(9)日本マリンエンジニアリング学会誌掲載
解説
Explanation
バラスト水処理装置の国際的な開発動向*
吉田勝美**
1. はじめに
船舶の運航に不可欠なバラスト水を媒体とする水生生物の国際間の移動・拡散問題は,21世紀の初頭人類が直面し,解決のための方策を早期に実施しなくてはならない地球規模の海洋環境保護問題の一つである.この問題に対して1982年の国連海洋法条約及び生物の多様性に関する条約は生態系の保全のため,在来種を脅かす外来種の移入を防止軽減するための措置をとることを全ての国に対して要望している.
1992年国連環境開発会議(地球サミット)におけるリオ宣言基本方針も同様のことを呼びかけており,国際海事機関(IMO)に対し,船舶バラスト水排出に関する適切な規則採択のための審議を要求した.また,2002年に南アフリカのヨハネスブルグで開催された,持続可能な開発に関する世界サミット(RIO+10)の実施計画においても,バラスト水中の侵略外来種の対処方法を促進するために,あらゆるレベルの措置をとることを要請している.
このような背景に基づき,国際的な海運を統括するIMOは船舶バラスト水の国際的な規制実施の議論を進め,2004年2月に「船舶のバラスト水及び沈殿物の制御及び管理のための国際条約」(以下,バラスト水管理条約)を採択した.また,現在は同条約を実施するために必要な14のガイドラインの作成作業を進めており,本年(2005年)7月に開催された海洋環境保護委員会第53次会合(MEPC53)で,バラスト水処理装置の認証に係わる“バラスト水管理システムの承認に関するガイドライン”及び“活性化物質を使用するバラスト水管理システムの承認に関する手順”を含む5つのガイドラインを採択し,残りは来年(2006年)10月のMEPC55までに採択することになっている.
バラスト水管理条約発効後に実施が義務づけられるバラスト水管理方策は,外洋上でのバラスト水交換,装置によるバラスト水処理,バラスト水受入施設への排出及びMEPCで承認されるその他の方策である.このうち,バラスト水受入施設の整備及び有効な他の方策の実現見通しは立っていない.また,義務づけられるバラスト水管理は,バラスト水交換基準(バラスト水管理条約,附属書D-1規則)あるいはバラスト水排出基準(同,附属書D-2規則)を満足し,かつ,バラスト水交換については規定された交換海域を遵守することが要求されている.そのうち,バラスト水交換は既存船を対象にした暫定的な管理方策として位置づけられており,将来的にはバラスト水排出基準を満たす装置によるバラスト水処理が唯一現実的な管理方策として義務化される.ちなみに,条約が発効した場合における最初の適用船であるバラストタンク総容積5000m3未満の船舶は2009年から装置によるバラスト水処理を実施することになる.
このように,条約の排出基準を満足するバラスト水処理装置の開発が急務となっている。
本稿では,各国で開発が進められているバラスト水処理について紹介する.我が国における装置開発の促進及び海運界の発展に役立てば幸いである.
2. バラスト水管理条約の処理装置への要求
2.1 基本的な要求 船舶における水処理装置としては,油水分離装置と糞尿処理装置が代表的なものである.これら装置とバラスト水処理装置は根本的に異なる.油水分離器等が油,糞尿処理装置が船内での生活から発生する糞尿といった特定の物質が処理対象であるのに対し,バラスト水処理装置は,自然の水域に分布する不特定なあらゆる水生生物を処理対象にしなければならない.すなわち,他の水処理装置が特定的な物質を対象にしているのに対し,バラスト水処理装置は水域に分布する全ての水生生物を殺滅,あるいは除去しなければならないことが大きな違いである.
