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吟剣詩舞
こんなこと知ってる?(10)
 昨年四月号から始まった新企画「吟剣詩舞こんなこと知ってる?」の十回目です。読者の皆さまと双方向で意見が交換できるコーナーとして設けております。
 吟剣詩舞の歴史、人物、身近な出来事など、読者の皆さまが驚くようなこと、是非、知らせたいことがありましたら財団事務局月刊誌係まで、ご寄稿をお願いいたします(形式は問いません。写真等も歓迎です)。
 今回は、昨年九月、本誌の永年の愛読者で「漢詩講座」には何度も入選実績を持たれている下関市の上田典雪さんから投稿をいただきましたので、ご紹介いたします。
 昨年九月に頂戴したハガキでしたが、編集部で山口県の取材予定がありましたので、その際に写真等を入手しようと考えているうちに、たいへん遅れて、今回のご紹介となりました。
 
高杉晋作の『袖珍便面詩韻』(お手紙より)
 去る五月四日、下関市民会館にて長府博物館主催による『高杉晋作遺品展』があり、見学いたしました。
 その中の一つに、『袖珍便面詩韻(ちゅうちんべんめんしいん)』と題された扇があり、一面に約五ミリ角の大きさの韻字が木版刷りで見事に並列されているものがありました。(当時の「漢詩」作成のための携帯用辞書だったようです)
 その折り、その彫刻技術の優秀さに驚くと共に、かつての英雄・高杉晋作が幾百回となく眺めたであろうその同じ扇面を、百数十年後の平成の現代に、同じく漢詩を愛し、また吟じたであろう同志としての己が対面しているということに、不思議な因縁を感じたものです。
 なお、『便面』とは『扇』の一種だとは、辞典を繙くまで知らず、己の浅学さに恥じ入った次第です。
 〈高杉晋作の「袖珍便面詩韻」の画像は「萩博物館」(萩市堀内に昨年十一月十一日オープン)から本誌宛にご提供いただいたものです〉
 
「袖珍便面詩韻」
 
上田典雪さんの漢詩二首紹介
 ここからは投稿ではありませんが、上田典雪さんが本誌「漢詩講座」に寄せられ、秀作として紹介された二首を紹介させていただきます。
 
一、平成十二年六月
発表課題「勤皇の志士を詠ず」
 
 
 
二、平成十四年六月
発表課題「源平盛衰記」
 
 
(註)赤間関では先帝の陵墓に参拝し「上臈道中」と称している由。蓮歩は婦人がしなやかに歩くさま。
 
 
剣詩舞の研究
石川健次郎
―持ち道具を考える(2)―
〈扇の種類〉
 前号で述べたように、細長い木の板を素材とした“笏(しゃく)”から変化したといわれる“桧扇(ひおうぎ)”が扇の原形と考えられるなら、現在私達が使っている竹の骨に紙を張った“扇”に移り変わる過程を追跡してみよう。
 まず桧扇が発明された少し後の奈良時代に、羽を広げた蝙蝠(こうもり)からヒントを得たという五本の骨の片側に紙の類を貼り付けたものが、涼を求める(風をおこす)ための道具として考察された。これは“かわほり”と名付けられたが、そもそもかわほりとは蝙蝠の別称である。そして五百年程時代が下って平安末期になると扇に使用される和紙とその紙を折って竹の骨の両側に張る技術が進歩して、これが現在の扇の元になった。なお扇作りのポイントは扇の地紙を裁断して“折る”作業が急所で、扇を作る職人を「扇折り」とも呼んだ。
 
「扇折り職人図」
 
「六骨扇」
 
 さて扇の種類の一つに『六骨(ろくこつ)』がある。これは「かわほり」より骨が一本多い六本の骨に、両側から和紙を張り合わせたもので、地紙の折り目もしっかりしているから、折りたたみも容易にでき取り扱いが便利になった。この扇は鎌倉時代の上流武家も多く使ったようで、勿論一般庶民のものではなかった。現在、演劇舞踊界での持ち扇としては、王朝(奈良・平安)から戦国時代頃の王族、公家(くげ)武家の男女が主に使い、「源氏物語」などの舞踊では男は青や緑地、女は朱地に金銀の箔を散らした図柄がよく使われている。
 
