は、まさしく「この仕事は俺がやったのだ」という台詞を連発してはいなかっただろうか。自らを振り返り、まさに赤面の思いであった。
さて、そんな当方であるが、こと本件に関しては、とてもそんな言葉は出てこない。仮にも「引率」と呼ばれる立場であるからして、「引き率いる」者でなければならないのだが、実際のところ国際保健の専門家たる知識に乏しい当方には、個性にあふれる14人のメンバー達を率いるなど到底出来るはずもなく、ただただ彼らの後に付き従うだけの11日間であった。ご推挙頂いた財団の皆様には面目ない次第である。それでも第12期生が立派な成果を得て帰国したのは、ひとえに彼ら自身の有能さと努力の賜に他ならない。
財団によるメンバー選出の見事さには恐れ入ってしまう。とても良いバランスで学生達のグループをつくりあげてくれる。今年のメンバーは−第11期、第12期を続けて関与した者の特権として、“今年は”という言葉を使うことをお許し頂きたい−既に大学を経験していながらなおかつ再入学を果たした方、企業や公的機関、自営業までも経験しながら、さらにこの分野で仕事をすることを選択した方々がいた。ろくな社会経験をしていない当方は、実は参加者リストを拝見したときには半ば気後れを感じていた。これほどに種々の生き様を持っているメンバーが集まっているのでは、中にはやはり主張が異なる場合があるだろうし、11日の間には衝突することもあろう、いや、一波乱は避けられないに違いない、と勝手に覚悟していたものである。実際、初日の夜の会合では、にぎやかな中にもある種の緊張感が存在していたように思う。しかし、それは全く小人の杞憂であった。日を追うにつれ、彼らはお互いの特性を見いだし、また、その中での自分の役割といったものを得て、皆がそれはのびのびと活躍してくれたのである。中盤以降は、むしろこんなに仲良く盛り上がっていては、最終日まで保たないのではないかと、そちらの方が心配なくらいであった−それとてもまた無用な心配で、最後は2日連続徹夜で語り明かしたメンバーまでいると聞いているのだが。人の持つ柔軟性とエネルギーというものを改めて認識し、また自分の未熟さに気づかされた11日間だった。得難い経験の機会をくれた14名のメンバーに感謝したい。
またこの場を借りて、初日の国際医療センターにご参集下さった講師、シンポジストの先生方、全生園の皆様、そして、フィリピンでの多くの方々に御礼申し上げたい。いずれも重要な体験であるばかりでなく、多忙な中長い時間を学生の将来のために割いて真摯に向き合って下さったその姿勢こそ、彼らの良き手本となるだろう。そして、その機会を得る場となった本プログラムの企画者である財団の皆様のご尽力に感謝申し上げる。
偉そうなことを言えた義理ではないのだが、一言コメントさせて頂けるなら、多くの成果の中でも特に、最終日の総括において皆が「視野が広がった」との感想を持ってくれたことが最も嬉しかった。医療の現場はともすれば、極々狭い領域に生活が完結してしまい、考え方が近視眼的になってしまいがちである。このフィールドワークで得た感覚を大切に、是非これからもその視野を、もっともっと広げていってほしい、と願う次第である。
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