水生生物を馴染み深い陸上生物に置き換えて考えてみる.まず化学薬品は,量も小さい病原菌の殺滅には殺菌・消毒剤や抗生物質,害虫には殺虫剤,雑草には除草剤が使われる.それぞれの薬品は対象生物だけに効果を発揮し,他の生物には影響しないのように配合されている.次いで,殺菌方法として一般的な紫外線殺菌について考えてみる.細菌類には有効な紫外線殺菌法も,大型植物や鳥類及び哺乳類等の大型の動物に対しては,強い紫外線を長期間照射しない限り殺滅することができない.これら大型の生物を短時間で殺滅する方法は,狩猟的な方法や猛毒薬物が必要となる.つまり,効果的な殺滅方法は生物の種類や大きさによって,大きく異なるのが普通であり,生物の耐性(抵抗力)等を考慮して対処されるのが普通である.一方,バラスト水処理装置には,水域に分布する全ての水生生物を対象にすることが要求されるため,耐性の異なる様々な水生生物を処理しなければならない.かつ,船舶という限られたスペースの中で,短期間に,大量に処理することが必要なことも,開発を難しくしている.
2.2 要求される性能 バラスト水管理条約では,前記したように排出が許されるバラスト水中の水生生物の濃度が規定(表1,バラスト水管理条約,附属書規則D-2)1)されている.バラスト水管理条約作成に関与した人たちがD-2基準と呼んでいる規則で,バラスト水処理装置は例えば赤潮などの異常状態の水でもバラスト水として漲水した場合には,排出までにこの基準値未満にしなければならない.
表1 |
バラスト水排出基準(バラスト水管理条約,附属書規則D-2) |
対象水生生物 |
基準値 |
最小サイズ50μm以上の生物 |
生きた生物数10個/m3未満 |
最小サイズ50μm未満で10μm以上の生物 |
生きた生物数10個/ml未満 |
病毒性コレラ菌(O-1及びO-139) |
1cfu/100未満 |
大腸菌 |
250cfu/l00未満 |
腸球菌 |
100cfu/100未満 |
|
最小サイズ:長さ,幅,厚みの中で最も小さなサイズ.
cfu: colony forming unit
|
自然水中の水生生物濃度は,水域,季節・時間,場所及び水深等で大きく変化する.過去のデータによれば,処理しなくてもD-2基準に適合する場合もあるが,多くはD-2基準を遙かに上回る場合が普通で,顕著な時にはD-2基準の10億倍の濃度の時もある.すなわち,いかなる水でも排出時にはD-2基準未満にしなければならないバラスト水処理装置は,10μm以上の水生生物と細菌類をほぼ100%除去あるいは殺滅するという極めて高い性能が要求されていることになる.
3. 開発中のバラスト水処理装置
3.1 分類と基本原理 現在,各国で開発中のバラスト水処理装置は,表2のように分類される.
これら処理装置の水生生物に対する効果は,物理・機械的処理装置が大型の生物,熱処理や化学処理は小型の生物に効果的に作用し,複合技術は両者の特性を活用して全生物に対して効果を発揮する.
なお,D-2基準の決定によって,大きさ1μm前後のバクテリアに対する処理も必須となったために,バラスト水管理条約採択後の開発は複合技術が主体となっている。
表2 バラスト水処理装置の分類と基本原理
分類 |
基本原理 |
物理的除去 |
ろ過及び遠心分離による水生生物を除去 |
機械的殺滅 |
物理的・機械的に水生生物を殺滅 |
熱処理 |
熱により水生生物を殺滅 |
化学的処理 |
各種化学薬品を直接バラストタンクに注入,あるいは海水や清水を電気分解したりUVを照射して,塩素系物質,フリーラジカルな水酸基やオゾンを生成しバラストタンクに注入して水生生物を殺滅 |
複合技術処理 |
物理・機械的処理伎術によって比較的大型の生物を除去あるいは殺滅し,化学薬品やUV等で細菌類や比較的小型生物を殺滅 |
その他 |
水中の酸素除去による水生生物殺滅や超電導を利用した生物の除去等 |
|
3.2 各国における開発状況 バラスト水管理条約が発効した場合におけるD-2基準の最初の適応が2009年であることもあり,現在,世界各国で精力的にバラスト水処理装置の開発が行われている.その開発状況は国際シンポジウムや展覧会等で公表されているが,本年(2005年)7月のMEPC53においてもバラスト水管理条約の見直し作業に関連して文書を提出した国の情報を基に整理された2)。表3には,整理の主対象とされたバラスト水処理装置の処理原理と開発段階を示す。なお,IMOでは来年(2006年)10月に開催予定のMEPC55においても同様の整理が行われることになっており,我が国からも複数の装置が報告される予定である.
