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表紙説明◎名詩の周辺
佳賓好主―佐藤一斎
東京・湯島聖堂
 作者・佐藤一斎は江戸時代末期の学者で儒者として身を立て、後に昌平黌の儒官になり、江戸幕府の文教を担当した人物です。江戸浜町の岩村藩邸で生まれ、名は坦(たいら)、通称は幾久松、一斎はその号です。一斎は幼少のときから読書を好み、また、射騎や刀槍の術など学ばないものはなかったといわれています。しかし、十二、三歳のときにはすでに学問で身を立てようと決心し、林述斎や鷹見星皐、中井竹山、皆川淇園などに学び、文化二年(一八〇五)、林家の塾長に抜擢されています。天保十二年(一八二六)水野忠邦によって、儒官として登用され、それ以降、昌平黌の官舎で住みました。一斎はそこで大いに教育に情熱を傾け、当代の碩学として崇められるとともに、学界の重鎮として門人は三千人とも称せられました。また、官にあったため、その立場上、朱子学を講じましたが、私塾では陽明学を講じたため、世の人々から「陽朱陰王」と称せられることにもなりました。
 門下からは佐久間象山、大橋訥庵、安積艮斎、渡辺崋山、中村正直など多くの逸材を輩出し、安政六年(一八五九)、八十八歳で病没しました。
 
 
 この詩は、春の夕の梅と月を詠ったもので、「佳賓好主」は「佳い(よい)賓客、好い主人」の意。月は満開の梅花を訪ねて来て、好い主人であるとし、一方、梅の方では、月影(月の光)を迎えて、よい賓客であるとした、堅い学者の風貌に似合わぬ優雅な作品です。
 昌平黌は儒者林羅山が上野忍が丘に私塾を開いたのが始まりで、学問好きであった徳川五代将軍綱吉が湯島に移して孔子廟の大成殿を中心にした聖堂を設立、のちの昌平坂学問所(昌平黌)となりました。湯島聖堂はたびたび火災にあい、その都度再建されてきましたが、現在の建物は関東大震災後、昭和十年に鉄筋コンクリートで建てられた中国様式の黒塗りの建物です。近くには神田明神、湯島天神など有名な神社も徒歩圏内にあり散策に最適です。
 
【湯島聖堂】JR下御茶ノ水駅、地下鉄新御茶ノ水駅から北東へ徒歩3分。
【神田明神(神田神社)】湯島聖堂とは道を隔てて徒歩2分。JR御茶ノ水駅からでも徒歩5分。
【湯島天神(湯島神社)】地下鉄湯島駅から西へ徒歩5分。
 
史跡湯島聖堂では現在、孔子の学問を中心とした数々の講座が開かれている
 
野村胡堂の「銭形平次捕物控」で一躍有名になった平次は明神下に住んでいたため神田明神境内には銭形平次の碑がある
 
吟詠家・詩舞道家のための日本漢詩史 第20回
文学博士 榊原静山
鎌倉、室町、桃山時代の詩壇【その四】
上杉謙信(一五三〇〜一五七八)いうまでもなく、名は景虎、号は不識庵。越後を制して勇名を挙げ、甲斐の武田信玄と幾度も戦い、特に川中島の戦というのが有名で、後に加賀、能登をも平定して一時北国に勢力を張ったが、毛利氏と連合して織田信長を攻めようとして準備中に、天正六年四十九歳で没している。
 
武田信玄(一五二一〜一五七三)謙信の好敵手である。信玄も名詩を残している。信玄は戦略兵法に通じ、いろいろと巧妙な手段で近隣の武将とあるいは結び、あるいは戦い、富国強兵の策に妙を得るとともに、五山の僧侶とも交流した。信玄というのも法名で、禅を修め、詩歌に長じていたが、千五百七十三年家康、信長の連合軍との戦いの中に病気になり、信州下伊那の治部で没している。
 
 
(語釈)淑気・・・春のけはい。霜辛雪苦・・・霜や雪に苦しめられる。東風・・・春の風
(通釈)新年になってもまだ春のけはいはあらわれず、春はまだ遠い。霜辛雪苦でまだ詩を作る気になれない。この気持ちでは春の風に笑われてしまう。ただここで江南の梅花の一枝を吟ずるばかりである。
 
伊達政宗(一五六七〜一六三六)陸奥の名将で、幼名を梵天丸といった。若い時から戦場を駆使して武勲をたてた。千五百八十九年には、西は越後、東は三春、北は出羽、南は白河まで版図を広げ、関ケ原の役には家康に属し、徳川幕府の成立により外様大藩の大名となる。
 慶長十八年(一六一三)には支倉(はせくら)常長をローマヘ派遣して、キリシタンを信ずるように見せかけ、その国の力を探し、あわよくば西欧遠征を夢みたが、鎖国令のため征南の雄図は果たさなかった。
 
政宗(上)と梵天丸
 
 
 
(語釈)南蛮・・・南方の野蛮人、ここではスペイン、ポルトガルをさす。邪法・・・キリシタン。図南・・・南方を攻略するはかりごと。鵬翼・・・大鳥のつばさ。扶揺・・・暴風。
(通釈)邪法を唱えて人の国を迷わす南蛮を征伐しようと思うが、未だ成就しない。このはかりごとを何時の日にか大鳥の翼のように奮い立たせようと思う。そして我は久しく万里のつむじ風が吹く時を待っているのである。


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