六骨扇で踊る「平安舞踊絵巻」
 
「中啓」
 
「閉じた中啓」
 
 この「六骨」に比べて骨の数(普通の大きさで二十本、小振りのものは十八本位)が多い扇に『中啓』がある。この扇の最も目立った特徴は、折りたたんで閉じた時に、地紙の先端が少し開くよう二本の親骨が中頃から外側に反っていて、大変に重みのある風格が見られる。使われだした時代は、六骨より少し下がった室町期頃で、「能」の舞台では重要な持ち道具の一つとなり、それぞれの演目や役柄によって華麗な絵がかかれている。能以外でも、歌舞伎や日本舞踊で能から題材を取った作品、例えば「勧進帳」の弁慶や「三番叟」などでは素踊りでない場合にはこの中啓を使う。絵柄についても女性の白拍子は派手な色目のものを使い、あっさりしたものや白無地は、神官、僧侶、易者、学者などが使う。
 
「仕舞扇」
 
「舞扇」
 
 さて能が本衣装(裳束と呼ぶ)を着けず、しかも舞の部分だけを演じる場合があるが、これを仕舞と呼び、これに使う扇を『仕舞扇(しまいおうぎ)』という。骨の数は十本で親骨は透かし(すかし)彫りになっているのが特徴で、親骨の長さは標準で一尺一寸あり、次に述べる舞扇より四センチ位は大きい。用法としては当然仕舞用のものだが、最近では日本舞踊の素踊りでも、能に取材した作品の場合とか、演者の体形のバランスで使用することがある。
 次に剣詩舞は勿論のこと、日本舞踊や民謡舞踊などで最も多く使われている『舞扇(まいおうぎ)』について述べて置こう。この扇は元々仕舞扇などとは同種のもので室町に作られ“鎮扇(しずめおうぎ)”と呼ばれたものの一種である。現在使用されている舞扇で説明すると、骨の数は十本(親骨二本と子骨八本)で、扇の大きさを表わす呼び方は、たたんだときの長さ、即ち親骨の長さで表示し通常大人が使う場合は標準で九寸五分(二十九センチ弱)、少し大き目のものは一尺(三十センチ強)の二種がある。また子供用として九寸(二十七センチ)八寸(二十四センチ)のものも専門店などでは扱っている。舞扇の骨の素材は竹が使われ、生地(きじ)のままのものを「生地骨(きじぼね)」または「白竹」と呼び、茶褐色のものを「すす竹」、塗ったものでは「黒塗り」「朱塗り」「ため塗り」「春慶塗」などがある。御祝儀に使う白扇は勿論白竹で、男性吟詠家が和装の舞台で持つ白扇の大きさは九寸前後のものが適当である。なおこの場合は舞踊用ではないので地紙の部分はやや細めに出来ていて、骨の数も多少の増減がある。
 
「女性の持ち扇」(扇子)
 
「舞扇の部分名称」
 
 また女性吟詠家が和装の場合に持つ扇は勿論舞扇ではなく“扇子(せんす)”と呼ぶもので涼をとる「夏扇子」と同じ形、大きさは七寸(二十センチ)位で骨の数は二十本前後。最も格調のあるものは黒骨で地紙が金銀の表裏(婚礼用品と同じ)、または白竹白扇が上品でよいが、これはあまり見かけないので、一見それらしいもので代用すればよい。
 さて、舞扇の紙に描かれる絵柄や色については次回に述べるが、扇の表面裏面の見分け方は、骨が白竹の場合は扇を開いて見て子骨に磨きがかかった方が表でたたある。塗り骨のときは要に使う金属を叩いて(たたいて)かしめてある方が裏とされている。
 扇の部分の呼び方は図を参考にされたい。


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