整理の対象とされたのは11の処理装置で,豪州,ドイツ,ノルウェー,韓国,スウェーデン,それに米国で開発が進められているものである.
表3 各国で開発中のバラスト水処理装置
開発国 |
処理原理 |
開発段階 |
豪州 |
熱処理 |
ばら積船で船上試験を実施 |
1. ろ過,2. 船内の発生機で生成した二酸化塩素で殺滅 |
室内実験レベル |
ドイツ |
1. ろ過,2. 船内の発生機で生成した活性化物質で殺滅 |
陸上試験レベル
2006年末に商業化予定 |
1. ろ過,2. UV照射,3. 150ppmの活性化物質で殺滅 |
陸上試験レベル |
1. 遠心分離と50μmのろ過,2. 150ppmのPERAKLEAN(過酢酸と過酸化水素をベースにした活性化物質)で殺滅 |
陸上試験(処理流量200m3,500m3)実施済み,船上試験を計画中 |
1. 50μmのろ過,2. 電気化学処理で殺滅 |
2005年5月からプロトタイプ装置で船上試験中 |
ノルウェー |
1. 低圧分離,2. UV照射 |
船上(7隻)で運用中 |
1. 50μmのろ過,2. キャビテーション,3. N2ガス注入による脱酸素 |
陸上試験レベル
船上試験を計画中 |
韓国 |
海水の電気分解で生成される活性化物質による殺滅 |
陸上試験レベル |
スウェーデン |
1. ろ過,2. UV照射による生成水酸基による殺滅 |
船上試験中 |
米国 |
船内の発生機で生成した二酸化塩素で殺滅 |
船上試験中(処理流量2,500m3/hr) |
|
これら開発中のバラスト水処理装置内,すでに船舶に搭載され船上試験を実施しているものが5つ存在し,2004年のバラスト水管理条約採択後に,実際の商船に搭載可能なバラスト水処理装置が各国で精力的に開発が進められていることが伺える.また,豪州で検討されている熱処理を除けば,全ての装置に活性化物質による殺滅工程が組み込まれて,性能(水生生物に対する殺滅効果)もかなり向上している.活性化物質の使用は,D-2基準に細菌類も規定されたことが大きく反映したものと考えられるが,同時にバラスト水処理装置を高度なシステムに進化させた.このように,近年,急速に開発が進んだバラスト水処理装置でも,D-2基準を満足し,かつMEPC53で採択された“バラスト水管理システムの承認に関するガイドライン”及び“活性化物質を使用するバラスト水管理システムの承認に関する手順”に定められた試験方法で認証あるいは効果等が確認されたものは現時点で存在しない.今後はガイドラインに従った各種試験及び認証作業も進むと予想される.ただし.活性化物質を使用するバラスト水処理装置の場合は,装置稼動時には活性化物質の作用(毒)で多くの水生生物を殺滅しなければならない一方で,排出時には環境に影響することが無い,つまり無毒状態にしなければならず,相反する要求に対応しなければならない.表3に示した装置においても,この難問に答えられるかについては,不透明である.
なお,MEPC/IMOには我が国からも電気化学処理,機械的殺滅法,超電導処理のバラスト水処理装置が過去に紹介されている.そのうち,機械的殺滅法(仮称,スペシャルパイプ)はプロトタイプ装置を用いた船上試験がすでに実施されている.これら我が国における開発状況に関しては,本号における他の解説等を参照して頂きたい.
3.3 代表的な処理装置 各国で開発中のバラスト水処理装置の中で,代表的なものを以下に紹介する。
(1)ろ過及び遠心分離法
米国,オランダ,シンガポール及びイスラエル等で積極的に開発が進められている.設定サイズ以上の水生生物を除去し,目詰まりは逆洗等の自動洗浄装置で解決可能である.現在は50μm以上の水生生物が処理できる装置が開発されており,MEPC53で紹介された処理装置の多くでも大型の水生生物の除去方法として採用されている.処理能力は,数百m3/hr以上も可能ということであるが,当然ながら処理能力が増えると共に搭載に必要な船内スペースも大きくなる.なお,設定サイズ以下の水生生物は処理できないため,単独でD-2基準を満足することはできない.よって,最近では化学処理やUV処理の前処理技術として位置づけられる傾向にある.図1には,オランダで開発中の自動洗浄ろ過及び遠心分離システムを示した.
(2)機械的殺滅法
日本財団の助成を受けて(社)日本海難防止協会が開発を進めている.バラストパイプ中にスリットが入った2枚のプレートが装着されただけの簡単な構造で,バラスト水を通すだけで剪断応力とキャビテーションの作用により水生生物を破壊する.簡単な構造のため装置本体は小型で運用も容易である.付属設備も一定流速を確保するポンプだけですむ.2003年にはプロトタイプ(処理水量:100m3/hrレベル)の装置が北米航路のコンテナ船に搭載されている.処理水量の増加はパイプ直径を大きくするだけで対応でき,現在は300m3/hrレベルの装置が開発されている.なお,細菌類を処理するためにオゾン等の活性化物質とのハイブリッド化も進められている.図2には北米航路のコンテナ船に搭載されたプロトタイプ装置を示した.
(3)熱処理
豪州,カナダ,英国及びシンガポール等で開発が進められている.メインエンジン冷却系統やボイラー等の既存熱源を利用して,バラスト水漲水時及び漲水後に循環させて加熱し水生生物を殺滅する方法である.高温にすることで全ての水生生物に効果を発揮するが,効果が得られる50〜60℃以上にするためには航海中の循環処理が不可欠で短期航海には不向きである.また,高温による船体への影響及び高温のバラスト水を排出することによる環境影響が懸念されている.図3には,英国とシンガポールが共同で開発中の石油タンカーを想定した熱処理システムの構想図を示した.
(4)電気化学処理
中国,スイス,韓国等で開発が進められている.バラスト水を電気分解して塩素を生成し,その酸化作用によって水生生物を殺滅する方法である.開発は,陸上小型試験段階である.効果は,化学処理共通の傾向であるが小さい水生生物ほど高く大きいと低い.全ての水生生物を対象にする場合には,かなり高濃度な塩素を必要とする.図4には,スイスで開発中の電気化学処理実験装置を示した.
(5)船舶搭載発生機を用いた化学処理
活性化物質を船舶に搭載した発生機を用いて製造し,バラストタンクに注入して水生生物を殺滅する方法である.米国ではオゾンと二酸化塩素を検討中で,いずれも船上試験を実施している.また,豪州でも二酸化塩素を検討中である.米国の二酸化塩素は,スルフォン酸,次亜塩素酸ナトリウム,過酸化水素を原料として生成する方式である.二酸化塩素5ppmの注入で24時間から7日後にほとんどの水生生物を約99%殺滅する.図5には,コンテナ船に搭載された米国の二酸化塩素発生機を示した.
(6)活性化物質を搭載・注入する化学薬品処理
活性化物質・化学薬品を直接バラスト水に注入する方法である.活牲化物質としては塩素(米国,ブラジル,中国,カナダ),過酸化水素(ドイツ,日本),アクリルアルデヒド(米国),ビタミンkが主成分の薬品(米国,ニュージーランド)が検討されている.
(6)複合技術処理
物理・機械的処理装置で大型の水生生物,熱処理,化学薬品,UV,及びオゾン等で小型の水生生物や細菌類を処理する装置である.両者の効果特性を組み合わせることで,D-2基準の対象全生物に対応する.バラスト水管理条約採択後における開発の主流であり,現在は,米国,カナダ,ノルウェー,スウェーデン等の複数国及び合同チームが開発にあたっている.また,(社)日本海難防止協会の機械的殺滅法とオゾンの組合せも複合技術処理である.
図6及び図7には,複合技術処理の代表例として,ノルウェーが開発し,客船に搭載している遠心分離とUV,及びスウェーデンが開発中のろ過とUV照射・水酸基処理による複合処理装置を示した。
図1 自動洗浄ろ過装置(上図)と遠心分離装置3)
図2 |
北米コンテナ船に搭載された機械的殺滅装置
(プロトタイプ)4) |
|